明るくあたたかい文章が人気のメッセージ「関真士のAmazing LIFE」を、WEBコラムとして不定期でご紹介しています。今回は第36号の全文をご紹介します。このコラムは、このページの最後から、無料でダウンロードしてA4用紙にプリントアウトできます。気に入ったらぜひプリントして周りの方に手渡してください。
今日の朝は、どんな目覚めだったろうか。ぐっすり眠れただろうか。中には夜勤明けで、朝から眠るという人もいるだろう。その人にとっての目覚めは夕方かもしれない。いずれにしても、人間は眠って、そして目覚める。目覚めた時が、その人にとっての朝になる。
ぐっすり眠れた快適な朝、今日の予定を考えてウキウキするような朝、そんな朝を迎えた方もいるだろう。
一方で熟睡できず、今日の予定を思うと心が重たくなるような、鬱々とした朝を迎えた方もいるだろう。
人生いろいろ、それぞれの朝がある。しかし、どんな朝であろうとも、「おはよう」というたった一言でいい、その一言を言ってくれる存在がいたら、私たちは新しい一日を始めることができる。
そんな私は、一人暮らしをしていた時、「おっはよー!」というアラーム音を出す目覚まし時計で起きていた(笑)。
興味深いことに、聖書の背景にあるユダヤの文化では、一日の始まりは日没からスタートするそうだ。日が暮れると「今日も一日が始まるぞ」という感覚になるのだろうか。ちょっと違和感がある。
しかし、よく考えてみると日の出から日没、つまり朝から夜に向かって行く時間の流れと、逆に夜から朝に向かう時間の流れでは、生き方に大きな影響があるように思う。
なぜなら私たちは、確かに時間に動かされているからだ。どのような時間の流れに生きているのかを考えてみるのも面白い。
人生を12時間(朝6時から夜6時)にたとえて、今の自分は何時にいる?という考え方がある。私は60歳なので、だいたい夕方の4時くらいだろうか。この場合、日没で人生が終わりになる、という時間の流れだ。これは、今は昼間で明るいが、やがて日没を迎える。日々、夜に近づいていくという人生観になる。
しかし聖書の時間の流れは逆だ。今は夜でも、朝に向かって、光に向かっていくという時間の流れなのだ。これは、だんだん暗くなるのではなく、日々だんだん明るくなっていくという人生観になる。
聖書には「夕暮れには涙が宿っても 朝明けには喜びの叫びがある」(詩篇30篇5節)ということばもある。
人生には、真っ暗な闇の中を歩むこともある。先が見えない暗いトンネルに入り込むこともある。しかし、私たちは朝に向かっている。必ず夜が明ける時が来る。トンネルを出た時の眩しい光があなたを待っている。
さらに興味深いことに、聖書の中でイエス・キリストが「おはよう」と言われている場面がある。
それは、イエスを十字架という刑罰で失い人生の真っ暗闇の中にあった者たちに対して語られたことばだ。
もうお先真っ暗という状態にあった者たちに「おはよう」と言って、新しい朝を与えてくださった。この者たちにとって、まさにトンネルを抜け出た瞬間であった。そして同時に、イエスはこの者たちに新しい使命を与えてくださった。その使命は、この者たちの生きる意味となり希望となったに違いない。
今日も、明日も、イエス・キリストは私たちが朝を迎えるたびに「おはよう!」と声をかけてくださる。それは機械のアラーム音ではない、慈愛に満ちた、優しさに満ちた、希望に満ちた声だ。あなたを愛し、あなたと共にいてくださるお方の声なのだ。
たとえ眠れぬ夜があったとしても、気が重くなる朝であったとしても、絶えず共にいて、あなたを支え、守り、励ましてくださるお方の声がある。
「おはよう!」 この声で明日も新しい朝を迎えよう。
1964年東京生まれ。荒れ果てた10代を過ごし、20歳の時にコックの仕事で渡米し、クリスチャンとなる。その後、27歳で東京聖書学院を卒業し牧師となる。40歳の時にハワイにあるホノルル・キリスト教会の牧師となり現在に至る。家族は、愛する妻と4人の子供。趣味は、料理と茶道、サーフィン。
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