明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。
今回は第6号の全文をご紹介します。
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♬探しものは、何ですか、まだまだ探す気ですか~♬ 昔ギターをかき鳴らしながら、このフォークソングを歌ったものだ。
よく “母親探し” とか、“父親探し” とか言ったりするが、それは無条件の愛や、絶対的な愛を探し求めているのだ。
あるいは “自分探し” というのもある。この探しものは、人類の究極的な探しものかもしれない。
最近、自分が自分であることが実感できないという人が増えている。フワフワした存在感、透明人間みたいな感覚、身の置き所がない、そんな存在不安を抱えて生きている人が大勢いる。
そんな中で自分を傷つけて痛みを感じることで、自分が今ここに生きていることを実感しようとする者もいる。でも、いくら自分を傷つけても探しものは見つからない。
あるいは、自分探しの旅を長らく歩む中で道に迷い、ますます自分が分からなくなってしまった者もいる。
自分探しの旅は、一体いつまで続くのか…、それは見つかるものなのか?
確かに自分で自分を見つけようとしても、見つけることはできない。
例えば、自分の顔は、自分で見ることができないのと同じだ。自分の顔は、鏡に映して初めて分かる。だから自分で自分を見つけるのではなく、自分を映してくれる鏡が必要なのだ。
本当の自分の姿とは、自分を映す鏡があって初めて分かる。ということは、鏡が大事なのだ。もしその鏡が歪んでいたら、正確な自分の顔は分からない。
あなたを映す鏡にはいろいろある。親という鏡、友達という鏡、世間という鏡、SNSという鏡…、鏡によって、そこに映っている自分の姿はみんな違って見える。どの鏡に映っている自分が本当の自分の姿なのだろうか。
それが、どれもしっくりこない。どの鏡も歪んでいるようだ。どこに映っている自分も、本当の自分ではない気がする。本当の自分は、こんな自分ではない! だから、自分探しの旅が終わらない。
私は、長らく自分探しの旅を歩んできた。それはゴールの見えない旅だった。旅といえば格好がいいが、実は彷徨っていただけだと思う。
その時に私が見ていた鏡は “人の目” だった。人にどう思われるかが私の存在価値を左右していた。だから人に良く見られるために頑張った。でも頑張れば頑張るほど、本当の自分を見失い、ますます自分探しの道に迷い込んでしまった。
そんな私もある時、別の鏡を発見したのだ。それが私の人生を変えることになった。
自分探しの旅の終着点は、見つけるのではなく、気づくことだ。
あなたを映す鏡、それは、神の目だ。神の目に映っている自分が、本当の自分なのだ。見つけようとして探すのではなく、神に探され、見つけられている自分に気づくことだ。神の目に映っている自分が、本当のあなたなのだ。
神の目には、あなたは最高傑作品、宝物なのだ。目に入れても痛くないと思えるくらいに愛しい存在、それがあなたの本当の姿なのだ。
たまに、メガネをかけながら、メガネが無いと一生懸命に探していることがある。有るものを有ると気づけなければ、どんなに探しても見つからない。
真の自分とは、探すものではない、気づくものだ。本当の答えとは、案外目の前にあるものだ。
神の目に映る本当の自分に気づいたら、自分探しの旅はもう終わりだ。そろそろ旅を終わりにしよう。もう十分に歩いた。重たい荷物をおろして、ゆっくり休もう。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道。
Illustration by Rutsuko
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