明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。
今回は第5号の全文をご紹介します。
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先日、40年ぶりに中学生時代の友人たちと集まった。やんちゃだった連中がいい親父になり、楽しく昔話に花が咲いた。その時、心臓が悪くて酒が飲めないだとか、糖尿が、血圧が…と、それぞれの健康のことでもかなり盛り上がった。話しながら、俺たちもこんなことを話題にするようになったんだなと、40年の月日を実感した。
人と会うと、挨拶言葉のようにして天気の話をすることが多いが、健康の話題も、もはや挨拶言葉のようにして「最近、調子どう?」から始まって話が尽きない。
以前『健康という病』というタイトルの本を見かけた。買わなかったが、題名だけで何を言わんとしているかが分かるようだ。健康ブームが過熱する中で、病気のこと、サプリのこと、食べ物のこと…、健康に関する情報があまりに多過ぎてノイローゼになってしまうということらしい。
ところで、何をもって “健康” と言うのだろうか。「あなたは、健康ですか?」と問われて、どう答えられるだろうか。
健康には、医学的に定義される身体的な健康、精神的な健康。あるいは社会的な健康、そして霊的な健康といろいろある。身体的には健康でも、心が病むこともある。また、社会的に差別されたり搾取されたりして基本的人権が否定されている場合もある。さらには、魂の深い部分に関わる霊的な面もある。米国などは、この霊的健康に対する理解があるので、病院はもちろん軍隊にまでチャプレンと呼ばれる牧師が専任として居る。
ある場合には、身体的にも精神的にも病んでいるわけではないが、家で妻や子どもを虐待していたり、部下にパワハラをしていたら、とても健康とは言えないだろう。
逆に、身体的には病を負っている方が、周囲の人をとても幸せにしていることがある。もちろん自分自身も幸せだと言う。社会的弱者と呼ばれる障害を持っている方が、医学的には健康とみなされている人を慰め、心を癒やすこともある。
健康についてあえて分けて考えたが、それらをすべて含む一人の人間としてトータルに見た時、自分は果たして健康と言えるだろうか。
聖書は、人間は神に人間として造られたと言っている。製作者には、それを作った意味と目的がある。車は道路を走るように作られた。走らなければ故障していることになる。つまり不健康だ。でも、空を飛べないからといって不健康ではない。もともと空を飛ぶようには作られていないからだ。
神が人間を造った意味と目的、それは愛を現すためだ。人間は愛されるために造られ、愛するために生かされている。存在の意味は、愛されるため。存在の目的は、愛するため。だから人間は、愛されて愛する時、最も健康で幸せなのだ。
健康かどうかを計る指標にはいろいろある。医学的、社会的、宗教的…。聖書の教える健康の指標とは “愛することができるかどうか” ということだ。
愛することができないことが、実は不健康なのだ。愛せない、赦せない、という思いから、怒り、憎しみ、妬みが生じてきて、感謝や平安が持てなくなり、精神も身体も病んでいく。そして社会人として健全な人間関係を持つことが難しくなっていく。
愛するためには、愛されている自分を知ることだ。愛されているから、愛することができる。
たとえ自分は、愛することにおいて足りないと思っても、その愛の足りない自分を十分に愛してくださっている神がおられる。
あなたに注がれている神の愛は、足りないことはない。ありのままのあなたが十分に愛されているのだ。このことを知る時、あなたは、愛せる者になれるのだ。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道。
Illustration by Rutsuko
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