少しずつ前進するタンザニア南部での福音宣教①
福音交友会派遣 SIMタンザニア宣教師 清水 担宣教師より
●この記事は、新生宣教団の機関誌『つながり』(2013年8月号)に掲載されたものです
タンザニア南部海岸地方の町リンディで福音宣教に携わり、10年が経ちます。タンザニアはイスラム教徒とキリスト教徒が同じぐらいの割合で共存しています。しかし、地域によってその割合は大きく変わります。内陸ではキリスト教徒の割合が大きくなり、海岸地方ではイスラム教徒の割合が大きくなるのです。私たちがリンディに来た当初、住民の95パーセントがイスラム教徒と言われました。 感謝な事に、少しずつ諸教会の歩みが祝されつつあり、日曜日の朝には聖書を手に歩く人々を見かけるようになりました。
イスラム教徒の人々にとって、聖典はご存知の通り「コーラン」ですが、これは聖書を土台の一つとしているため、聖書の一部が「読むべき書物」として認められています。それはモーセ五書、詩篇、そして福音書です。ただ、コーランとの違い(つまりコーランの過ちですが)を説明するために「聖書は崩壊している」とイスラムの教師は教えるのです。
コーランを使って伝道しようとする人々もいますが、私はもっぱら聖書だけを一緒に読むようにしています。コーランに反論したり、過ちを指摘したりすることは論争を巻き起こし、騒ぎとなるだけだからです。一緒に聖書を読んでいく中で、少しずつ心が開かれ、聖書へ権威をおくようになっていく姿を目の当たりにします。「この問題については聖書はどう言っていますか。」という質問を受けたりするようになるのです。本当に感謝です。
キリストへの信仰を持ち、さらにそれを表明することはイスラム教徒の方々には容易ではありません。家族や親族からの強い反対、迫害があるからです。身内からキリスト教徒に改宗する者が出ることは恥であるため、必死になってやめさせようとします。子ども会でも同じです。集会中、親は子どもたちを家に閉じ込め、来れないようにします。家を抜け出し、子ども会に来た子たちから、後でひどく打たれたという話も聞きました。それでも子どもたちは集会に来、人々はキリストを信じるようになるのです。それはキリストが失われた人を探して救うために来てくださったためであり、ここにイスラム教にはない確かな救いがあるからです。(ルカ19:10)
そして、主はこのように主に救いを求めてくる人々を確かに受け入れ、特別なお計らいをもって誠実に導いてくださいます。
数年前、私たちの一時帰国中にリンディで一つの宣教団体が活動を始めました。自国政府の資金を背景に井戸掘りをする団体です。宣教活動を直接行う事はできず、別の宣教団体を立ち上げ、井戸を掘った村々で映画上映をして回ります。「あぁ、主はまた新しく働き人たちをタンザニア南部に送ってくださった」と感謝して受け止めている一方、課題が見え隠れしています。彼らは短期間で大きな成果を期待するためか、潤沢な資金を使って地元のクリスチャンたちを雇い、宣教活動を行っているため、地元の信仰者の間では少なからず混乱があります。この事については次回に述べたいと思います。(続く)
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