神様の奇跡には、ふと気が付くとなされている神のささやきのような形もあれば、誰の目にも明らかな偉大な奇跡もあります。
旧約聖書には、神がイスラエルという一民族を導く中で行われた、数多くの奇跡について記されています。
ここでご紹介する『エステル記』もまた、短いながらも非常にドラマチックな話の展開の中で神の業を見ることができる歴史書の一つです。
●歴史書(旧約聖書の構成)についてはこちらを。
『エステル記』には、ユダヤ人のエステルという女性が異国の地で王妃となり、民族滅亡の危機から同族を救う出来事が記録されています。
今回は、この記録に描かれた「登場人物たちの生き方」と「神の働き」に注目しながら読み解いていきたいと思います。
目次
日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。
まず、『エステル記』の舞台と登場人物について簡単にご説明します。
【時代】紀元前479~475年
【場所】ペルシア帝国(現イラン)首都スサ
アケメネス朝ペルシア第4代の王。
ペルシア帝国黄金期に在位するも、ギリシア遠征に失敗した後、暗殺される。
※『エステル記』のキーマン。
アハシュエロス王の最初の妻。王の命令に従わなかったため退位させられる。
ユダヤ人ベニヤミン族の末裔。年の離れたエステルの従兄弟であり養父。
王宮の仕事に従事する役人。
美女。両親を亡くし、モルデカイに引き取られ養女となる。
アマレク人(モーセやヨシュアと敵対した民族:申命記25章17~18節参照)の子孫。
ペルシア帝国のナンバー・ツー。
時代背景を補足しますと、紀元前586年に新バビロニアによって南ユダ王国(首都エルサレム)が滅亡し、ユダヤ人は捕虜としてバビロンの地に連行されます(この事件を「バビロン捕囚」と言います)。
●バビロン捕囚についてはこちらを。
その後、バビロンを制圧したアケメネス朝ペルシア王キュロス2世は、紀元前539年にユダヤ人がエルサレムに帰還することを許します。
帰還したユダヤ人に起こった出来事を記したものが旧約聖書の『エズラ記』です。一方、『エステル記』は、このときエルサレムに帰還せず、捕えられてきた地に残っていたユダヤ人の物語です。
物語は、当時のペルシア帝国の繁栄ぶりを示す大宴会の場面から始まります。
ペルシア帝国は現在のイランを中心に、西アジアの広範囲を支配する巨大帝国でした。
当時のペルシア帝国
様々な民族が入り混じる広大な領土を治めていたアハシュエロス王は「その盛んな国の富と、その王威の輝きと、はなやかさを示して」諸州の大臣や貴族、将軍たちを招き、約半年間(!)宴会を開きます。
『エステル記』では宴会の場面が多いところも特徴。異国情緒あふれる宴会の子細な描写を楽しみたい方は聖書を読んでみてください。
その後7日間続いた酒宴の最終日に、王は王妃の容姿の美しさを披露するため、ワシテに王冠をかぶって出て来るように命じます。
しかし、ワシテはなぜかこれを拒み、王の前に来ませんでした。
面目丸つぶれの王は激怒。
高官たちと話し合い、ワシテ追放の勅令を出して王妃の位から退けます。
※ペルシア帝国は法治国家です。
今度は王が寂しさを覚えるようになったため、側近たちは次の王妃を迎えるための一大行事(美人コンテスト)を始めます。
どうぞ王はこの国の各州において役人を選び、美しい若い処女をことごとく首都スサにある婦人の居室に集めさせ、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとにおいて、化粧のための品々を彼らに与えてください。
こうして御意にかなうおとめをとって、ワシテの代りに王妃としてください。
エステル記2章3~4節
この居室に集められた乙女の中に、エステルがいたのです。
乙女たちは1年をかけて没薬で身を清め、さらに香料や化粧で美しさに磨きをかけて王のもとに行きます。
その順番が来たとき、乙女は望むままに欲しい物を要求することができましたが、エステルは他の娘たちと少し違っていたようです。
さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。
エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。
エステル記2章15節
置かれている環境や人間関係は、人に大きな影響を与えます。
モルデカイのもとから、王の側女の一人として連れてこられたエステルが、どんな思いでいたのかはわかりません。
しかし、多くの装飾品や化粧品に囲まれ、慣れ親しんだ環境から離れても、エステルは自分を見失わず、それは王の寵愛を得てからも同じでした。
エステルはモルデカイが命じたように、まだ自分の同族のことをも自分の民のことをも人に知らせなかった。
エステルはモルデカイの言葉に従うこと、彼に養い育てられた時と少しも変らなかった。
エステル記2章20節
当時、ユダヤ人は、ペルシアに支配された弱い立場の民族であったため、モルデカイはエステルにユダヤ人出身であることを周囲に秘密にしておくように命じたのでした。
王宮内の複雑な人間関係にあっても、従順で謙虚なエステルは誰からも好かれました。
これは、エステルの置かれてきた境遇によるものと、モルデカイの養育の賜物でもあるでしょう。
エステルに会ってみたくなりますね。
謙遜と主を恐れることとの報いは、富と誉と命とである。
箴言22章4節
箴言の言葉のように、エステルは王から最も愛され、ペルシア帝国の王妃となります。このとき、王はエステルのための大宴会を催しました。
王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。
王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。
エステル記2章17節
後ほど明らかになるエステルの品性が、一朝一夕で作り上げられたものではないということが伝わってくるエピソードです。
エステルが王妃となった頃、ある事件が起こります。
宦官2人によるアハシュエロス王殺害の企てを知ったモルデカイが、エステルに知らせ、エステルがそれを王に告げ、王は事実を追求して宦官らを処罰するという事件です。
この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。
エステル記2章23節
※「日誌」は「年代記」とも訳されます。
この事件は後々、重要な意味を持ってきます。
さて、ここでハマンという首長が登場します。
アハシュエロス王に気に入られたハマンは、王に次ぐ地位にまで昇進。
王は家来全員に対して、ハマンに膝をかがめてひれ伏すように命令を出したほどでした。
王のこの命令は、その後大事件へと発展する事態を招きます。
ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされた。
エステル記3章5節
自分の出身部族の仇敵、アマレク人の末裔であるハマンに、たとえ王の命令であっても、モルデカイは屈することができませんでした。また、人に対して膝をかがめてひれ伏す行為が、神ならぬものを拝む偶像礼拝に近いものと考えていたのかもしれません。
モルデカイは、ハマンを敬礼しない理由として自分がユダヤ人であることを周りの家来たちに話します。
自分に敬意を払われていないと感じたハマンの憤りはすごいものでした。
ハマンは王に「属州に散らばっているある民族は独自の法律を持っており、王の法律に従わないため、そのままにしておくと王のためにならない。銀1万タラント(※)を王の金庫に入れるから、その民族を滅ぼせとの命令を出してほしい」と巧妙な言い回しで願い出ます。
※銀1万タラント=銀375トン
一つの民族を滅ぼそうという桁外れな計画の原動力は、プライドが絡んだ個人的な怒りでした。
怒ることがあっても、罪を犯してはならない。
憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。
エペソ人への手紙4章26節
苦い思いや怒りが心に満ちているままにしておくと、やがて自分自身の罠となり、人を傷つけるようになります。
だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。
御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。
ヤコブの手紙1章21節
※御言とは、聖書に書かれている言葉を指します。
王はハマンの計画を許可し、ハマンの好きなようにさせます。
王から「王の指輪」を渡されたハマンは、王の名で書き、王の指輪で印を押し、すべての州にユダヤ人根絶の法令を発布しました。
※当時の指輪は今で言うところの印鑑であり、王の権限そのものです。
この文書は急ぎの使者たちによって王のすべての州に送られ、第十二の月、すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに、ユダヤ人を若者から老人、子ども、女に至るまで一人残らず根絶やしにし、殺し、滅ぼし、また彼らの財産を奪い取ることとなった。
エステル記3章13節
※アダルの月(ユダヤ歴)=2~3月(西暦)
この王の命令によって、国は重苦しい空気に包まれ、残忍さを伴う暗い混乱に陥りましたが、仕掛け人ハマンと王は酒を酌み交わしていました。
法令を知ったモルデカイとすべてのユダヤ人は、粗布を着て灰の上に座り、嘆き悲しみました。
モルデカイは、発令を知らなかったエステルに、ユダヤ人の救いのため王に懇願するよう人づてに命じます。
窮地に立たされたエステルは、使者を通してモルデカイに答えます。
「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという一つの法律のあることを知っています。
ただし王がその者に金の笏を伸べれば生きることができるのです。
しかしわたしはこの三十日の間、王のもとへ行くべき召をこうむらないのです」。
エステル記4章11節
※強調は筆者
たとえ王妃であっても、呼ばれてもいないのに王の前に立つことは、命がけの賭けだったのです。
さすがのエステルも躊躇します。
王の機嫌ひとつで生死が決まってしまうこと、しかも1カ月近く自分が王から呼ばれていないことをエステルはモルデカイに伝えましたが、返ってきた答えは厳しくも的確なものでした。
「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。
あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。
しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。
あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
エステル記4章13-14節
※強調は筆者
歴史においても、危機的状況は人の内面をあぶり出します。
闇が深いほど光が際立つように、日常の中でぼんやりとしていたものが、より輪郭を帯びます。
モルデカイは生き方が一貫しており、いつも自分の祖先を導いた主(神)を意識して生きています。
そして、今もその神は変わることなく存在し、自分たちを救ってくれると信じています。
この信頼があるからこそ「神の考え、救いの方法はわからないが、この時にあなたが帝国の王妃となっていることが偶然だと思うのか?」とエステルに訴えているのです。
エステルの苦悩と恐れは計り知れません。
これまで見てきた王は、激すれば王妃であっても追放し、根絶対象とする民族を確認することもなくハマンの計画を容認し(金銭的な魅力に惹かれたのかもしれません)、エステルとの婚姻後も乙女たちを集めました。
王の一方的な呼び出しに応じるだけの立場であったエステルに、王に対する確固たる信頼は持てなかったでしょう。
モルデカイの言うとおり、たとえ発令による虐殺を免れても、いつユダヤ人であることが明らかになり処刑されないとも限りません。
そして自分の民族が全滅した後、どんな思いを抱えて生きていかなければならないのか……。
エステルはモルデカイの言葉で覚悟を決めます。
「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。
そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。
わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。
エステル記4章16節
エステルの賢いところは、今、自分が逃げ場のない立場に在るということを潔く受け止め、なすべきことを冷静に見極めることができていることです。
(わかっていても受け止められず、あがいてしまうのが人間あるあるだと思います。)
さらにエステルは、この使命を一人で背負うのではなく、同胞にも分かち合ってくれるように願い出ました。
イエス様は「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」(マタイによる福音書18章20節)と言って、共に心を合わせて祈るように励まされました。
同じ心で祈り合える仲間がいるということは、大きな力になります。
今回はここまでです。
民族の行く末を背負ったエステルの物語は後編に続きます。
後編はこちら
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