明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第16号の全文をご紹介します。気に入ったコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
子育ての目標は、人格的自立である。自分で考え、判断し、選び、自分の人生に責任を持てるようになり、さらには他者の人格も尊重できるように育てることだ。
もともと子どもは、自然に成長するように神に造られている。しかし、子育ての難しいところは、その成長とは、なだらかな坂を右肩上がりに進むわけではないということだ。子どもの成長は、竹の節のように、階段を上るように成長する。
特に、その成長が目覚ましく見えるのが、3歳~5歳と思春期の時期になる。その時に、親がよく言うセリフは「うちの子、最近急に…」という言葉だ。子どもの言動が急に変わるので親は戸惑うが、それは成長の段階を一段上ったことを意味している。
いわゆる第一、第二反抗期と呼ばれるものだ。しかし、ここで異議を唱えたい。反抗期というのは、あまり良い表現ではないと思う。もっと肯定的に捉えて「急成長の時」というような言い方はどうだろうか。
なぜなら、親に対する反抗は許してはならず、親は子どもを戒める必要がある。しかし、もし成長なら、それは伸ばしてやらなければならない。対応がまったく逆になる。
というわけで、あえて「急成長期」という言葉を使うが、特に第一次急成長期には、子どもは「嫌」という言葉の使い方を習得する。
ある親が、自分の高校生になる子どもが、自分で着る服を選べないということに気がついた。
子どもは、その第一次急成長期に、それまでは親が用意した服を喜んで着ていたのに、急に「嫌!」と言い出す。そこに衝突が起こるが、親が強大な力で子どもの「嫌」をねじ伏せて、親の言う通りに何でも「ハイ」と言える、いわゆる「良い子」にしてしまったのである。
親は、確かに楽である。周囲からも「良いお子さんですね」と褒められるかもしれない。しかし、子どもの人格は育たない。自分で考え、判断し、選ぶことができないまま年を重ねていってしまう。
そして、親に依存しきったまま年齢だけ大人になるか、どこかで抑圧された自分が爆発し「あの良い子がなぜ?」ということになりかねない。
もし、人生の中で「嫌」という選択肢がなかったとしたらどうなるだろうか。時間もお金も、人生も奪われてしまうだろう。
しかし、子どもの「嫌」を受け入れてばかりでは、それも大変なことになってしまう。子どもは、まるで「嫌」を楽しんでいるように、なんでもかんでも「嫌」と言うことがある。
ご飯を食べなさい。「嫌」。じゃあ食べないんだね。「嫌」。一体どっちなの!と思わず怒ってしまうことも多々ある。
ここで忍耐を持って教えたいのは、選択には結果と責任が伴うということだ。
ご飯を食べないと言うのなら、食べられないという結果を刈り取ることになる。そのことを経験させるのだ。
それを繰り返すことで、子どもは、「はい」と「嫌」の選択を正しく用いることができるようになってくる。
親にとっては、とても忍耐のいることだ。子どもの「嫌」をそんなに穏やかに受け入れられないことの方が多いかもしれない。
しかし、もしここで子どもが自分で考え判断し、選んだその自己表現を否定してしまうと、子どもの人格は自立へと向かっていかない。
この第一次急成長期には、親の人格と子どもの未熟な人格とがぶつかり合う大切な時期になる。
この衝突は、回避することでも、解決することでもない。心を定めて、この道を通ることだ。道の先には、たくましく成長した我が子の姿がある。反抗ではなく、成長だということを心に留めておきたい。成長だから、これは伸ばすことなのだ。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
Illustration by Rutsuko
プリントアウトが難しい方、大量に必要な方向けに、実費のみ(50枚以上50枚単位)で印刷してお届けするサービスもございます。詳しくは宣教部(TEL.049-296-0706)までお問い合わせください。
Copyright © 新生宣教団 All rights reserved.