明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第26号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
マザー・テレサは言った。「痛みを感じるまで愛してください。その時、もっと深い愛を知るでしょう。」
愛することは、痛み苦しむことだ。もし、あなたの愛する者が痛み苦しんでいたら、その痛み苦しみをわが身の事のように感じるだろう。場合によっては、それ以上に感じることもあるし、できるなら代わりたいとまで思うだろう。
愛の深さを測れるとしたら、それはどれだけ相手のために痛み苦しみを感じるかということだ。英語のパッションという言葉は「情熱」と訳されるが、同時に「痛み苦しみ」という意味もある。どちらの意味が先かというと「痛み苦しみ」なのだ。
ちなみに、パッションフルーツは、いかにも南国の情熱的な果物のように思えるが、実は「痛み苦しみのフルーツ」という意味だそうだ。その昔、この果物の花を見た宣教師が、その雄しべと雌しべがちょうど十字架形をしていることから、十字架の痛み苦しみという意味で命名したということらしい。
話を元に戻すと、パッションという言葉が、もともと痛み苦しみという意味から、やがて情熱という意味を持つようになったのは、痛み苦しむほどに愛する愛、それが情熱の愛だからだ。
ただ、痛み苦しむほどの愛というとき、それは自分の愛がかなわないがゆえの痛み苦しみとか、自分の理想通りにならないフラストレーションからくるものとは全く違う。この痛み苦しみは、あくまでも相手の痛み苦しみをわが身のこととして感じ取るということだ。
もちろん私たちは、愛する相手に出会うとき、幸せで、嬉しくて、喜びでいっぱいになる。それももちろん愛だ。何も、愛することは痛み苦しむことばかりではない。しかし、相手が病むとき、窮地に立たされるとき、こちらの理想通りにいつも明るく元気でいられないときは、どうなるのか?
私は、妻と出会った時「君は、いつも太陽のようであってほしい」と言ったところ、妻から「そんなの無理」と返された。確かに、こちらが望むように、いつも明るく元気でなどいられるわけがない。妻だって落ち込むときもある。
私たちは、理想を愛しているのか、それとも「その人」を愛しているのか、どちらだろうか。理想を愛するとき、その関係は壊れていく。しかし「その人」を愛するとき、その関係は、より豊かなものになっていく。
愛とは、自分の理想を相手に押し付けることではない。健やかなときも病めるときも、富む時も貧しいときも、という結婚の誓いは、どこまでも深い。
冒頭のマザー・テレサの言葉によれば、「もっと深い愛」があるというのだ。この深い愛を、あなたは知っているだろうか。私自身は、自分の愛の浅さを痛感する。
この愛の深さは、底のない深さだ。私たちは一生かけて、さらに深く、さらに深く、愛の深みへと導かれる。そして、自分の愛の浅さを思い知らされるとき、それは、世界で最も深い愛を知るチャンスともなる。
神の愛ほど、深い愛はない。なぜなら、神の愛は、イエス・キリストの十字架に現わされたからだ。神の愛の深さは、イエス・キリスの十字架の痛み苦しみである。これほどの深い痛み苦しみはない。だからこれほど深い愛は、他にはない。この神の愛に出会うとき、私たちは、もっと深い愛の世界へと導かれるのである。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
7月29日(土)に、このコラムを執筆してくださっている関真士先生のオンラインウェビナーを開催します!
参加は無料で、どなたでもご参加いただけます!お申し込み締め切りは7月27日(木)中です。
ぜひチェックしてください!(先着85名様限定)
プリントアウトが難しい方、大量に必要な方向けに、実費のみ(50枚以上50枚単位)で印刷してお届けするサービスもございます。詳しくは宣教部(TEL.049-296-0706)までお問い合わせください。
Copyright © 新生宣教団 All rights reserved.