明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第29号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
愛することは、仕えることだ。「仕える」とは、自分のためにではなく、相手の幸せのために生きることだ。
しかし「仕える」と聞くと、何か相手の命令に服従するような、召し使いのようなイメージを持つ人もいるかもしれない。
もし、自分の意志や感情を押し殺して、まるでロボットのように、仕方なく仕えるなら、それは仕えているのではない。なぜなら、そこに愛はないからだ。
ひと昔前に『家政婦のミタ』というドラマがはやったことがある。ミタさんは、何を言われても「承知しました」としか言わない。雇い主の子どもから「一緒に死んで」と言われたら「承知しました」と言って、一緒に水の中に入って くのだ。なんでも「承知しました」と言ってくれるミタさんを、最初はみんな喜び歓迎していた。しかし、しばらくすると「ミタさんは、何を考えているの? あなたの考えていることを言って!」と、ただ「承知しました」としか言わないミタさんに不満が募ってくるのだ。わが家の当時10歳くらいの娘が、「わたしは将来、家政婦になる」と言い出して、わたしたちの言うことに「承知しました」と言っていたのだが、それは一晩で終わった。
一見、仕えているように見えても、もしそこに自分の自発的な意志と喜びがなければ、それは聖書の言う「仕える」ことにならない。なぜなら、そこに愛はないからだ。
仕えるとは、相手の益のために、自分の自発的な意志で、喜びをもって、自分の都合や時間、労力をささげることだ。そこまでして、相手のことを想うのだから、それはまさに愛である。
「仕える」の反対語は、「支配」である。それは、相手を自分の思った通りに動かそう、分からせよう、変えようとすることだ。
相手が何を望んでいるかということよりも、自分の望みをかなえることの方が大事。相手の話を聴くことよりも、自分の言葉に相手を従わせることの方が大事。それは、仕えるという生き方とは正反対の生き方である。それは支配であり、そこに愛はない。
よく、「サーバント・リーダーシップ」ということが言われる。これは、もともと聖書の価値観から生じた言葉だ。真のリーダーとは、支配者ではなく、仕える者(サーバント)であるべきだということだ。
支配するのではなく、相手の益を考える、これが「仕える」という生き方である。いわゆるトップダウンの殿様商売ではないということだ。常に最前線の従業員のこと、部下のこと、顧客の益を考えるなら、ビジネス的にも成功できるだろう。
もちろん、これはビジネスパーソンだけのことではない、夫婦関係にも、親子関係にも、すべての人間関係に言えることだ。
もし私たちが「仕える」という生き方を身に付けたら、多くの人を幸せにし、何よりも自分自身が幸せになるだろう。
この「仕える」ということは、テクニックではない。これがテクニック化すると、表面的には仕えながらも、しっかりと相手を支配することになってしまう。いわゆる仕えているふりをしてしまうことになる。
「仕える」というのは、テクニックではなく、生き方なのだ。そうすることが、自分の喜びなのだ。
その喜びの源はどこから来るのだろうか。聖書には、「受けるよりは与える方が、さいわいである。」(使徒行伝20章35節)と書かれている。
人は、愛されることはもちろんだが、愛する時にもっと幸せなのだ。自分が仕えることで、相手が幸せになる時、自分はもっと幸せなのだ。
この真の幸福感を経験すると、仕えることが喜びとなってくる。
支配することから、仕えることへ。奪うことから、与えることへ。傷つけることから、愛することへ。愛に生きていこう。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
Illustration by Rutsuko
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