こんにちは、りんごです。
ミケランジェロやラファエロといった有名な芸術家は多くの宗教画を残しています。その名画の多くが、旧約聖書や新約聖書の物語をモチーフに描写されているのは有名な話ですね。西洋絵画を楽しむには、聖書の物語はぜひ知っておきたいところです。しかし、聖書は分厚くて読むのはちょっとハードルが高いという方は多いのではないでしょうか。
今回は、数ある西洋絵画の中から旧約聖書の絵画を抜粋し、西洋絵画から聖書の教えの概要を知って頂きたく、「目で見る聖書」としてご紹介していきたいと思います。
一度は見聞きしたことがある名画ですので、最後には「聖書って面白い!」と楽しんでいただけたら幸いです。
中学から大学までプロテスタント系の学校で聖書に触れる。 学生時代は「聖書より遊び」でしたが、大人になった今、あの頃の教えと現実世界が何かしらリンクすることに気づきはじめました。趣味は料理、飼っている犬のお世話です!
旧約聖書は、神による天地創造からイエス・キリストが誕生する400年ほど前までの、イスラエルの民の歴史が書かれています。
新約聖書は、処女マリアの受胎告知から救世主イエス・キリストの教え、そしてこの世の終わりについての黙示が書かれています。
よく、旧約聖書は「古い約束」で新約聖書は「新しい約束」と分断されがちですが、旧約聖書で預言している救世主はイエス・キリストだったということが新約聖書に記されていますので、繋がりのある書物と考えた方がいいといわれています。
西洋絵画ではキリスト教をモチーフにした絵画がとても多いです。
5世紀ごろの西ヨーロッパでは、キリスト教が国教化されはじめます。読み書きができない人々にも広くキリスト教を伝授しようと絵で表したのが宗教画の始まりだといわれています。本来であれば、偶像崇拝を禁止としているキリスト教ですが、正確に伝授するためには仕方のない方法だったのかもしれませんね。
旧約聖書は新約聖書に比べ圧倒的に分量が多い書物です。
旧約聖書の始まりは、神が世界を創造したところから始まりますが、今回は「アダムとエバ」の創世記時代からイスラエルの民と神との約束「十戒」の出エジプト記時代までを時系列でわかりやすくご紹介します。
聖書箇所:創世記2~3章
この絵画はとても有名なので、一度は見たことがあるのではないでしょうか。
神は天地創造の6日目に動物を造り、最後にこの世界を管理する者として、またご自分の愛を注ぐ対象として、自分に似せた人間を土で造ります。この人間が、アダムとエバと認識している人も多いようですが、実は神が最初に造った人間はアダムだけでした。しかし、神は「人が独りでいるのはよくない。彼を助ける者を造ろう」とアダムのあばら骨を抜き、そこからエバを造ります。二人は苦しみのない楽園「エデンの園」で裸のまま何不自由なく幸せに暮らしていました。しかしある日、エバは、神から絶対に食べてはいけないといわれていた「善悪の知識の木の実」を、蛇の誘惑に負けて食べてしまいます。さらに、その実を食べても死なないと知ったエバは、アダムにも勧めてしまったのです。
ラファエロの絵画では、蛇にそそのかされたエバが「善悪の知識の木の実」を食べ、アダムに勧めている様子がくわしく描かれていますね。
しかし、よく見ると、この蛇の姿に少し違和感がありませんか?
下半身は蛇で上半身は人間。実は、この蛇の正体は、神と人の敵である悪魔(サタン)です。サタンは神と人間の仲を引き裂こうといつも暗躍しています。このときも、言葉巧みにエバを誘惑し、人に神との大切な約束を破らせることに成功しました。
ちなみにこの蛇が「エヴァンゲリオン」にもその名が出てくる「リリス」だと言う説がありますが、これはユダヤの伝承によるもので、聖書のこの箇所にリリスという名は出てきませんし、現代のキリスト教会では一般的な説ではありません。
また蛇はイスラエルの敵であった古代バビロニアの象徴でもあったので、蛇がバビロン帝国を象徴しているとする説もあります。
いずれにしても、この箇所で蛇は神と人との仲を引き裂こうとする存在として描かれています。
聖書箇所:創世記3章
神から禁じられた「善悪の知識の木の実」を食べたアダムとエバの行為を、人類最初の罪「原罪」といいます。「何が善で何が悪であるか」という知識(判断)は神の領域であったにもかかわらず、人間が善悪を区別するというその行為が、罪の本質(原罪)であると聖書は語っているのです。
(「原罪」については、こちらの記事でも詳しく解説しています!)
「善悪の知識の木の実」を食べたアダムとエバは、自分たちが裸でいることに羞恥心を抱くようになりました。この絵からもわかるように、局部などを葉っぱで隠していますね。
二人が「善悪の知識の木の実」を食べたことを知った神が理由を問うと、エバは蛇のせい、アダムはエバのせいだと言います。二人の責任転嫁にひどく怒った神は、二人から永遠の命を取り上げます。さらにエバには産みの苦しみを、アダムには重労働を課し、楽園から追放しました。ドメニコの絵にも、神が激高しているのがよく表現されています。
現在において、命に限りがあり、出産に痛みが伴うのは、このアダムとエバの「原罪」からきているというのが聖書の教えです。
聖書箇所:創世記4章
エデンの園から追放されたアダムとエバには、その後長男カイン、次男アベルが生まれます。カインは農作物を、アベルは子羊を育て、それぞれ神に献上するのですが、神はアベルの子羊だけを受け取ります。このことでカインは嫉妬に狂い、アベルを野原へ呼び出し殺してしまうのです。これが、人類初の「嫉妬」と「殺人」です。
そもそも、なぜ神はアベルの子羊だけ受け取ったのでしょうか。
聖書ではアベルの献上物のみが神に顧みられた理由を具体的には示していませんが、アベルの献上物は「ういごの肥えたもの」(最上品と想起させる)と記され、カインの献上物は「地の産物」とのみ記されていることから、献上物への思い、つまりは神に捧げる姿勢が問われたともいわれています。
カインは自分が阻害されたのだと思いこみ、弟を殺してしまったのですが、ただ単にカインの捧げものが神から見てふさわしくなかっただけなのです。
神はカインに対して「正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。」と語っていることから、神は受け入れられる献上物と捧げ方について事前に明示しておられたと思われますので、カインが自己本位の捧げ物をしてしまったことに違いはないのでしょう。
その後、弟を殺したカインは、神によってエデンの東のノドへ追放されてしまいます。
聖書箇所:創世記6~9章
アダムとエバの時代から何世代も過ぎた頃、地上は人で溢れかえります。人が多くなっていくと同時に罪や争いも増え、地は不法で満ちていきました。神はそれをご覧になって心を痛め悲しまれます。そして神は地上を一度リセットしようと決断します。大洪水を起こし一掃しようと計画したのです。しかし、神に従順で清く正しい心を持ったノアだけは生かしておこうと、この計画を伝え、ノアの家族とあらゆる動物のつがい1組ずつを方舟に乗せるよう指示します。
これが、「ノアの方舟」です。
神が起こした大洪水は40日40夜続き、地上のあらゆるものを滅ぼしました。水の勢いがおさまった頃、ノア達は地上に降り、そこで神へ祭壇を建て感謝を捧げます。
ドメニコの絵画からもその様子がよくわかります。
神はノアの感謝を受け入れ、今後このような大洪水で全ての生き物を滅ぼすことは決してしないことを約束しました。そして、その約束の証として虹をかけたと聖書には記されています。
「ノアの方舟」についての神の行いは人によってさまざまな捉え方があります。私が通っていた教会の方は、「日々の信仰で人は必ず救われる」「激しい嵐はいつかは終わり、空は晴れて虹がかかる」などといった教えを伝えたかったのだろうとおっしゃっていましたが、それぞれに受け止めるところがあることでしょう。一般的には「ノアの箱舟」はのちの「イエス・キリストの救済」を象徴しているとも言われています。いずれにしても、私たちが理解できないことでも、神様のご計画があることを感じます。
聖書箇所:創世記11章
ノアの方舟の後、大洪水などの災害は起こることなく、地上では順調に人が増えていきました。その頃の人間はみんな同じ言語を話していました。人間は石の代わりにレンガを作り、漆喰の代わりにアスファルトを作るといった技術を手に入れます。人間は、次第に神への畏怖が薄らぎ、自分たちの団結力と技術を誇示するために、神のいる天まで届く塔の建設を始めました。
これが、有名な「バベルの塔」になります。
この時人々は「頂きを天に届かせ、名を上げよう」と言っています。これは「神のようになりたい」という思いの現れです。神は人が一致団結したときには大きな力が発揮されることを知っていました。そして罪ある不完全な人間が間違ったことに一致団結したら大変なことになるとわかっていました。この力は人間のコミュニケーションツールである言語が単一であるがために起こるものだと結論づけ、人間の言葉をバラバラにしました。言語をバラバラにしたことで、人間の団結力は衰え、塔も完成できずに失敗に終わります。
その後、人々は同じ言葉を話す者同士、小さなコミュニティを作って世界へ散ったといわれています。
現代における多様な言語も、この「バベルの塔」が所以だといわれています。
聖書箇所:出エジプト記19~20章
ノアの子孫の一人であるヤコブは、天使と戦い勝ったことで「イスラエル(神と戦った者)と名乗りなさい」といわれます。このヤコブには12人の息子が生まれますが、これらがイスラエル人の12部族の元となりました。この12兄弟の11番目の子ヨセフは、ヤコブの年寄り子で溺愛されていました。そのため、他の10人の兄たちからひどく嫉妬され、ある日、兄たちはヨセフを奴隷としてエジプトに売ってしまいます。しかし、神を愛していたヨセフは、神の守りと知恵で、あらゆるエジプトの危機を救い、出世してエジプトで成功をおさめていきました。(ヨセフの物語について、くわしくはこちらの記事で解説しています!)
世界的飢饉に苦しむヤコブとヨセフの兄弟たち一族は、エジプトのヨセフのもとに身を寄せ、今度はエジプトで子孫を増やしていくのですが、増え続けるイスラエルの民をエジプトの民は許すわけがありません。イスラエルの民が増えて力を持つことを恐れたエジプトの王ファラオは、これ以上は増えないようにと生まれてくるイスラエル人の男児を次々殺害します。しかし、時の王女は可哀そうに思い一人のイスラエル人の男児を拾って育てました。
その人物が、のちに神からの約束「十戒」を頂くこととなるモーセです。
モーセは、迫害を受け続けるイスラエルの民たちを引き連れ、エジプトから約束の地カナンへ脱出に成功します。このエジプト脱出劇は、モーセが海を割りイスラエルの民を救ったとして映画などでも有名ですね。
無事にエジプトを脱出したモーセは、カナンを目指している途中のシナイ山の麓で神から10の約束を授けられます。「イスラエルの民が忠実で、私との10の約束を守るのなら特別な民族にしよう」と。
それが、神と人間との約束「十戒」です。
十戒の内容は以下のとおりです。
さて、ここでご紹介しているレンブラントの絵画では、絶望に満ちたモーセが十戒の書かれた石版をたたき割ろうとする様子描かれています。
イスラエルの民は神との約束を守ることができなかったのです。モーセは一人シナイ山に登り、神と向き合って十戒を授けられたのですが、その間にイスラエルの民は金で子牛の像を作り、真の神ではなくこの像にいけにえを捧げ、乱れた行為に陥ってしまいました。山から降りたモーセは絶望し、十戒が刻まれた石版をたたき割りました。これにショックを受けたイスラエルの民は心から悔い改めたことで神に受け入れられ、再び神との約束を結ぶことができました。
この「十戒」は、今後、イスラエルの民の指針となっていくのです。
(「十戒」について、くわしくはこちらの記事で解説しています!)
ここまで、旧約聖書がモチーフとなっている絵画を簡単にご紹介しましたが、いかかでしたでしょうか。
実は、旧約聖書は時系列で書かれていません。読んでいても時代背景がわかりにくい場合があります。こうやって時系列でまとめてみると、西洋絵画の成り立ちやキリスト教の背景にある教え、歴史がひしひしと伝わってきますね。
ちなみに、日本でも旧約聖書をモチーフにしたアニメがあるのはご存じですか?あの有名な「新世紀エヴァンゲリオン」もそのひとつですね。聖書はいろんなところで活用されている書物です。
「アダムとエバ(イブ)」「カインとアベル」「バベルの塔」など、なんとなく知っているというお話だったと思います。これらは聖書に書かれていたんですね。
この記事が、聖書って面白い!という気持ちに少しでもなっていただき、興味を持っていただけたら幸いです。
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