明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第34号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
私たちは人生という旅路の中で、時には、失望を味わうことがある。これまでの人生を振り返る時、自分の立てた計画、夢、願望が全てその通りになってきたという方は、そう多くはないだろう。
いやむしろ、子どもの時の夢も、大人になってからの願望も、その通りにならなくて失望したことの方が多いような気がする。
生きている以上、失望を経験することは避けられない。しかし、その失望が、絶望へと進むか、希望へと進むかは、同じ失望でも大きな違いだ。
ここで一つ考えてみたいことがある。私たちは、物心のついた頃から今に至るまでさまざまな願い事を持ったと思う。もしその願い事がすべてかなっていたら、自分の人生はどうなっていただろうか。
つまり失望することなく、すべてが願い通りになっていたとするなら…、意外と自分の人生はメチャクチャになっているのではないだろか。
あの時は、どうしても欲しい、なりたい、これさえ手に入れば…と思ったけれども、今振り返ってみると、あの願い事はかなわなくて良かったと思えることも多々あるように思う。
失望とは、人生を安全に導く、赤信号の役割を果たすこともある。しかし赤信号があるなら青信号もある。失望の次には、必ず新しい希望の道が開かれる。
失望が、希望につながるか、それとも絶望につながるか、その岐路に立たされた時、私たちは、どうしたら希望に向かうことができるのだろうか。
希望は、過去を肯定することから生まれる。過去を肯定できなければ、将来も肯定することはできない。後悔からは希望は生まれない。
そして、過去を肯定することは、今の自分を肯定することから始まる。あの辛い経験、傷ついたこと、失敗したことなどが、今の自分を形作っているのは確かだ。
今の自分が、神に愛されているということ、それはたとえ傷ついていても、痛んでいても、できなくても、持っていなくても、それでもなお赦され、愛されているという事実だ。
今の自分を肯定する根拠は、さまざまな過去を歩んで来た自分が、そのままで神に愛されているという事実にある。
その時、初めて未来に向かって希望を持つことができる。
人生において失望を経験することは避けられない。しかし、神の愛に生きるとき、失望は新しい希望を生み出す種となる。
しかし、それでも失望が希望ではなく、絶望に向かって進んでしまうことがある。絶望の先に待っているのは、完全な自己否定だ。絶望の崖っぷちから引き返すためには、どうしたらいいのだろうか。
本人は、大切な何かを失って絶望している。もう全てが終わったかのように思っている。本人には、自分の力で希望の光を灯すことはできない、もうそんな力は残っていない。だから絶望しているのだ。
そんな時には、本人以外の誰かが必要となる。本人は絶望していても、誰かがその人に対する希望を持っていれば、その希望の光は絶望の闇の中に光を灯す。夜空が暗ければ暗いほど輝きを増す星のように。
たとえ、そのような人がそばにいなくても、誰よりも一番近くにいてくださる神は、私たちに対する希望を失わない。
人間は絶望することがある。しかし、神は絶望することはない。なぜなら神は希望の神だから。たとえ、あなたが希望を失っても、神はあなたに対する希望を失わない。神は「あなたの人生は大丈夫だ」と力強い手で支えてくださる。目の前に自分の影が見える時、それは後ろから光が照らされているのだ。希望の神に振り返ろう。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
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