アカ語聖書の配布レポートと証

アカ族に聖書が届きました
 

いつもお祈りとご支援をありがとうございます。
新生宣教団では、これまでに数多くのアカ語聖書を印刷してきました(詳しくはこちらの記事などをお読みください)。今回、タイやミャンマーで活動するミッションパートナーから、アカ語聖書配布に関するレポートが届きましたのでお分かちします。

 

タイでアカ族の聖書10,000冊を配布

アカ語聖書を持つアカ族の姉妹タイで配布した10,000冊のアカ族の聖書の費用をサポートしてくださった皆さまに感謝いたします。この写真は、2019年の最初の配布の時に撮影されたものです。写真にはアカ族の伝統的な頭飾りが写っています。「アカ」という名前は「水から遠く離れた」という意味で、アカ族は伝統的に水源から遠く離れた山の上に住んでいます。山の上に井戸を掘り、そこから水を得ているそうです。

配布した地域
チェンライの地図
Hdamm for the original mapZeroSixTwo for recolouring,
CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

これはタイのチェンライ県の地図です。アカ族の聖書配布は、チェンライ(中央の紫色の地区)とチェンライのすぐ北にあるメーチャン(紺色の地区)の2カ所で行われました。チェンライ県はミャンマーとラオスの国境に接していることがわかります。

アカ族は、中国に約25万人、ミャンマーに22万人、ラオスに12万人、タイに6万人、ベトナムに2万3千人住んでいると言われています。ラオスにはアカ族のクリスチャンはほとんどいませんが、今回、私たちの聖書の一部を彼らに届ける事ができました。ジョシュア・プロジェクトによると、タイのアカ族の90%、すなわち約54,000人がクリスチャンだと言われています。もしそれが本当なら、私たちがタイで2回にわたって配布した15,000冊の聖書は、十分とは言えません。ミャンマーでは、アカ族のクリスチャンは約16%(35,000人以上)に過ぎないと言われています。次回行うアカ族への聖書配布では、ミャンマーに多くの聖書を送る予定です。

アカ族の聖書

チェンライの自然豊かな風景
チェンライの自然豊かな風景

今日、アカ族の文字を近代化しようとする努力がなされていますが、9割の人々はトーンマークのある古い文字を使い続ける事を望んでいます。トーンマークのない新しい文字は読めないのです。彼らが好んで読む聖書は、アメリカ人宣教師ポール・ルイスが翻訳したものです。2019年まで、ルイス版の新約聖書だけがアカ族の人たちに読まれていました。私たちは2000年代前半に、この新約聖書を何千冊も印刷しました。ポール・ルイスは東南アジアから引退していましたが、アメリカに戻ってアカ族の旧約聖書を翻訳し続けました。彼は完成した原稿を、いつかアカ族の人が見つけてくれることを願い、インターネット上に公開していました。ポール・ルイスが老衰で亡くなってから約3年後、アジュ・リジェンというアカ族の牧師が旧約聖書の原稿をネット上で見つけたのです。彼はチームを立ち上げ、書式を直し、再編集しました。これが私たちが印刷・配布する聖書となったのです。
 

アカ族の証し

以下は、2022年11月3日~4日にメーチャンとチェンライでアカ族の聖書が配布される前に届いた一つの証しです。

A氏の証し

A氏私の名前はA、47歳で、教会の長老をしています。私はミャンマーの、クリスチャンではない家庭に生まれました。私の村の村民はすべて霊を崇拝するアニミストでした。10代の頃、しばらくの間、私は儀式を司る魔術師でした。人々は私に、癒しのための奉仕を依頼しました。赤ちゃんが胎内で死んでしまうこともありましたが、周りに医者がいなかった為、私は胎内から死んだ赤ちゃんを取り出し、その死体を埋葬することもありました。私は霊的な力を身近に感じることはなく、この仕事を続ける事は重荷でした。

魔術師として生きている時も、私はいつかクリスチャンになってクリスチャンの女性と結婚すると思っていました。というのも、私たちの村の近くにラフ族のキリスト教の村があり、そこでは礼拝があり、みんなとても素敵な格好をしていて、私もその様になりたいと思っていたからです。しかし、魔術師を辞める事は許されず、勤めを果たすよう強要されていました。

私が10代の頃、父は薬物中毒でした。私はミャンマーの生活から離れたいと思い、タイに移住する計画を立てました。最初に移住したのは、親戚がいるミャンマーの国境の村で、この村はキリスト教の村でした。ここで初めてイエスの福音を聞きました。アニミストの村から離れる事ができた私は、古い宗教から離れ、クリスチャンになる良い機会だと思いました。その頃の私は教育を受けていなかったため、ビルマ語もアカ語も読めませんでした。しかしこの村では教会でアカ語を教えていたので、私は教会の後ろのほうでそれを聞きながら勉強していました。

そんな中、友人が私に聖書をくれたのです。貰った聖書を読み、自分で学ぼうとしました。一晩中聖書を握り、聖書と一緒に寝た日々を思い出します。クリスチャンになった後、私の状況は変わりました。私は教養のある人間ではありませんでしたが、神の憐れみによって文字を読めるようになり、良い人生を、そして聖い人生を送るにはどうしたらいいかを、聖書から学べるようになったのです。
キリストのもとに来る前は、若者としてどのように生きるべきかを知りませんでした。性的に清くあること、婚前に性関係を持たないこと、ドラッグを使わない事などです。クリスチャンになって、どうすれば神を喜ばせ、従うことができるのか、どうすれば子どもを育て、家族を導くことができるのか、どうすれば神の道に生きることができるのかを学びました。

神が私の祈りに答えてくださった体験もあります。ある日、警察がやってきて私を拘束しました。ドラッグを使用している人を逮捕した時、その人が警察に、自分にドラッグを売ったのは私だと言ったそうです。私はドラッグを売っていませんでした。誰かが警察にお金を払って、私にこのような濡れ衣を着せたのです。
警察は私を逮捕し、警察署に連れて行きました。私は何も悪いことをしていないのに、なぜ逮捕されたのかと尋ねました。しかし彼らは、釈放するために5万タイバーツ(約1,700米ドル、田舎の村に住む人間にとっては大変な金額です)を要求してきました。そこで私は、「わかりました、5万タイバーツを払います。でも、こんな酷い事をしたのだから、この事は神が裁いてくれるでしょう!」と言いました。すると、一人の警官が「ならお前の神が何をするか見てみたい」と答えました。そこで私は「神があなたを裁き、罰するでしょう」と答えました。それで私は5万タイバーツを支払って、その場を離れました。
村に帰りこの話をすると、警察署に行って、私の無実を証明しようという事になりました。ところが、私たちが行く前に警察が村の私のところに来て、5万タイバーツを返してくれたのです。そして、「この事は無かった事にしてくれ」と言われました。私は神がこの状況から救ってくれたと信じています。私は神の前に正しく、彼らの告発に対して無実だったからです。

私は聖書の価値を知っています。何故なら聖書は知恵の書であり、誰もが聖書からの知恵を必要としているからです。警察と話をした時、私は聖書から語りました。自分の言葉から話したのではありません。私は神の言葉にある真理を尊んでいます。誰もが聖書を必要とし、誰もが聖書を読むことで知恵を得ることができるのです。だから、人々には聖書が必要なのです。
非キリスト教の村に生まれた人々は、聖書を手に入れる様な機会がありません。ですから私は今、聖書を必要としている人たちに聖書を配ることができることを嬉しく思っています。そして、B牧師と、私が元々住んでいたミャンマーの村に聖書を持って帰り、福音を伝えることができないかと話しています。

聖書は、私の人生の中で最も貴重なものです。聖書のような価値を持つものは他にありません。私は学歴もなく、研究所や聖書学校で学んだことはありません。唯一知恵を得られるのはこの聖書からなのです。


恵まれた証を聴くことができて感謝します。新生宣教団で印刷された聖書が、このように具体的に、それを手にした人々の人生に大きい影響を与えていることを改めて知ることができて感謝です。
アカ族の人々のために、そして現地で聖書の配布を行っているミッションパートナーのためにも覚えてお祈りください。

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