少しずつ前進するタンザニア南部での福音宣教②
福音交友会派遣 SIMタンザニア宣教師 清水 担宣教師より
●この記事は、新生宣教団の機関誌『つながり』(2013年9月号)に掲載されたものです
潤沢な資金を使って地元のクリスチャンたちを雇い、宣教活動を行っている外国の宣教団体があるため、地元の信仰者の間では少なからず混乱があります。
彼らは地域教会の信徒たちに声をかけ、給与と自転車、あるいは住居までをも約束し、彼らの活動にあっせんします。結果、宣教のためにと村々へ出かけたまま、通常の主日礼拝等の諸集会に出席できず、地元の教会の力がそがれることになっています。また、伝道を主への奉仕と位置づけて行っている人々に、「うちへくればお金がもらえるよ」と吹聴し、伝道はお金を得る手段だという考えで戸惑いを与えています。また開拓中の諸教会には、教会会堂建設費の一部を援助すると約束して回ります。「これぞ、私たちに必要な宣教援助だ」と手放しで喜ぶ人々がいるのも状況を悪くしているようです。
圧倒的に貧しいタンザニアではお金を振りかざす事はマイナスの影響を与えることが多いのです。「他団体の働きだからなぁ。どうしたものかなぁ」、「むかしの宣教師の働きは尊いが、活動には同じ問題があったのかなぁ」などと思います。宣教団体とはやがて引き上げていくものです。彼らが引き上げる時、どのような教会が残されるのでしょうか。自分たちの宣教のあり方を問い直しながら主の知恵を求めているところです。
『マンガ メサイア』のスワヒリ語翻訳に関わるようになったのは、タンザニアで使われている聖書が日本で印刷されていることを知ったことがきっかけでした。一時帰国の際にぜひ工場を訪ねてみたいとの願いが果たされ、新生宣教団を訪問することができました。その時に、多言語に翻訳が進められているこのマンガのスワヒリ語翻訳をするように、チャレンジを受けました。連絡の行き違いがあり、実際に翻訳が始まったのはつい最近で、20ページほどが進んだだけです。
マンガの本文は聖書の文章に沿う表現が多いため、翻訳はスワヒリ語聖書を参照にしつつ、かける時間に比例して進みます。本文ではない所は、辞書等で確認しつつ作業を進めます。考えさせられるのはマンガ特有の擬態語や擬音語です。翻訳は英語からスワヒリ語なのですが、”Whoom”と天使が登場する部分などは「日本語だとどうなっていたのだろう」と想像しつつ、マンガ文化の定着していないスワヒリ語ではどのように表現できるだろうと考えます。時にそのまま英語の表現を使う場合もあれば、ぴたりとはまるスワヒリ語独自の表現を見つけることもあります。
登場人物の心情、セリフを一つ一つ追いながらの翻訳作業は単調のようで、キリストに会う人々の思いを感じる時でもあります。何より、このタンザニアで、またスワヒリ語が使われるケニアやウガンダなどでこの本が用いられ、人々がメシアであるイエス様を知ってほしいとの願いと祈りを持って作業を進めています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)
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