こんにちはハトコです。
前回は預言者エリヤを取り上げました。今日はその後継者となったエリシャについてです。偉大な預言者だったエリヤが師匠だったので、エリシャがその後継者になることは大変だったと思います。しかしこのことは神様からの任命でした。
神様は、エリヤにこう語りました。
「…アベルメホラのシャパテの子エリシャに油を注いで、あなたに代って預言者としなさい。」
列王記上19:16
旧約の時代、油を注ぐ(頭にタラーと油を滴らせる感じです)というのは、神様からの任命という意味がありました。この注ぎ油の調合は出エジプト記に既定があり、神様がご自分のために聖めるものに注ぐことになっていました。
神様はエリシャを後継者として任命しどのようなことをされたのか、ざっくりと見ていきたいと思います。
エリヤについては、こちらの記事をご覧ください。
目次
牧師の家庭に生まれる。田舎でおとなしい子供時代を過ごしたが、高校卒業後に大阪に住んだことで性格が外交的に変わる。大阪の教会で牧師が1か月にわたり語ってくれた十字架のメッセージを聞いて明確に聖書の福音が解るようになった。好きなことは「掃除」「イエス様に従うこと」。苦手なことは「整理整頓」「ホラーやスプラッター系全般」。(「掃除」と「整理整頓」は別物です!)。新生宣教団職員。
エリシャはエリヤに見いだされてからの8年間、エリヤの弟子として忠実に仕えます。
とうとうエリヤが天に引き上げられる日が来ました。二人は預言者の学校があったギルガル、ベテル、エリコを通りヨルダン川へ来ました。エリヤはここで自分の外套を取り、ヨルダン川の水面を打つと水が左右に別れ、二人は対岸へと渡りました。
ここでエリヤは「私が天に上げられる前に欲しい物があれば言いなさい」とエリシャに聞きます。
「どうぞ、あなたの霊の二つの分をわたしに継がせてください。」
(列王下 2:9)
とエリシャは答えますが、これは2倍の力を求めたというよりも、後継者としての任命を求めたということです。イスラエルでは、父の財産を相続する場合、跡継ぎの長男は他の兄弟の2倍を受け継ぐことになっていたからです。
エリヤが火の車と火の馬に乗って天に上げられたときに、空からエリヤが身につけていた外套が落ちてきます。それを取ってエリシャはエリヤと同じようにヨルダン川の水面を打つと水が分かれました。この出来事は預言者仲間50人が目撃しました。
エリコにいる預言者のともがらは彼の近づいて来るのを見て、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言った。そして彼らは来て彼を迎え、その前に地に伏し…
(列王下 2:15)
この日、目に見える形でエリシャはエリヤの正当な後継者となりました。
師匠のエリヤはバアル礼拝を引き起こしたアハブ王とその妻イゼベルと戦いました。エリヤは孤高で英雄的な激しい預言者だったのに対し、エリシャは庶民的だったようです。北イルラエル王国はアハブのような悪王によって偶像礼拝が蔓延していましたが、それでも偶像礼拝に屈せず唯一の神に従う民は残っていました。エリヤは神の言葉を正しく伝える預言者たちを訓練していたようです。その預言者の学校もエリシャは引き継ぎ、預言者仲間の間で彼らを指導しました。神はエリシャを預言者たちの教育係としても用いたのです。また、エリヤがアハブ王と戦ったのに対し、エリシャは4人の王と関わり、政治や軍事にも神の言葉をもって関わっていきます。エリシャは約60年の生涯を通して神の言葉と奇跡をもって迷える北イスラエル王国を導きました。
エリシャは聖書の預言者の時代において、多くの奇跡や、神様の言葉による近隣諸国との戦いでの勝利をいくつも北イスラエルにもたらしました。出来事が多いので今回はエリシャの奇跡を取り上げ、次回は政治的な出来事を取り上げようと思います。
前にも延べましたが、ギルガルやベテル、エリコには預言者を育てる学校があったようです。エリヤが天に上げられた後、エリシャは来た道を順に戻っていきます。エリヤの後継者となったエリシャはその道すがらまずエリコで神様の言葉によって奇跡を行ない、その後も預言者仲間の間で数多くの奇跡を行ないます。では一つずつ見ていきましょう。
エリコは住むにはいい場所だったようですが、一つ困ったことがありました。水が悪く流産が絶えなかったのです。町の人々はエリシャに相談します。
町の人々はエリシャに言った、「見られるとおり、この町の場所は良いが水が悪いので、この地は流産を起すのです」
(列王下 2:19)
さて、エリシャはどうしたでしょうか。
塩を水源に入れれば水は清まるものでしょうか?
誰がやってもいいというものではなく、「主はこう仰せられる」ことを躊躇なく行ったからこそ奇跡は起こったのです。私たちも常識では考えられないことでも、神様から語られたことを忠実に行うとき人間的には考えられない出来事や祝福を見ることができるのではないでしょうか。
ある時、夫が亡くなって負債に困っている未亡人がエリシャに訴え出ます。
預言者のともがらの、ひとりの妻がエリシャに呼ばわって言った、「あなたのしもべであるわたしの夫が死にました。ごぞんじのように、あなたのしもべは主を恐れる者でありましたが、今、債主がきて、わたしのふたりの子供を取って奴隷にしようとしているのです」。
(列王下 4:1)
このときの奇跡は、壺に注いだ油が止まらなくなるというものでした。
エリシャは…言った「行って、隣の人々から器を借りなさい。あいた器を借りなさい。少しばかりではいけません。…そのすべての器に油をついで、いっぱいになったとき、一つずつそれを取りのけておきなさい」。…油が満ちたとき、彼女は子供に「もっと器を持ってきなさい」と言ったが、子供が「器はもうありません」と言ったので、油はとまった。」
(列王下 4:2-6)
こうして未亡人はこの油を売って負債を払うことができました。
この出来事は、神様の恵みを受ける秘訣として礼拝メッセージなどでもよく語られます。私たちが神様の前に空の器となった自分を捧げるなら、神様は無尽蔵に祝福を注いで下さるのです。乾いた土は水をよく吸いますが、水分を多く含んだ状態ならそれ以上は水を吸いません。私たちは神様の前に出るとき、心が乾いている「飢え渇き」のある状態のほうが受ける祝福は大きいのだということです。
シュネムという所に裕福な信仰の篤い婦人がいました。彼女はエリシャがこの町を訪れたときに滞在できるよう、敬虔な気持ちで自分の家に部屋を準備し、エリシャをもてなしました。
このことに感謝したエリシャは彼女が口にしなかった本当の願いを叶えます。
エリシャは言った、「来年の今ごろ、あなたはひとりの子を抱くでしょう」。彼女は言った、「いいえ、わが主よ、神の人よ、はしためを欺かないでください」。しかし女はついに身ごもって、エリシャが彼女に言ったように、次の年のそのころに子を産んだ。
(列王下 4:16-17)
この女性は不妊でした。彼女は自分からは言いませんでしたが、そのことを伝え聞いたエリシャは彼女が身ごもるよう祝福し、その言葉は実現したのです。
このように神の働き人を受け入れる人には神の祝福があると新約聖書の中でイエス様ご自身も語っています。
「だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。」
(マルコ 2:41)
しかし、このシュネムの婦人の話はこれで終わりではありません。
エリシャの言葉によって授かった子どもが成長したある日、突然頭の痛みを訴えて死んでしまうのです。彼女はエリシャの住むギルガルの町まで雌ロバに乗ってみずから駆けつけエリシャに家まで来てくれるよう懇願します。その願いに応え、シュネムへ行ったエリシャは神様に祈って子どもを生き返らせます。
エリヤもやもめの子どもを生き返らせたことがありました。旧約聖書の時代には女性や子どもは社会的に無価値な存在とされていました。しかし神様はそのような社会的に無価値とされている人々に対しても慈しみを表してくださるお方なのです。
こんな奇跡もあるんだ、という出来事です。
共同生活をしていた預言者仲間は、もちろん食事も共同でした。その大釜の煮物の中に、ある人が毒性のあるウリを知らずに入れてしまいます。それを知った預言者が叫びます。
「ああ神の人よ、かまの中に、たべると死ぬものがはいっています」と言って、食べることができなかった。
(列王下 4:40)
ここでエリシャは言います。
粉を入れたら毒が消える! そんなことが実際に起こるのでしょうか? この時代に生きてこんな奇跡を見ることができたとしたらとてもワクワクしますね!
でも全知全能の唯一の神様にはできないことはありません。神様に従う預言者のように、もしかしたら私たちも神様に従うときにそのような奇跡の目撃者になれるかもしれませんね。
ある人が、初物ですと言ってエリシャに大麦パン20個と新穀一袋を持ってきました。その時、20個のパンで100人のお腹を満たしたという奇跡です。
その召使は言った、「どうしてこれを百人の前に供えるのですか」。しかし彼は言った、「人々に与えて食べさせなさい。主はこう言われる、『彼らは食べてなお余すであろう』」。そこで彼はそれを彼らの前に供えたので、彼らは食べてなお余した。主の言葉のとおりであった。
(列王下 4:43-44)
新約聖書にはイエス・キリストが5個のパンと2匹の魚を5千人に、また、7個のパンと少しの魚を4千人にわけあたえて彼らを満腹にさせた奇跡が記されています。神様は水や食べ物という現実的な生活の必要も満たしてくださるお方なのです。
イソップ物語に「金の斧、銀の斧」という話がありますが、その原型では?と思うような奇跡です。
預言者のグループが新しい家を建てることになり、材木を切りに行きます。そこで事件が起こります。一人が木を切っていると斧の頭が抜けて水の中に落ちてしまいます。しかもそれは人から借りたものだったのです。彼は叫びます。
水や食事だけではありません。神様は私たちの生活全般に起こるあらゆる出来事に働いてくださいます。
またシュネムの婦人の登場です。これは奇跡というより、預言の話です。ある時、神様はイスラエルの地に7年間の飢饉を起こすと言われました。エリシャは自分の面倒をよく見てくれたシュネムの婦人に言います。
「あなたは、ここを立って、あなたの家族と共に行き、寄留しようと思う所に寄留しなさい。主がききんを呼び下されたので、七年の間それがこの地に臨むから」。
(列王下 8:1)
そこで、彼女は家族とともに他の国に避難します。そして、飢饉が終わったときにイスラエルへ戻って来て自分の土地の返却を願うため王のところへ行きます。
ちょうどその時、王はエリシャの弟子からいろいろな奇跡の話を聞いているところでした。そしてまさにこのシュネムの婦人の子どもをエリシャが生き返らせた奇跡の話をしているところに彼女本人がやって来たのです。
「わが主、王よ、これがその女です。またこれがその子で、エリシャが生きかえらせたのです」王がその女に尋ねると、彼女は王に話したので、王は彼女のためにひとりの役人に命じて言った、「すべて彼女に属する物、ならびに彼女がこの地を去った日から今までのその畑の産物をことごとく彼女に返しなさい」。
(列王下 8:5-6)
こうしてシュネムの婦人の家族は自分たちの元の土地に無事戻ることができました。
7年も経っていたにもかかわらず、こんなに事がスムーズに進むタイミングってそうはありません。しかし、聖書には「ちょうどその時」という言葉がよく出てきます。新約聖書には、神様を愛し従う人々には、神様が働かれてすべてを益にしてくださるということも書かれています。
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
(ロマ 8:28)
エリシャの奇跡の数々を見てきました。
彼は人々の間で生活し、人々と深く関わりながら、困っている人々に神の言葉を語り、奇跡を起こし、神が慈しみ深い方であることを知らせ、唯一の神に信頼するように人々の心を導いていきました。
しかし反面、神に従わない王たちに関しては時に厳しい神の言葉を語りました。次回は政治的、軍事的事柄にエリシャがどう関わったか見ていこうと思います。これも不思議な出来事が満載です。お楽しみに!
(実は奇跡にはもう一つ有名な「ナアマン将軍の病の癒やし」があるのですが、長くなるので次回に加えますね。)
ハトコでした。
●追記:「エリシャ」政治・軍事編の記事更新しました!こちらからどうぞ
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