明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第27号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
人生とは旅路だ。その旅路を共に生きることは、その人を愛することだ。
私たちは、その人の人生の旅路の、あくまでも限られた期間、共に生きるために出会い、同じ道を歩むようになった。
共に歩む道の長さは、それぞれ皆違うだろう。数日間かもしれない。数年かもしれない。親子や夫婦は、長い期間であることが多いだろう。しかし、それでも期間は限られている。
そして、私がその人に出会っているように、その人も自分と出会っているのだ。お互いの人生の状況は違うだろう。私が落ち込んでいる時に、絶好調のその人と出会うこともある。私が元気な時に、病んでいるその人と出会うこともある。そんな一人一人との出会いを大切にしていきたい。
それにしても不思議なことだ。皆の違う人生の道が、ある時交差し、一つの道となり、ある期間を共に歩むようになったのだ。
その出会いを神の導きとして受け止めていきたい。
私たちは、今私が出会い、見ているその人の旅路の、あくまでも一時期に共にいるのだ。だから今のことだけで判断しない、結論を出さないことが大切だ。
今は、自分が見えているように見えるが、その人の人生の旅路はまだ続いている。自分が見ているのは、その旅路の一部にしかすぎない。
確かに、その人が失敗したり、問題を起こしたり、悪い状態にある時、そこから目をそらすことなく現実をしっかりと見ることも大切だ。なぜなら、今この時の出会いを大切にするから。
しかし同時に、今見えている状態が最終結果ではないということも心に留めておきたい。その人には、自分と出会う前の旅路があり、そしてこれから先の旅路がある。私たちは、その人がこの先どのような旅路を歩むのかは分からない。
だから、今見えていることだけで、その人を判断しない、それは最終結果ではないのだ。むしろ、希望という目で、その人を見ることができたら素晴らしい。
出会いが、神の導きであるなら、その出会いには、何か必ず意味があるはずだ。十の出会いには、それぞれ十の意味があるだろう。
しかし、そのすべての出会いに共通している意味は、私たちはその人の祝福のために出会ったのだということだ。
その人を傷つけたり、苦しめたりするために出会ったのではないことだけは確かだ。
私たちは、その人にとっての祝福となる存在でありたい。
祝福と言っても、その中身は豊かだ。その中でも特に、励ましを与える者でありたい。その人が元気になり、人生の旅路を続ける力と希望を与えることのできる者でありたい。それが愛することだから。
ホノルルでは、毎年恒例のホノルルマラソンがある。毎年数万人の人が参加する大イベントだ。しかし、それにしてもみんな苦しそうに辛そうに、ある人は足を引きずりながら走っている、いや歩いている。
なぜそこまでして?と思のだが、参加する理由の一つに、沿道の声援があるのだと思う。例えば5時間でゴールするとしたら、5時間ずっと沿道からの声援と励ましを受け続けるのだ。
人生の中で、数えきれない多くの人から5時間かけて励まされ続けることなど普通ならあり得ないことだ。それがマラソンでは体験できるのだろう。
私たちの人生の旅路には、誰よりもまず、イエスが共に歩んでくださっている。この方の場合は一時的ではない、人生の最初から最後まで、共にいてくださるのだ。5時間どころではない、人生のゴールまで私たちを励まし続けてくださるのだ。
だから、私たちも、人生を共に歩む方々を励まし、祝福する者でありたいと願う。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
Illustration by Rutsuko
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