こんにちは、ノイです。
今回のテーマは聖書の中に登場する「パン」です。
紀元前4千年頃、小麦栽培発祥の地メソポタミアで誕生し世界中に広がっていったパンは、古代イスラエルにおいても、日々の主食のみならず、オリーブ油や乳香と共に神への捧げ物として用いられ、例祭でも欠かせない存在でした。
パン、と言うと「人はパンのみにて生くるものにあらず」という有名な聖書の言葉を思い出される方もいるかもしれませんね。
また、聖書をよく知っている方は、イエスが話した次の言葉を思い浮かべるかもしれません。
わたしは命のパンである。
(ヨハネによる福音書6章 48節)
この言葉のように、聖書の中でパンが登場する出来事や教えは、パンが物質的な食べ物としての意味だけではなく、もっと深い意義を持っていることがあります。
ここではその中からいくつか取り上げて、パンを通して私たちに語られていることをご説明したいと思います。
目次
日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。
古代イスラエル人の食事は1日2回(昼と夕)で、家族全員が集まって食卓を囲み、塩で味付けした野菜、豆類、羊肉やヤギ肉、果物等と一緒にパンを食べていました。
パン種(※1)を入れて発酵させたふっくらタイプと、パン種の入っていない平たく硬いタイプのパンがあり、原料の主流は大麦で、小麦は少し贅沢品として扱われ、貧しい人々はスペルト小麦(※2)や粟(あわ)を用いていました。
※1 当時は、発酵したパン生地の一部を種として残し(これを「パン種」と言います)、そこから少量取って新しい粉に混ぜて全体を発酵させ、膨らんだパンを作っていました。
※2 堅く厚いもみがらを特徴とした品種改良がなされていない古代小麦の一種です。
聖書で最初に「パン」という単語が登場するのは、『創世記』でイスラエル民族の祖アブラハムが周辺国の王との戦いに勝利した際に、パンとぶどう酒を持って来たサレム(後のエルサレム)の王メルキゼデクから祝福を受ける場面です。
その場面以降も、数えきれないほど多くの場面にパンが登場します。
実際に、旧約聖書に書かれているパンの登場場面を一つご紹介しましょう。
『創世記』には、自分の天幕にやって来た3人の旅人をアブラハムが食事でもてなして給仕する場面があり、凝乳、牛乳、出来立ての子牛の料理と一緒にアブラハムの妻サラが作ったパンも食卓に並びました。この3人は実は神と御使いでした。
「わが主よ、もしわたしがあなたの前に恵みを得ているなら、どうぞしもべを通り過ごさないでください。…(略)…わたしは一口のパンを取ってきます。元気をつけて、それからお出かけください。せっかくしもべの所においでになったのですから」。…(略)…そこでアブラハムは急いで天幕に入り、サラの所に行って言った、「急いで細かい麦粉三セヤをとり、こねてパンを造りなさい」。
(創世記18章3~6節)
アブラハムが一生懸命に客人をもてなそうとしているのが伝わってきますね。
新共同訳聖書では「パン」ではなく「パン菓子」、「細かい麦粉」は「上等の小麦粉」と訳されています。「3セヤ」は20L以上の量です。
聖書は色々な箇所で旅人をもてなすように教えています。
今もヨルダンの人々はもてなし上手と言われていますが、信仰の父アブラハムも上等の小麦粉を使ったパンで旅人をもてなしたのですね。
『創世記』の次の書『出エジプト記』では、神が天から降らせて直接人にお与えになった食べ物が登場します。それが「マナ」(Manna)です。
そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。」
(出エジプト記16章4節)
●「出エジプト」についてはこちらをご覧ください。
エジプトから脱出したイスラエルの民(※)は40年間荒野で旅をしながら、毎日、マナをパンや餅の材料にして食べました。
※アブラハムの子孫であるイスラエルの民は、当時400~600万人まで増えていたと言われます。神は膨大な量の食料を賄われたんですね!
後にも先にもないマナがどんな食べ物であったのかは想像するしかありませんが、とても興味深いですね。
以下は、聖書の記述からマナについてまとめたものです。
神は一人当たり1オメル(2.3L)ずつ平等にマナを集めるよう命じました。
「ただの食料」ではなく、「神が約束して与えられた糧」であるマナには不思議な特性があり、各々が大体の量で集めて来ても、計量するとなぜか誰の分も集めた量が1オメルになるのです。
神は、必要以上のものを不足しているところに補われ、誰にも過不足なく行き渡らせることができるのだ、ということをマナで見せてくださったんですね。
しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。
(出エジプト記16章18節)
神は民に「その日食べる分だけのマナ」を、毎日集めるように言われました。ここがミソです。
「明日は明日のマナがある。日々、わたしがあなたを養う」ということを、神はマナを通して民の一人ひとりに体得させ、神を信頼して教えを守るようにされたのです。
ただし、安息日(週の七日目)だけはマナが降らなかったため、民は前日に安息日分のマナも集めておきました。
そして、民が荒野の旅を終えて定住の地に到着し、食料を得られるようになるまでの40年間、休むことなく神は民にマナを降らせ続けました。
この出来事は、神の真実さを示しています。
イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。
(出エジプト記16章35節)
主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。
(哀歌3章22~23節)
昭和一桁の時代から、日本人に親しまれている森永製菓の幼児用ビスケット『マンナ』。あの赤いパッケージは、誰もが一度は目にしたことがあると思います。
実は、このお菓子の名前は聖書のマナから来ているそうです。
森永製菓の創業者である森永太一郎氏はクリスチャンで、「神が民に与え給うた愛の食べ物マナ」にちなんでビスケットを『マンナ』と名付けたと言われています。
ここからは少し教理的なお話になりますが、ぜひご紹介したいところなので目を通してみてくださいね。
聖書には「種なしパン」というパンが度々登場します。名前のとおり、「種」つまり酵母が入っていないため、平たく硬い無発酵のパンです。このパンは一体何を意味しているのでしょうか?
聖書において、「パン種」は「罪の象徴」です。ヘブル語の「パン種」の語源には、「酸っぱい」や「苦い」といった意味があるそうです。
新約聖書には「わずかなパン種がこねた粉全体を膨らませてしまう」(コリントの人への第一の手紙5章6節)ことを警告し、私たちを酸っぱくて苦い者にしてしまう罪の性質を取り除くよう教えている箇所があります。
反対に、種の入っていないパンは、罪のない生活の喜びや健全さを象徴し、更には、罪のないイエス・キリストの身体を指し示しているとされています。この種なしパンのことを、イスラエルでは「マッツァ(Matzah)」と呼びます。
次は、聖書の祭りの中で用いられるマッツァについてご説明します。
旧約聖書の『レビ記』には、7つの例祭に関する掟が定められています。
神は祭りについて「これは、あなたがたがどこに住んでいても、代々守るべき永遠の掟」(レビ記23章14節)として定め、イスラエルで現代に至るまで継承されています。
7つの例祭の中で春に行われる「過越の祭り」は、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの解放を記念するもので、過越の祭りの翌日から「種なしパンの祭り」が7日間行われます。この二つの祭りはワンセットになっています。
●過越の祭りについてはこちらをご覧ください。
祭りの期間中は、酵母を含む食べ物が禁止されるため、膨らんだパンではなくマッツァを食べます。
これは、解放されたイスラエルの民が、パンを発酵させる時間もないほど大急ぎでエジプトから脱出しなければならなかったことに由来しています。
正月の十四日の夕は主の過越の祭である。またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。あなたがたは七日の間は種入れぬパン(※)を食べなければならない。
(レビ記 23章5~6節)
※材料は、祭りが定められた時期(ユダヤ歴の正月)に収穫され捧げ物となる「大麦」であったと言われています
マッツァは、発酵が始まる18分以内に素早く材料を混ぜて焼き上げなくてはなりません。
18分以内に完成したマッツァは、パッケージに「過越の祭り用」という認定証を表示して売られます。祭りの期間以外でも種なしパンは売られていますが、これは時間を計って作られたものではないため、「過越の祭り用ではない」と表示してあるそうです。
小麦と水だけでも自然発酵はなされるので、種は入れていなくともマッツァの条件にはとても気を使っているのがわかりますね。
先ほど少し触れたように、種のないパンとは、罪のないイエス・キリストの身体を象徴しています。
クラッカーのような薄い生地のマッツァの表面には、フォークを刺してあけた無数の穴があり、焼き色の筋が入っています。
メシアニック・ジューの人たち(イエスを救い主として信じているユダヤ人)は、この穴を十字架で刺された釘の穴、筋はむち打ちの跡を表しているととらえています。
毎年、祭りの期間にマッツァを食べることは、エジプトでの奴隷生活から自由の身となった出来事に思いを巡らせるように、イエスが贖いの業によって、私たちを罪と死の奴隷から解放してくださったことを覚える意味も持っているのです。
「最後の晩餐」と言えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画を思い浮かべる方も少なくないと思います。
キリストが中央に座って弟子たちに囲まれた横長の絵は、西洋式に変えられているものの、この「過越の祭り」の食事を行っている様子を描いたものです。
旧約聖書の時代から脈々と受け継がれてきた祭りの儀式を、イエスは弟子たちと行われたのです。
弟子たちは出かけて市内に行って見ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。夕方になって、イエスは十二弟子と一緒にそこに行かれた。
(マルコによる福音書14章16~17節)
この祭りの晩に、イエスはご自身の預言通りに祭司長たちに捕らえられ、十字架に架けられることになります。
過越の祭りの食事で、イエスが取って裂き、弟子たちに与えたパンは、種のないパン「マッツァ」でした。
十字架を目前にしたイエスは、自分の命を捨てて、全ての人の罪の贖いを成し遂げる意味を込め、罪のないご自分の身体を表したパンを「受け取れ」と言われました。
イエスは「あなたを救うために、わたしの命をあげよう」と言われたのです。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取れ、これはわたしのからだである」。
(マルコによる福音書14章22節)
キリスト教の教会では、今も「聖餐式(せいさんしき)」(※)を行っています。
これは、イエスご自身が命じられた記念のための儀式です。
聖書でイエスご自身が行うように命じた儀式は、洗礼と聖餐式です。
※聖餐式はプロテスタントの呼び名で、カトリックではミサとか聖体の秘跡、正教会では聖体礼儀、聖体機密と呼ばれます。
わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。(コリント人への第一の手紙11章24節)
過越の祭りの日の夜、種なしパン「マッツァ」を弟子たちに渡しながら、イエスは「わたしを記念するために同じことを行いなさい」と命じられました。
従って、聖餐式のパンは、過越の祭りのパンと同じく種のないパン、イエス・キリストの罪のない身体を意味しているのです。
イエスを救い主として信じる人は、聖餐式によって、与えられたキリストの命と十字架による救いを改めて感謝して受け取るのです。
●「聖餐式」についてはこちらをご覧ください。
最後に、キリスト生誕の地であるベツレヘムについて少しご紹介しましょう。
エルサレムから南へ10キロほど下ったところにある山の上の小さな町ベツレヘム(BETHLEHEM)は、ヘブル語で「パンの家」という意味だそうです。
英雄ダビデ王が生まれ育った場所でもあるこの町の家畜小屋でイエスは生まれました。
ここベツレヘムで救い主が誕生することについては、紀元前8世紀に活躍したミカという預言者が書簡に書き残しています。
しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。
(ミカ書5章2節)
また、イエス誕生より遥か昔に書かれた『ルツ記』の舞台はベツレヘムです。
この地で、ルツという異邦人の女がイエス・キリストの系図に加えられた出来事は、ユダヤ人と共にそれ以外の全ての人が神に近づくことができることを意味しています。
神は「命のパン」である救い主イエスの誕生の地としてベツレヘムを選ばれ、本当に長い時をかけて準備されていたんですね。
聖書に登場するパンについて、その登場場面や意味など、いくつかご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?日ごとに必要であり、身近な存在であるパンだからこそ、神は深い意味を込められたのかもしれません。
聖書は、壮大な神の愛の計画とその計画が成し遂げられていく様を描いています。その中心は、イエス・キリストです。
今回は「パン」を通してそのほんの一部をご紹介したに過ぎませんが、どうぞ「命のパン」であるイエスを知ってみてください。
人が毎日ご飯を食べて元気になるように、イエスがあなたの心を力づけてくださるように願いつつ……。
参考文献
『主の例祭からの考察』栄子・スティーブンス著 オメガ出版
『図解 旧約聖書』池上良太著 新紀元社
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・クリップアートを使わせていただきました christiancliparts.net/(キリスト教クリップアートのサイト)
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