明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第23号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
愛するということは、相手を心から敬うことだ。
それにしても、敬うということは、どのようなことなのだろうか。敬うとは、相手の人格を尊重することである。それは一つに、その人の考えていることを尊重するということだ。
ただし、人格を尊重するということは、相手の考えていることに同意し善しとすることとは違う。その考えに同意できないこともあれば、それが悪い考えの場合もある。
人格を尊重するということは「あなたは、そのように考えているのですね」と、考えている内容ではなく、考えるという行為自体を尊重するということなのだ。
逆に尊重しないということは「私が決めるから、あなたは考えなくていい、考える必要はない、考えてはならない」と、考えること自体を支配し否定することなのだ。
とはいえ、その人格の違いが人間関係の難しさ、悩みをもたらすことも事実である。
もし自分が相手の人格を全部コントロールすることができたらどうだろう。相手が自分と同じ考えを持ってくれたら、自分が好きなものは相手も好きで、自分が嫌いなものを相手も嫌いになってくれたら、自分と同じように考え、判断し、選んでくれたら、人間関係はどんなに楽だろうか。
しかし、そこに愛はあるのだろうか。そこにあるのは、愛ではなく、支配であり、自己中心ではないだろうか。
それぞれの違いは、確かに問題や悩みをもたらすこともある。しかし相手を敬うことで、その違いは、愛される喜び、愛する喜びをもたらすことになる。敬うことは愛することだから。
辞書を調べてみると、尊敬の反対語は「軽蔑」と書かれている。軽蔑とは、上目線から相手を見下し、その相手の存在価値を軽んじることだ。
存在価値が軽いので、その人の考えや行動に価値を見いだすことができない。なぜ私たちは他者を敬うのだろうか。自分よりも、年上だから、社会的地位が高いから、有名だから、能力があるからなどという理由は、確かに尊敬に値する場合もあるだろう。
しかし、たとえ相手が子どもであっても、社会的な身分や地位に限らず、相手が誰であっても、その存在の尊さは決して変わらない。
存在自体が尊いので、その人の考えや、表現を軽んじないで、尊重するという発想が持てるのだ。
子供の意見や、自分よりも地位が低く、能力も劣ると思える人の意見にも耳を傾けることができるのだ。
そのような人は、結局、自分も敬われる存在になる。あなたが、これまでの人生において尊敬する人とは、どのような人だっただろうか。それは、自分の存在を尊く扱ってくれた人だと思う。
私たちは、その人の今だけを見て判断してしまうことがある。しかし、その存在を尊ぶことは、その人が歩んで来た人生を尊重することでもある。
今その人が、このように考えるのは、このように行動するのは、これまでの人生があってのことだから。
その人が、それが好きなのも、嫌いなのも、これまでの人生の積み重ねの中で判断していることなのだから。
その人の考え方、価値観、選択は、これまでの人生があっての今だから。そして、これからも人生は続くのだ。人生は、まことに旅路である。
だから私たちは、今のことだけで、その人を判断しない。評価を下さない。
敬うということは、世界でたった一つしかない、その人の人生を尊重することなのだ。
それは、まさにその人自身を尊重することであり、そして愛することなのだ。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
Illustration by Rutsuko
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