明るくあたたかい文章が人気のトラクト「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。
第3号の全文をご紹介します。
気に入ったコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひトラクトとして周りの方に手渡してください。
私たちは普段、外側からのものに影響されて生きている。暑いと服を脱ぎ、寒いと着る。良いニュースを聞いて嬉しくなり、嫌なニュースを聞いて落ち込む。綺麗なものを見て気分が良くなり、酷いものを見て気分が悪くなる。見るもの、聞くもの、触れるもの…、それら外的要因に身体も感情も行動も影響される。
一方で、内側から湧き上がるものがある。心の底から湧き上がる、愛、喜び、平安…。あるいは、悲しみ、怒り、憎しみ…。
その内側から湧き上がるものが心を満たし、自分の生き方に影響を与えているという面もある。
そこでよく考えてみると、私たちは、確かに外的要因に影響を受けているが、実はそれ以上に内的要因が私たちの生き方を決定づけていることが分かる。なぜなら外的要因をどのように受け取るかというのは、内的要因が決定するからである。
人の成功を聞いて喜ぶ人もいれば、ねたむ人もいる。注意されて落ち込む人もいれば、やる気になる人もいる。同じものを見ても、ある人は喜び、ある人は失望する。人によって受け取り方は様々だ。
実際に、自分の生き方を決定づけているのは、外的要因ではなく、それをどのように受け取るかという心のあり方なのだ。私たちの心が何によって満たされているのか、それが私たちの生き方を決めている。
もう30年近く前になるだろうか、私は沖縄に行ったことがある。その時、地元の牧師が秘密のビーチに連れて行ってくれた。
崖を下りて行くと美しいビーチが広がっていた。ひとしきり泳いだ後、その牧師が身体を洗おうと言う。見渡したところシャワーなどない。そこで連れて行かれた所が、なんと泉の湧く所であった。切り立った崖の下に直径2メートルくらいだったろうか、こんこんと真水が湧いてプールのようになっていた。
その泉の中に最高の気分で浸かっているうちに時間を忘れてしまい、なんと潮が満ちてきたのだ。あっという間に泉は塩水に覆われてしまったのである。ああー!と焦っている私たちに、その牧師は大丈夫!と言うのだ。確かに、なんとその泉の部分だけが真水のままになっている。下から真水が湧き上がり続けているので、その場所だけは真水のままだった。
時には、私たちの上にまるで覆いかぶさるようにして、この社会から、世間から、人から、様々なネガティブなものが襲ってくることがある。それらにのみ込まれてしまうような無力感を感じることもある。
しかし、もし内側から湧き上がるものがあったら、たとえ外側の状況がどうであっても、私たちの内側は変わらずにいられる。
取り巻く状況、人からの評価、心ない一言といった外側からのものよりも、内側から湧き上がるものが、私たちの心を満たすのだ。
私たちの心の内には何が湧き上がり、何によって満たされているだろうか。もちろん、良いものが湧き上がっていたい。聖書には、イエスを信じるとき、私たちの内に泉が与えられると約束されている。この泉からは、愛、喜び、平安…が湧き上がってくる。
たとえ、憎しみが覆ってきても、愛の泉が心を満たす。悲しみが覆ってきても、喜びの泉が心を満たす。恐れが覆ってきても、平安の泉が心を満たす。覆われているように見えても、泉の湧く所は変わらない。そこだけは愛と喜びと平安、そして希望が満ちている。
しかも、泉は湧き上がり続けるので、それは溢れて流れ始める。その流れは、自分の内側を満たすだけにとどまらないで、周りにも影響を及ぼすようになる。心に泉のある人は、まるで砂漠のオアシスのように、自らも満たし、周りの人も満たすようになる。そんな生き方が出来たら素晴らしい。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道。
Illustration by Rutsuko
ご献金1,000円以上ご支援くださった方には、実費のみで50枚以上50枚単位で印刷してお届けするサービスがあります。プリントアウトが難しい方、大量に必要な方はぜひご利用ください。詳しくは宣教部(TEL.049-296-0706)まで。
Copyright © 新生宣教団 All rights reserved.