明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第21号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
私たちは誰でも、愛を追い求めている。しかし、厄介なことに愛を追いかけ始めると、いつまでたっても追いつかない。
実際は逆なのだ。真の愛とは、追いかけてくるものなのだ。だから愛とは、獲得するものではなく、受け入れるものになる。
しかし、受け入れた愛も、そのままでは淀み、枯渇していく。その愛がいつも新鮮で満ち溢れているための秘訣は、“愛すること” に尽きる。すでに愛されているのだから、次は愛を与えるのだ。
ここで私たちは、さらに考える。「それでは、愛するってどういうこと?」
「愛」と一言で言っても、その定義は、人それぞれ皆違う。
今回は、愛することは「寄り添うこと」ということを考えてみたい。
「寄り添う」とは、相手の心に自分の心を重ね合わせること。それは、実際の行動にも反映される。
私の妻は、大病を患い手術をしたことがある。術後、リハビリを頑張ってだいぶ歩けるようになってきた。その頃、二人で外を歩いていると、後から「ちょっと待って」という妻の声が聞こえる。「あっ!しまった」と思って振り返ると、5歩くらい後に一生懸命に歩いている妻の姿がある。
「私は、まだ早く歩けないの」と訴える妻の姿を見ながら、なんと自分は自分本位で、妻のペースより自分のペースを優先して生きてきたのかと気づかされる。
寄り添えない自分に失望しながら、また妻と歩調を合わせて歩き始める。正直に言うと、それは一度ではなく、何度かあったことだ。
寄り添うことは、相手の歩調に合わせることだ。それは歩くスピードもそうだろうし、人生のペースも同じことだ。
「俺についてこい」というセリフを格好よく感じるのは、私だけだろうか。しかし、意気揚々と前を向いて歩いていて、ふと後を振り返るとそこには誰もいない、ということもある。
寄り添うとは、自分のペースではなく、相手のペースを尊重して、そのペースに合わせることだ。
人生を同じ歩調で歩いていく、それが寄り添うということになる。
寄り添うことは、相手の幸せのために行動を重ね合わせ、そして心も重ね合わせていくことだ。心を重ね合わせているとき、そこに表現される言葉の一つに、「そうだね」がある。寄り添うとは、この一言を心から言
えることだ。
批評すること、分析すること、教えること、指示すること…時にはそれらが必要なこともある。しかし、それらは必ずしも愛がなくてもできることだ。それに対して「そうだね」の一言は愛がないと言えない一言だ。
この言葉は、相手にとって「分かってもらえている」という安心感を与える。
しばしば苦しみの中にある方が言うことは、その問題自体の苦しみよりも、この苦しみを分かってもらえない、という孤独感の方がもっと苦しいということだ。
特に心の病などは、目には見えないので、分かってもらうことが難しい。「甘えるな、身体は健康じゃないか、もっと頑張れ」と言われたら…、あるいは「もっと苦しんでいる人がいるのだから、それくらいのことは我慢しなさい」などと言われたら、もう何も言う気になれない。苦しみは比較できるものではない。
人は、自分自身も含めて、ただ分かってほしいのだ。「そうだね」という一言が聞きたいのだ。それが寄り添うこと、すなわち愛することなのだから。
イエスは、私たちに寄り添っていてくださる方だ。私たちも、他者に寄り添える愛を身に着けていきたいと心から願う。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
Illustration by Rutsuko
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