聖書の中の「香り」のお話

       
  • 2024/6/20
  • 最終更新日:2024/6/20
聖書の中の「香り」のお話

こんにちは、ノイです。
今回は、聖書に登場する「香り」についてのお話です。
聖書では、私たちが見ることができないことを理解しやすくするために、自然界に存在する事柄を見えない事柄の象徴や比喩として用いることがあります。

例えば、ヨハネによる福音書では、神の霊(聖霊)の働きが自由に吹き動く「風」にたとえられています。どちらも目には見えませんが、確かに存在し、働いているものです。
ほかにも、「神の言葉とそれを受け取る人の心」に関する教えでは、神の言葉は「種」、人の心は「土地」にたとえられています。
同じ種であっても、蒔かれた土地の状態によって育ち方や実のなり方が違う、という自然界の現象を通して、同じ神の言葉を聞いても、受け取る人の心の有り様によって結果が変わってくるのだ、ということを分かりやすく教えているのです。

私たちがもっと神のことを理解し近づくことができるように、私たちの身の回りにあるさまざまな事柄を用いて、見えない神の世界の理(ことわり)が示されていることを感じますね。
今回は、聖書に書かれた「香り」を通して、神が語られていることに耳を傾けてみたいと思います。


ノイ
Writer Profileノイ

日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。

 

おもてなしの香油

おもてなしの香油嗅覚は他の感覚よりも感情や記憶に働きかける力が強く、自律神経などにも作用して全身に影響を与えると言われ、香りは古くからリラックス効果にも用いられてきました。
香りの元となる香料は、さまざまな地域で儀式や治癒に利用され、時に客人のもてなしにも用いられており、古代イスラエルでも、オリーブ油に香料を入れて香油を作り、家に迎えた客人の頭に香油を塗る習慣がありました。
特に食事の前には、家の主人が客人の額に香油を塗って、日射しで乾ききった皮膚を潤し、客人の心身を癒したそうです。
このもてなしの香油は、有名な旧約聖書の『詩篇』23篇にも登場しています。

あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油(※)をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
詩篇23篇5節

※新改訳聖書では「香油」と訳されています。

詩篇23篇は、「主は私の羊飼い。私には乏しいことがありません」という一文から始まっており、著者と神の関係が「羊と羊飼い」の関係にたとえて詠まれた詩ですが、引用文では、神が宴(うたげ)の主人となって著者ダビデを歓迎している様子が描かれています。
ここでは、弟子たちの足を洗って仕えられたイエスのように、恵みの神ご自身が私たちを歓迎し、香油を注いで潤し癒すように、どのような状況にあっても平安と祝福を与えてくださる、ということが表されているのです。

●詩篇についてはこちらをどうぞ。

 

神に捧げる香り

旧約聖書の『出エジプト記』には、神へ捧げる香料と香を焚(た)くための祭壇に関する掟(おきて)が書かれています。

あなたはそれ(※)を、あかしの箱の前にある垂幕の前に置いて、わたしがあなたと会うあかしの箱の上にある贖罪所に向かわせなければならない。
アロンはその上(※)で香ばしい薫香をたかなければならない。
朝ごとに、ともしびを整える時、これをたかなければならない。
アロンはまた夕べにともしびをともす時にも、これをたかなければならない。
出エジプト記30章6~8節

※「それ」及び「その上」とは、「香をたく祭壇」を指します。

旧約聖書の時代、民の代表である祭司(さいし)が神の幕屋に入って仕え、民に代わって神に感謝の奉納物や罪の贖(あがな)いのための生贄(いけにえ)を捧げていました。
引用した聖句に書かれている「アロン」とはモーセの兄で、イスラエル民族における最初の祭司であり、彼の子孫は代々祭司の務めを担う部族となります。

神のおられる場所に入って仕えることは、当時、祭司にしか許されていませんでしたが、イエス・キリストによって十字架で贖いの業(わざ)が成されてからは、イエスを信じる人は誰でも、いつでも、祭司のように神と直接出会い、祈りを捧げ、交わることができるようになりました。
ここでは祭司が日ごとに香を焚く務めについて書かれていますが、今、イエスを信じる私たちにとって何を意味しているのでしょうか?

「祈り」を意味する香り

掟の中で、香を焚く祭壇は祭司が「神と会う手前」に置くように定められており、聖書で「香り」は神への「祈り」を意味しています。
つまり、毎日、神と出会うためには、神の前に香の煙を立ち昇らせるように祈りを捧げることが必要であり、一日の営みの始まりと終わりには祈る時間を持ちなさい、ということです。
祈りも、香りのように目には見えない神への捧げ物なのです。

わたしの祈を、み前にささげる薫香のようにみなし、
わたしのあげる手を、夕べの供え物のようにみなしてください。
詩篇141篇2節

●「祈り」についてはこちらをどうぞ。

 

イエス・キリストにまつわる香り

イエス・キリストの生涯においても、香りに関する記述がいくつかありますのでご紹介しましょう。

生誕の贈り物

イエス・キリスト生誕の折、東方の三博士が黄金と乳香と没薬を贈り物として携えて来たことは有名なお話ですね。

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
マタイによる福音書2章11節

現在のクリスマスプレゼントの起源になったとも言われているこの3つの贈り物には、それぞれに意味がありました。

黄金

「黄金」は、イエスが「王」であることを象徴しています。

「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました」。
マタイによる福音書2章2節

古代から貴重な品であった黄金は、王への贈り物としても用いられていました。
例えば、ヘブライ王国最盛期の王ソロモンのもとに、王の知恵を求めてシバからやって来た王女は、非常に多くの金と宝石、香油を贈ったことが旧約聖書に書かれています。

シバの女王は主の名にかかわるソロモンの名声を聞いたので、難問をもってソロモンを試みようとたずねてきた。
彼女は多くの従者を連れ、香料と、たくさんの金と宝石とをらくだに負わせてエルサレムにきた。
列王記上10章1~2節

イエスに黄金が捧げられた記録は、世界の王であるイエスがこの世に来られたということを表しています。

乳香

香炉で焚く習慣「乳香」は、イエスの「神性」を意味しています。
また、乳香は聖書で「祈り」を象徴しているとも言われ、祈りを捧げる対象は創造主なる神のみです。
博士がイエスにひれ伏して拝み、乳香を捧げたということは、「イエスが神である」ということを表しているのです。

乳香【別名フランキンセンス:「真の薫香」の意】

アラビア半島や紅海地域に生息する、カンラン科の乳香樹から採れる樹脂。
聖書の時代、黄金に匹敵するほど高価なものだった。
心を落ち着かせ、浄化作用がある香りとして古くから多方面で用いられ、現代のカトリック教会などでも薫香として香炉で焚く習慣がある。

没薬

「没薬」は、「死」を象徴し、死者への贈り物であると言われていました。
幼子イエスに没薬が贈られたことは、イエスが救い主としてこの世に生まれ、全ての人の贖罪(しょくざい)のために死んだ後、復活することを示唆(しさ)していたのです。
イエスが十字架につけられた際に、没薬がワインに混ぜて手渡されたという記録があります。

そしてイエスに、没薬をまぜたぶどう酒をさし出したが、お受けにならなかった。
マルコによる福音書15章23節

没薬は鎮痛のために混ぜて差し出されましたが、イエスはそれを拒み、苦しみをそのまま受けられました。
それは、私たちの身代わりとなって、神の裁きとしての「死」をことごとく飲み干すためでした。

ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。
それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。
ヘブル人への手紙2章9節

没薬【別名ミルラ:「苦味」の意】

アラビア半島や紅海沿岸に育つカンラン科の低木から採れる樹脂。
殺菌効果があり、古代から薬としても使用され、エジプトではミイラ作りの防腐剤に用いられていた。
穏やかな香りで、旧約聖書『エステル記』には、王のそばめとなる準備期間中の女性に用いられていた記述がある。

埋葬のための香料

新約聖書で没薬は、イエスの誕生と死、そして埋葬の場面にも出てきます。
イエスが十字架で死んだ後、当時の習慣に従って、弟子たちはイエスの死体に没薬などの香料が入れてある亜麻布を巻きました。

また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤(※)ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた。
ヨハネによる福音書19章39~40節

※約30㎏

「没薬と沈香を混ぜたもの」が、約30キログラムあったと書かれていますので、ニコデモは全身に塗るために十分な量を準備したのでしょう。

古代イスラエルでは、一旦、お墓に一年ほど遺体を安置し、骨だけになると家族や親戚と同じお墓の骨壺に納められましたが、イエスはアリマタヤのヨセフという人が提供した「まだ誰も葬られたことのない新しい墓」(ヨハネによる福音書19章41節)に葬られました。
このことによって、イエスの死だけでなく復活もより確かな出来事となったのです。

ちなみに、イエスの埋葬に関わったニコデモは当時の律法学者であり、アリマタヤのヨセフは金持ちで身分の高い人でした。
二人はイエスの生前、ユダヤ人を恐れて自分がイエスの弟子であることを隠していましたが、十字架の事後、イエスを葬ることで自らがイエスを信じる者であるということを公にしたのでした。

ナルドの香油

十字架刑の前に、イエスに香油を注いで「葬りの日」の儀式を行った女性がいました。
その女性とは、死んだ兄弟ラザロをイエスに生き返らせてもらっていたマリアでした。

イエスに死が近づいていることを感じたのでしょうか、マリアはイエスが家で夕食をする際に、非常に高価なナルド香油を持ってきてイエスの足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭ったのです。

過越の祭の六日まえに、イエスはベタニヤに行かれた。
そこは、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロのいた所である。
イエスのためにそこで夕食の用意がされ、マルタは給仕をしていた。
イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた。
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤(※)を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
ヨハネによる福音書12章1~3節

※約300グラム。

見ていた弟子たちは「もったいない!」とマリアを咎めましたが、イエスは次のように話しました。

イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。
わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。」
ヨハネによる福音書12章7節

「それをとっておいた」とはどういう意味でしょうか?

古代イスラエルでは、娘が誕生すると、将来結婚するための贈り物として、両親がナルドの香油を購入する準備を始めます。一般人の年収に相当するほど高価であるため、年月をかけてやっと手に入れた香油を石膏の壺に入れて娘に贈り、娘は結婚するまで宝として大切に保管するのです。

マリアはこの大切に保管していた自分の香油を、十字架に向かうイエスのために全て捧げました。
これが、マリアのイエスを拝し、仕え、感謝する精一杯の気持ちの表現でした。

「香油のかおりが家にいっぱいになった」とありますが、マリアの心を表した見えない香りは、その場にいたイエスを始めとする人々の心にしっかりと刻まれたことでしょう。

よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう。
マルコによる福音書14章9節

ナルド【別名:スパイクナード】 

高山植物であるオミナエシ科の根から採れる。古くから薬用としても用いられている。強い香りを放ち、鎮静作用がある。

終わりに―「キリストの香り」

最後に、イエスの麗しさを讃えた讃美歌をご紹介します。
心の王座にイエスを迎え、良き香りが放たれることを求めつつ…

新聖歌286番『シャロンの花』

シャロンの花 イエス君(きみ)よ わが内に開き給え
良き香り麗しさを われに分かち与えつつ
シャロンの花イエスよ わが心に 咲き給え

シャロンの花 イエス君よ 汝(な)が香り放ち給え
わが言葉 行いみな 汝(なれ)のごとくになるまで
シャロンの花イエスよ わが心に 咲き給え

シャロンの花 イエス君よ 病むこの身 癒し給え
罪を消す恵みの露 われをきよめ潤おして
シャロンの花イエスよ わが心に 咲き給え

わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、
神に対するキリストのかおりである。
コリント人への第二の手紙2章15節


【参考文献】
「あたらしいアロマテラピー辞典」木田順子 高橋書店

●こちらの記事もどうぞ

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