後編では、前編に続き、登場人物たちの生き方に注目しながら物語を解説し、最後に『エステル記』全体を通して見える神の働きと、最もお伝えしたいことを書きたいと思います。
●前編はこちら。
日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。
国法を犯してでも、命を懸けて王にユダヤ人救済の嘆願をする覚悟を決めたエステル。
それは、隠してきた出生を明かし、「王妃」から「ユダヤ人」としての自分で生きることを意味していました。
エステルは祈りをもって自らを神の御手にまかせ、すべてを捨てる覚悟で王宮を目指します。
断食を終えた3日目、エステルが決意を翻すことなく王妃の衣装を身に着け、王宮の中庭に立つと、王は王宮の玉座に座っていました。
王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。
王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。
エステル記5章2~3節
※「金の笏」については、前編「エステルによる救済物語」をお読みください。
新共同訳聖書では、「王は、王妃エステルを見て、満悦の面持ちで金の笏を差し伸べた」と訳されています。いかに王の心がエステルに対して開かれていたかが伝わってきますね。
この瞬間、エステルに押し寄せた安堵と感謝の大きさはどれほどだったでしょう。
命を得たエステルは、さらに事を進めなければなりません。
エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。
エステル記5章4節
願いどおりに宴を設けたエステルは、求めていること明かすように王から再び促されますが、「明日、もう一度2人で酒宴にお越しください」と慎重に同じお願いをします。
自分の願いを打ち明けるとき、王はすでに発令されている法令と、エステルの嘆願を秤にかけることになるのです。
エステルは、王と少しでも距離を縮めておきたかったのかもしれません。
知恵を求めて得る人、悟りを得る人はさいわいである。
知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである。
箴言3章13~14節
聖書は「知恵」を持って生きるように教え、その時々に相応しい生きた知恵は、神様から与えられると約束しています。
特に『箴言』には、はっとするような、日々の生活の中でも助けとなる言葉が沢山書かれていますので、まだ聖書を読んだことがない方もぜひ一度読んでみてください。
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。
そうすれば、与えられるであろう。
ヤコブの手紙1章5節
ハマンは上機嫌で帰路につきましたが、門のところにいた(相変わらず敬礼しない)モルデカイを見て、また憤りに満たされます。
自宅で妻と友人たちを呼び集めて自慢話をし「明日も王と共に王妃の宴に招かれた。でも、ユダヤ人モルデカイを見ると、これらの楽しい気分もすべて台無しになる」とこぼすと、妻と友人たちは次のように勧めました。
その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、
「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。
そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。
ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。
エステル記5章14節
※50キュビト=約25メートル
ここにきて『エステル記』は転換点を迎えます。
流れの変化のきっかけは、ごくありふれた情景の中で起こり、物語の行く末を握っているアハシュエロス王本人もそれに気が付いていません。
その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、その中に、モルデカイがかつて王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタナとテレシのふたりが、アハシュエロス王を殺そうとねらっていることを告げた、としるされているのを見いだした。
そこで王は言った、「この事のために、どんな栄誉と爵位をモルデカイに与えたか」。
王に仕える侍臣たちは言った、「何も彼に与えていません」。
エステル記6章1~3節
王の暗殺未遂を阻止したとき、何のお礼も褒美もありませんでしたが、モルデカイはエステルにそれを伝えるわけでもなく、そのままにしていました。
しかし、今、王はそのことを思い出し、心に留めたのです。
王が、命の恩人モルデカイにどう礼をしようかと思案していたまさにその時、同じモルデカイの処刑を上奏しようとハマンが王宮にやって来ます。
王は、やって来たハマンに「栄誉を与えたいと思う者に、どんなことをしたらいいだろうか?」と尋ねます。
ハマンは「これは絶対、自分のことだ」と思い、次のように答えます。
「貴族の首長のひとりに王が着ていた王服と王冠を渡し、王の馬を引かせ、その人に王服を着せて王冠を被らせたら、馬に乗せて都の広場に連れて行ってください」。
「今、あなたが言ったとおりのことを、モルデカイに一つ残らず行うように」と王から命じられ、(相当ショックだったと思いますが)ハマンは自ら提案したことをモルデカイに実行するしかありませんでした。
そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。
エステル記6章11節
こうしてモルデカイは、今この時に公衆の面前で高く引き上げられ、ペルシア帝国ナンバー・ツーとなりました。
しかし神は、いや増しに恵みを賜う。
であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
ヤコブの手紙4章6節
モルデカイの突然の大出世にうろたえたハマンは、憂い悩んで自宅に帰り、妻と友人たちに相談します。
彼らが「このままだとあなたはモルデカイに必ず敗れる」と話しているうちに、王の従者たちがハマンを二度目のエステルの酒宴に連れて行きます。
宴が始まり、王から再び求めていることを尋ねられたエステルは、とうとう本心を語ります。
王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
エステル記7章3節
王の前にへりくだり、滅ぼされる寸前の同胞を救ってほしいと嘆願したエステルに、王は「誰がそんな事を企てているのか?」と尋ねます。
「それはこのハマンです!」と目の前のエステルが訴えたとき、ハマンは恐れおののき、王は怒りのあまり席を立って庭へと出ていきました。
そして、戻って来た王は、取り乱したハマンがエステルに命乞いをするために接近しているのを見て、怒りを爆発させます。
その時、王に付き添っていたひとりの侍従ハルボナが「王のためによい事を告げたあのモルデカイのためにハマンが用意した高さ五十キュビトの木がハマンの家に立っています」と言ったので、王は「彼をそれに掛けよ」と言った。
エステル記7章9節
ハマンは自らが立てた木に掛けられ、その家はエステルに与えられました。
エステルはモルデカイとの関係を明かし、王はハマンから取り返した指輪をモルデカイに与えます。
モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。
ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。
エステル記8章15~16節
ハマンによってすでに発令された法令を取り消すことはできないため、モルデカイはユダヤ人が脅威に対して防衛できる法令を、王の名により発令します。
「王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」。
エステル記8章8節
ユダヤ人を根絶する日として定められたアダルの月(西暦2~3月)の13日、モルデカイの勢力に助けられて各地のユダヤ人は勝利し、危機から救われます。
翌日には、その勝利と救いを祝って大宴会が開かれ、民は喜び踊りました。
モルデカイとエステルは、この日を危機から救われた日として記念し、代々にわたって行うお祭りの日として定めます。
すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とせよとさとした。
エステル記9章22節
この記念日は、もともとハマンが奸計を実行する日を「くじ(プル)」で決めたことにちなんで「プリムの祭り」と名付けられました。
※「プリム」は、アッカド語「プル」の複数形です。
今でも続くこのお祭りの日、ユダヤ人はお菓子やプレゼントを交換し、「ハマンの耳(ハマンタッシェン)」と呼ばれるクッキーを食べるそうです。
街中が仮装した老若男女で溢れ、お酒を酌み交わして祝うプリムの祭りは、イスラエルの春に最も喜び楽しまれる日となっています。
さて、ここまで登場人物を通して一連の出来事を見てきましたが、最後に、この話の真の立役者について触れたいと思います。
ペルシアという巨大帝国に支配された小さな一民族から王妃が誕生したことや、絶妙なタイミングでモルデカイが大出世したことなど、考えてみると、どの経緯においても人の力では不可能なことばかりです。
また、王が、掟を破って王の前に出て来たエステルを寛大に受け入れ、喜び迎えたこと。眠れないときに、過去の記録に触れて、モルデカイの功績を思い出したこと。エステルの願いを聴き入れ、ユダヤ人を救うことに同意したこと等々。
『エステル記』に記されたアハシュエロス王は、次の聖書の言葉そのものです。
王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる。
箴言21章1節
驚くことに『エステル記』には「神」や「主」という言葉が一つも書かれていませんが、記されているすべての事を通して、神の働きが見えます。
神は人をコントロールすることはなさいませんが、アハシュエロス王に働きかけたように、人を導かれます。
人は自由な意志を持って、自らを決定しながら生きています。
しかし、時に神は、人が行う良いことも悪いこともすべて包み込みながら、ご自分の計画を達成し、その存在を示されます。
それは、私たち一人ひとりの人生においても同じです。
『エステル記』は、見えない立役者「主(神)」によって行われた歴史的出来事の一つなのです。
ここまで読んでいただいた皆さんに、最後に思い出していただきたい場面があります。
それは、エステルが王宮の中庭に入り、命がけで王の前に立つ場面です。
一大帝国を治める王に会うとは、何と困難なことでしょう。
まして、存在しているすべてのものの源である創造主、全知全能の神と対面することは、私たちにとって不可能なことのように思えます。
本来、人は神と親子のように親しく交われる関係として造られました。
実際に、人類の祖先であるアダムは、日々、神と共に過ごしていました。
しかし、アダムが罪を犯したときから、神と人との間には埋めることのできない断絶が生まれ、神から離れた人は自らの思いのままに生き、今日に至ります。
それでも、アダムから何世代経っても、子どもが親を求めるように、人には神を求める心が備わっています。
それゆえ、どの民族にも、どの時代にも、神を求めた人の痕跡が残っているのです。
手を洗い、身を清め、厳かな儀式をもって神の前に行きますが、神と人との間を隔てている、自分の内側にある汚れ(罪)を清めることはできません。
王の王(神)の前に、人が立つことはできないのです。
かつてペテロは、イエス・キリストが神ご自身であると知った瞬間、次のように反応しました。
これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、
「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
ルカによる福音書5章8節
アダムも罪を犯したとき、同じように神の御顔を避けました。
しかし、離れて行った子どもを探す親のように、神はご自分が人となって来てくださいました。
それが、イエス・キリストです。
イエス・キリストは、神と人とを隔てる罪を取り除くために来られた神ご自身です。
その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」
ヨハネによる福音書1章29節
「子羊」は、「生贄」を指します。
イエス・キリストが、すべての人の罪を、罪と汚れのないご自分の肉体をもって償(あがな)うということです。
神はそのひとり子(イエス・キリスト)を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
ヨハネによる福音書3章16~17節
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
ヨハネによる福音書1章12節
イエス・キリストを信じる人は、誰であっても、どんな人生を生きてきたとしても、神の子どもとなるという約束です。
神の子どもとなったとき、罪と罰の恐れや羞恥心から、神の御顔を避けて生きるのではなく、神様と一緒に生きることができるようになります。
神の前に出て、求めるものを打ち明けたり、悩み事を相談したり、痛みや喜びを分かち合って生きることができるのです。
エステルが王の恩寵を受けて過ごしたように、変わることのない神の恵みを受けて生きる日々を歩まれますように願いつつ、終わりたいと思います。
しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。
コロサイ人への手紙1章22節
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