こんにちは、ひよこです!
現在世界の人口は約80億人ですが、その中でもキリスト教人口は22億人を超えているともいわれています。日本では少数派ですが、キリスト教は世界で最も信者の多い宗教なんです。
そんなキリスト教にはいくつかの宗派がありますが、その中でも3大宗派「カトリック」「プロテスタント」「正教会」が有名ですね。今日はそれらの宗派がどのようにして生まれたのか、また似ているようで似ていない「カトリック」と「プロテスタント」の違いについてざっくりお話したいと思います!
目次
3歳の時からプロテスタント教会に通う。東京基督教大学で神学とユースミニストリーについて学び、卒業後新生宣教団に勤める。趣味は絵を描くこと、賛美と楽器演奏(ピアノ・バイオリン・ウクレレetc...)。神様と教会が大好きな20代クリスチャン!若さを活かして読みやすい、興味を持ってもらえるような記事を目指しています!
キリスト教にはいくつかの宗派があるとお話しましたが、それらは最初から分かれていたわけではなく、もとは一つの宗教でした。ではいつ、どのようにして分かれていったのか、歴史をふまえてお話していきたいと思います!
キリスト教は、初代キリスト教会における一つの解釈のもと、イエス・キリストの教えを中心にパレスチナから地中海沿岸のギリシャ、ローマへと広まっていきました。ローマ帝国では多神教が基本だったので、クリスチャンは300年以上迫害を受けて多くの殉教者も出ました。しかし、そのような迫害を受けても拡大は止まらず、後にキリスト教はローマ帝国の国教になります。当時ローマ帝国は東西に分割されて統治されていたので、キリスト教も次第に東西で分かれてそれぞれ独自の傾向を持つようになります。しかし、しばらくすると解釈をめぐって考え方が完全に分かれるようになり、東西のそれぞれのトップが「こっちが正しいキリスト教だ」と相互破門してしまいます。これをきっかけに1054年「西方教会」と「東方教会」が決定的に分裂しました。世界史の教科書で一度は聞いたことのある「大シスマ」とはこのことを指しています。「シスマ」とはラテン語で分裂という意味です。
この「東方教会」が後の「正教会」で、ギリシャ正教やロシア正教と呼ばれる教派になっていきます。「西方教会」は「カトリック」と「プロテスタント」に分かれることになります。しかしその2つも最初から分かれていたわけではなく、もとはカトリックでしたが、そこからさらに分裂したことによってプロテスタントが誕生しました。つまり、もとは一つのキリスト教でしたが、分裂に分裂をかさね、今の形になったのです。
日本の正教会人口は1万人ほどしかおらず、あまり馴染みがないかもしれませんが、カトリックとプロテスタントの説明をする前に少しだけ正教会についてもふれておきますね!
カトリック教会やプロテスタント教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対し、正教会は中近東を中心にギリシャ、東欧からロシアへと広がり、その地域を拠点に現在も多くの信者がいます。正教会の特徴は、イエスの使徒たちの時代から続く教会と神学の伝統を堅く忠実に守ろうとする姿です。そのため、そのまま受け継ぐという古代教会の姿勢に基づき、自らを「正統な教会」、略して「正教会」と呼ぶようになりました。神秘主義が強く、教会にイコンと呼ばれる聖画像があるのが象徴的です。
東西が宗教分裂した後、東側は先程お話したように東方教会(正教会)として成立しますが、西方教会はやがて独自に歩み始めて「ローマ・カトリック」と唱えて、ローマ教皇のもとで発展していきます。名前の通り、もともとのキリスト教の教えにローマ帝国の文化を融合させた教派ということができるでしょう。「カトリック」というのはギリシア語で「普遍的・全般的」という意味があります。
中世のカトリック教会は、聖書だけでなく儀式や教会の伝統も重んじるようになり、整えられた組織や体系をもって大きな影響力をもつようになりますが、それだけに問題も抱えていました。信仰の儀式化や知識化、いわゆる形骸化というものが進んでいくのです。その一つとして「免罪符」があげられます。免罪符とは、自分の罪を神に赦してもらいやすくするために課金するともらえる証書のことで、この免罪符の売上は、カトリック教会にとっては貴重な財源となりました。たしかに宗教的ニーズに応えてはいたのかもしれませんが、結局間違った方法で応えていたのです。しかし、16世紀になると状況が一変する出来事が起こります。このような状況に「それは間違っている!」 と声をあげた人物がいました。それがドイツのマルティン・ルターです。
ルターは当時修道院で修道士として日々修行に明け暮れていましたが、当時の腐敗し、形骸化したカトリック教会に疑問をいだき、1517年に「95箇条の論題」という文章を教会につきつけました。これが、一般的には「宗教改革」の発端となった出来事とされています。ルターが大きく掲げたのは「信仰主義」「聖書主義」「万人祭司」の3つです。それまでカトリック教会は階級制の存在もあり、教える側と聞く側があり、教職者が聖書の知識を独占していました。しかしルターは、大切なのは形式的な儀式や聖職者の権威ではなく、一人ひとりの信仰であると訴えます。神と個人的な関係を一人ひとりが持ち、聖書を読んで自分で解釈し、主体的に行動するべきだと主張したのです。
「プロテスタント」とは「抗議する者」という意味があり、カトリック教会に抗議することから始まっています。当初の意図は、西方教会全体の改革だったのですが、当時のカトリック教会には受け入れられず、ルターは破門されてしまいます。その一方で、ルターの考えを支持する人もいたので、その教えはドイツを中心に広がりを見せ、ルター派としてプロテスタント教会が発足していきます。
また、各地に広まっていったその背景には、自国語への聖書翻訳への努力と、当時発明されたグーテンベルクの印刷機により、大衆への聖書普及が可能になったことを見過ごすことは出来ないでしょう。さらにほぼ同時期にツヴィングリやカルヴァンという宗教改革者の働きを通して、プロテスタント教会は各地に広まっていきました。
つまり、当時の教会から離れて新しく起こってきた教会が今の「プロテスタント」で、従来の教会に残ったのが今の「カトリック」なのです。しかし、もちろんカトリックも腐敗を放置したわけでは決してなく、「イエズス会」などの働きによって内側から改革されていきました。
ここまでカトリックとプロテスタントの大まかな歴史をみてきましたが、ここからはそれぞれの教会の具体的な教えや特徴についてお話したいと思います!
カトリックはキリスト教の最大宗派ともいわれ、信者は世界中に13億人以上いるともいわれています。そんなカトリックの大きな特徴を2つあげるとすれば、「一本集権性」と「伝統性」です。プロテスタントが多くの教派を持つのに対し、カトリックは一つしか教派がない「一本集権性」という形をとっており、ローマ教皇を頂点としたヒエラルキー(ピラミッド型)で成り立っています。
トップでもあるローマ教皇を神の代理人と位置づけ、特別な存在として扱います。
また、カトリックは「伝統性」を大切にしていて、優先順位は①神→②教会→③聖書です。そのため、儀式や教会組織などの伝統を重んじることから、教会を信仰のシンボルとし、豪華な見た目をした教会が多いのです。また、カトリックは信仰に加えて善行によって救われると考えています。そのため昔から修道士や修道女は伝染の危機も顧みず病人の世話をしたり、貧しい人々に施しを与えたりと、自らの人生を人々に尽くしてきました。みなさんもよく知るマザー・テレサもその一人です。
また、サクラメントとよばれる神の恵みを目に見える形で表した儀式も救いの条件としていて、特に“洗礼”は救われるためには必須で、それらによって天国に行けると説きます。
一方プロテスタントの特徴を2つあげるならば「千差万別」と「聖書主義」でしょう。プロテスタントには多くの教派があり、その様相は千差万別です。しかし聖書主義を掲げ、根本的な考え方はみな同じで、聖書を中心としています。つまり、プロテスタントの優先順位は①神→②聖書→③教会なのです。カトリックのような行いや善行は救いの条件ではなく、イエス・キリストを信じる信仰のみによって救われると教えています。
また、プロテスタントでは、神の前では信徒全員平等と考え、階級制はありません。牧師という“教職者”はいますが、カトリックの“聖職者”と考え方は異なります。
このようにカトリックとプロテスタントの大きな特徴だけみてみても、考え方や救いの条件も異なり、違いがあるのがわかると思います。しかし、細かい部分をみてみても、似ているようで似ていない部分がたくさんあるので、少し紹介したいと思います!
カトリック | プロテスタント | |
---|---|---|
歴史 | 1世紀頃~ | 16世紀頃~ |
集会形式 | ミサ | 礼拝 |
教職者の結婚 | なし | あり |
教会の見た目 | 豪華 | シンプル |
サクラメント(儀式) | 7つ | 2つ |
懺悔ルーム | あり | なし |
教職者敬称 | 神父 | 牧師 |
十字を切る | する | しない |
信仰の考え | 罪人も善行すれば救われる | 罪人でも信仰によって救われる |
マリア像 | あり | なし |
このように表にしてみると違いがたくさんみえてきますね! 気になる部分もあると思うので、この表の中からいくつかとりあげて説明したいと思います。
カトリックでは集会のことを「ミサ」と呼び、プロテスタントでは「礼拝」と呼びます。
カトリックのミサとは、キリスト最後の晩餐を伝承した儀式を指す言葉で、基本的に日曜日だけでなく、土曜日や平日にも毎日行われています。ミサの流れは、聖書朗読と、聖体拝領(プロテスタントでは聖餐式)という2つの部分にわかれていて、司教により聖書のことばが読まれた後、聖体とよばれるパンとぶどう酒をキリストの血と肉として信徒に分け与える典礼が行われます。
一方プロテスタントでは、週に1度日曜日に礼拝があります。聖書を大切にしているプロテスタントでは、みことばが語られる牧師の説教が礼拝の中心になっています。また月に1度聖餐式がおこなわれますが、そこでのパンとぶどう酒はあくまでもキリストの血と肉の象徴として行われる場合が多いです。
● 礼拝については、こちらの記事もぜひご参照ください。
教会全体の見た目や内装には明らかな差があります。カトリックは豪華でプロテスタントは質素なのですが、これはプロテスタントが貧乏だから。。というわけではなく、教会をどれだけ重視しているかという考え方の違いなのです。
カトリックは先程触れたように教会を信仰の象徴として重視しているので、ステンドグラスや外観内装がとにかくゴージャスで、マリア像やイエスが十字架にかかっている彫刻などが飾られている教会が多いです。これは偶像崇拝を認めているわけではありませんが、「聖母マリアやイエスを通して神に祈る」という象徴なのです。
一方プロテスタントは、「偶像を造ってはいけない」という聖書のことばを大切にしているので、特に彫刻などは置かず、あえてシンプルに十字架だけが飾られている教会が多いです。また、カトリック教会内には「懺悔室」がありますが、プロテスタントは誰でも直接罪の赦しを神から受けることができると考えているので、懺悔室は存在しません。このように見た目は全く違うんです。
旅行する際、観光名所として教会を訪れる人も多いですが、その多くは装飾が施されたきらびやかな教会、つまりカトリック教会が多いです。
「サクラメント」という神の恵みを目に見える形で表した儀式が教会にはありますが、カトリックとプロテスタントではそれぞれサクラメントの数も意味合いも違います。
まず、カトリックにはサクラメントが7つあり、救いの条件にも含むほどサクラメントを重視しています。7つのサクラメントにはそれぞれ意味があります。
① 洗礼 | キリスト教入信の儀式 |
② 賢信(けんしん) | 洗礼後に聖霊の恵みや力を受ける儀式 |
③ 聖体 | パンとぶどう酒を食する儀式 |
④ ゆるしの秘跡 | 神との和解の儀式 |
⑤ 叙階(じょかい) | 聖職者を任命する儀式 |
⑥ 婚姻の秘跡 | 信徒同士の結婚の際に行われる儀式 |
⑦ 病者の塗油(とゆ) | 病人の癒やしのために聖なる油を塗る儀式 |
一方プロテスタントでは、サクラメントは「洗礼式」と「聖餐式」の2つしかなく、サクラメントを救いの条件としていないのが特徴的です。なぜ2つしかないのかというと、この2つだけがイエスが定め、聖書にもはっきりと記されている儀式だからです。形式的な行いよりも信仰を大切にするため、プロテスタントがいかに“聖書のみ”という考えを大切にしているかがわかりますね。
● 洗礼式については、こちらの記事もぜひご参照ください。
「カトリック」と「プロテスタント」。この2つの名前はとても有名ですが、この2つがどのように違うのかというのはあまり知られていないと思います。ですから、同じキリスト教でもこんなに色々な違いがあるのか! と驚かれた方もいるかもしれません。なので今回の記事を読み、少しでもキリスト教について理解を深め、キリスト教について興味をもってくれたら嬉しいです。
みなさんのまわりにも教会があるかもしれませんが、「カトリック」なのか「プロテスタント」なのか、ぜひ見てみてください!
以上ひよこでした。
●プロテスタント教会の種類についてのこちらの記事もぜひお読みください。
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