こんにちは、ひよこです!
みなさんは、世界で最も人口の多い宗教を知っていますか? それはキリスト教です。
イエスを信じ、信仰を持っている人たちがこの世界には22億人以上もいて、彼の生涯などが書かれている聖書は世界のベストセラーなのです! 今日紹介する「福音書」は、そんなイエスの生涯について詳しく書かれていて、彼がどのような人物であったのかがよくわかります。マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネとそれぞれの著者が伝えたかったことや、強調点も違うので、ぜひ福音書について学んだ後に、聖書を手にとって実際に読んでみてください!
目次
3歳の時からプロテスタント教会に通う。東京基督教大学で神学とユースミニストリーについて学び、卒業後新生宣教団に勤める。趣味は絵を描くこと、賛美と楽器演奏(ピアノ・バイオリン・ウクレレetc...)。神様と教会が大好きな20代クリスチャン!若さを活かして読みやすい、興味を持ってもらえるような記事を目指しています!
聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」の2部構成になっていますが、今日紹介する「福音書」はその内の新約聖書に登場します。さらに、新約聖書は大きく5つに区分されています。
①福音書:イエス・キリストの誕生、公生涯、教え、死と復活について
②歴史書:イエスの福音を世界に伝えるために遣わされた弟子たちの働きについて
③パウロ書簡:パウロが諸教会や個人へ宛てて書いた手紙
④公同書簡:パウロ書簡に含まれない、一般の教会・個人に宛てて書かれた手紙
⑤黙示録:この世の終わりに起こる出来事の預言について
今日解説する「福音書」は、これら5つの区分の1番はじめにでてきて、「マタイの福音書」「マルコの福音書」「ルカの福音書」「ヨハネの福音書」の4つから成り立っています。
「福音」ということばは「良い知らせ」という意味です。ですからこの福音書では、イエスが人々の救い主となってくださったというすばらしいニュース(良い知らせ)を伝えています。4人の著者のそれぞれの名前をとって「マタイの福音書」、「マルコの福音書」、「ルカの福音書」、「ヨハネの福音書」と言われ、これらは四福音書と呼ばれています。いずれもイエス・キリストの誕生、イエスが公の場に出て活動した公生涯、教え、死と復活について記していますが、それぞれの強調点は異なっています。
しかし、矛盾のない4つの視点から描いており、イエスが旧約聖書で約束されていたメシヤ(救い主)として、新約聖書全体の教えの土台を据えた様子が書かれています。ちなみに、四福音書のうち、「ヨハネによる福音書」以外の3巻は内容や構成がそっくりなので、まとめて“共観福音書”と呼ばれています。
それでは具体的に「福音書」の各書巻についてざっくり解説していきます!
マタイの福音書の著者は、ローマ政府のためにカペナウムで働いていた取税人マタイです。取税人とはローマの税金徴収者のことですが、当時多くの取税人が不当な搾取を常習していたことなどからとても嫌われていた職業で、マタイ自身も周りのユダヤ人から嫌われていました。しかし、イエスはご自分に従うようにとマタイを招かれます。マタイはすぐに従い、イエスの12弟子の1人となりました(マタイの福音書9章)。
取税人は速記を必要とする職業であったため、記録をとることに長けていました。そのためマタイは、人々の会話や場面ごとの状況をわかりやすく順序立てて正確に記録しています。
「マタイ」は「主の贈り物」という意味で、聖書の他の箇所では“レビ”と呼ばれたりもしています。
使徒であるマタイがこの福音書を書いたのは初代教会の初期で、紀元50年頃だと言われています。その頃のクリスチャンはほぼ皆がユダヤ人だったので、本書を執筆するにあたってマタイが重点を置いているのがユダヤ的観点である事がわかります。
マタイの福音書の特徴をひとことで言い表すと、先程も述べたように「ユダヤ的」であるということです。1章からいきなり名前がびっしり書かれた系図がでてきますが、それは旧約時代のアブラハムとダビデの子孫からメシヤが生まれるという約束が、イエスが生まれることによって成就したということを強調しているからです。
そして、イエス・キリストこそが旧約聖書の時代から約束されていたメシヤであるということを示すために、旧約聖書のことばを多く引用し、預言が成就したことを伝えています。
また、他の福音書が「神の国」という表現を用いているのに対して、マタイは「天の御国」という表現を33回も用いています。これも「神の国」を意味するユダヤ的な表現です。
このようにマタイの福音書は他の福音書の書巻より最もユダヤ的な書と言えるでしょう。
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊の名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。
(マタイ28:19,20)
しかし、本書の最後に記されているこの箇所のように、この福音がユダヤ人だけでなく、「すべての国民」に伝えられることを述べていて、イエスが単にユダヤ人だけの救い主ではなく、全世界の救い主であることを明らかにしています。
書巻全体の大きな特徴は、公生涯でのイエスの教えが説教ごとに編成されていることです。マタイの福音書には大きく分けて5つの説教が出てきます。
「山上の説教」(5-7章)
「12弟子への説教」(10章)
「天の御国の7つのたとえ」(13章)
「天の御国の民」(18章)
「オリーブ山の説教」(24,25章)
これら以外にもイエスの説教はたくさんあり、説教全体が占める割合は福音書全体の5分の2にもなります。そのため、イエスが偉大な教師であった側面を最もよく書き記しているのがこのマタイの福音書といえるでしょう。
この福音書自体には著者が誰であるかを明記していませんが、2世紀以来、教父たちの伝承はマルコが著者であるという点で一致していて、今日でもそのことが一般的に認められています。
マルコは「使徒の働き」(12章)に登場する人物で、ヨハネとも呼ばれています。マルコはラテン語名で、ヨハネはヘブル語名で、その意味は「主は恵み深い」です。
マルコはエルサレムのマリヤ(イエスの母ではない)の息子で、マリヤがエルサレムに持っていた家は、集会所としてクリスチャンたちに用いられていました。大勢の人々が集まるのに十分な広さを持っていたことからマルコの家はかなり裕福であったことがわかります。
マルコは、初代教会の指導的役割を果たしたバルナバという人の親戚でした。また、マルコは使徒たち、特にペテロとは親しい関係にあり、ペテロはマルコのことを「私の子」と親しみをもって呼び、2人が師弟関係であったことがわかります。
執筆年代については正確に特定することが難しく、現在も聖書学者たちの間で議論になっています。ただ一つ言えることは、エルサレムが破壊される前(紀元70年以前)に書かれたということです。そのようなこともふまえて一般的に考えられているのは、紀元57―60年と考えるのが妥当なようです。
マルコの福音書は最も短い福音書で、そのうちの約90%の内容がマタイの福音書かルカの福音書にも出てきます。一見同じような内容に見えるかもしれませんが、マタイが主にユダヤ人読者に宛てて書いたのに対し、マルコはローマの、特に異邦人と呼ばれる外国人のキリスト者たちに宛てて書いているので、マタイとは違った雰囲気があります。
この書の特徴は、イエスの教えよりも行動に重点が置いてあり、簡潔に書かれていることです。その証拠にマタイの福音書とは対象的に、山上の説教の大部分が省略されていたり、19もの奇蹟について記されているのに対して、たとえ話は4つしか記されていません。
またこれは、マルコ自身が目の当たりにしたことを記したわけではありません。
先程ペテロとは師弟関係にあったとお話しましたが、実はそのペテロが語ったことを本書にまとめたのがマルコでした。イエスの弟子としてイエスと長い時間をともにしたペテロが、イエスの生涯を思い起こし、語り、それを正確かつ簡潔にまとめたものがマルコの福音書です。当事者しか知り得ないような行動まで詳しく記されていたり、まるで著者が直接目撃したかのような印象を受けるのはそのためでしょう。本書は簡潔でわかりやすいため、はじめて聖書を読む人でもわかりやすい内容となっています。
もう一つの特徴として、マルコは、イエスの姿から、イエスの“弟子”となるとはどういう事なのかを伝えるために本書を書き、イエスを「しもべ」として描写していることがあげられます。
マルコの福音書に登場するイエスは、天におけるすべての栄光を脇に置き、「仕える者」としてこの地上で過ごされています。
人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである。
(マルコ10:45)
マルコは、イエスを苦しみを受ける神のしもべとして記し、私たちに仕え、私たちの為に自分を捧げ、模範となられた方として記しました。
ルカはアンテオケ出身の医者で、パウロはルカを「愛する医者」と呼びました。彼らは親友であり、同労者でした。ルカは長い間パウロに同行し、晩年は病弱であったパウロの伴侶として寄り添い続けました。また、ルカは聖書の書物を執筆した唯一の異邦人(ユダヤ人でない人)でもあります。そのためギリシャ・ローマ文化を受け継いだ諸民族に特に訴えかけるものがあります。
ルカ自身はイエスの生涯の目撃者ではありませんでしたが、他の使徒たちに取材を重ね、たましいの病をいやすイエスの福音とはどのようなものかを知り、そのことを2冊の書物(ルカの福音書と使徒の働き)に書き記しました。ルカは、年代や正確な調査を好んでいて、まさに最初の教会歴史家と言えるでしょう。
ルカの福音書は、「テオピロ閣下」という特定の名前を挙げ、すでに受けた教えが正確な事実であることを彼に知ってもらうためにこの書は記されました。とはいえ宛先はテオピロでしたが、彼1人のために書かれたわけではありません。「テオピロ」は「神の愛する人」という意味です。神を愛する人たち、そして広く異邦人の世界全体に、彼らが理解できるように、イエスの生涯とその意義を解説しています。
ルカの福音書が書かれたのはおそらく紀元60年代の初め頃だろうと考えられています。これはパウロがローマの牢につながれていた時期でもあります。
この書の特徴は、ルカが綿密な歴史を順序立てて書いている事です。ルカは教養のある人で、あらゆることを初めから調べて、順序立てて書くことのできた人でした。それは医者であり、歴史家でもあったルカの性格かもしれませんが、他の福音書では省略されているようなことも詳細に書かれています。そしてイエスの語ったたとえ話を多く記し、文学的に“史上最も美しい本”と言われています。
もう一つの特徴として、イエスを「人の子」として描写していることがあげられます。もちろん他の書でもイエスをそのように描写していますが、ルカが特に強調したのはイエスの「人間性」です。
当時イエスの時代のイスラエルは階級などをとても重視した社会で、貧しい人、病人、異邦人、サマリヤ人、子ども、取税人、女性、罪人たちなど多くの人たちが蔑まれていました。イエスはそんな人々へ寄り添い、見捨てることなくむしろ愛を示されたのです。社会的に疎外されていた者に対して特別に関心を払うイエスの憐れみ深い人間性が描かれています。
医者であったルカだからこそ、たましいの病をいやすイエスという素晴らしい医者について書くことができたのだと思います。
弱者や低階級の人々は状況を改善するには文字通り無力で、イエスの「神の御国が近づいた」というメッセージを喜んで受け取りました。
この差別のない、神の愛を多くの人々が信じますが、同時に多くの、ユダヤ人宗教指導者達はイエスの教えに反発しました。イエスの反発者達がイエスを十字架にかけようと企んでいた一方で、イエスは自身の弟子たちに自分の弟子になる事の重大さを教え続けました。最後にイエスは裁判にかけられ、十字架にかけられました。しかしイエスは復活し、弟子たちに希望のメッセージを届けます。イエスが昇天したあと、弟子たちがイエスの福音を生涯をかけて伝え続けた姿が、ルカの福音書の続編でもある使徒の働きに記されているのです。
そのため、現在ルカの福音書は弟子を訓練する手引き書としても用いられます。イエスがどのような生活を送られたのか、また、弟子たちをどのように訓練されたかを知ることができるからです。
イエスの12弟子の1人であったヨハネは、自身のことを「イエスが愛された弟子」と本書で紹介しています。それもそのはず、イエスの地上の宣教生涯における重要な場面にはいつもヨハネ、ヤコブ、ペテロの3人だけが同行を許可されていたのです。数々の場所や、人物、時間、様子に関して詳しく書かれており、イエスと長い時間をともにしたことがわかります。
イエスの昇天後、ヨハネはペテロとともにエルサレム教会の指導者となり、晩年はエペソにいましたが、迫害によって捕らえられてパトモス島に流刑になっています。新約聖書の最後に収められているヨハネの黙示録はその時に書かれたものです。
父はゼベダイで、母はサロメですが、このサロメはイエスの母マリアの姉妹と考えられているので、イエスとはいとこ関係にあったと思われます。そんなヨハネはイエスからボアネルゲ「雷の子」というあだ名をつけられました。激しい気性の持ち主だったのでしょう。
ヨハネの福音書は、紀元85-90年に執筆され、福音書の中でも1番最後に書かれたと一般的には考えられています。ヨハネは共観福音書を補うものとして、この福音書を書いています。もちろんそれは共観福音書に欠けがあったという意味ではなく、全く別の角度からイエスのことを伝える必要があると感じていたからでしょう。
この書は特定の人々に書かれたのではなく、イエスの福音を必要とする全ての人へ向けて書かれているため、どんな人にも訴えるものがあります。共観福音書がイエスの宣教活動のほとんどの部分をガリラヤや地方に位置づけているのに対し、本書はエルサレムとその周辺に限定していたりと、共観福音書との共通記事が全体の1割にも満たず、ヨハネ特有の記事が多く含まれています。
その大きな特徴は、共観福音書のように年代順にイエスの生涯を紹介することはなく、イエスが「神の子」であることを強調しているためもっとも神学的な内容になっていることです。
そのためヨハネが本書を書いた目的は明白でした。
しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。
ヨハネ20:31
このようにイエスが神の子であることをわかりやすく示すために、ヨハネは7つの奇蹟を中心に、本書を構成しています。
①ガリラヤのカナの婚礼で水をぶどう酒に変える
②王室の役人の息子をいやす
③ベテスダの池のほとりで足の不自由な男をいやす
④5千人に食事を与える
⑤ガリラヤ湖の上を歩いて、弟子たちを嵐から救出する
⑥生まれつき盲人の目をいやす
⑦ラザロを死からよみがえらせる
これらの奇蹟は、イエスが誰であるかを語り、神の賜物が何であるかを告げ、イエスを信じることの意味を明らかにすることを常に中心に置いています。神がイエスのうちに救いの力をもって臨在し、イエスが神から遣わされた真のメシヤ、神の子であることをよく表しています。
ヨハネが本書を書いた目的をもう一つあげるとすれば、それは2代目クリスチャンの信仰を励ますためです。12章から17章までは信仰者を対象に書かれています。ヨハネが彼らの信仰を深めさせ、彼らをより成熟した弟子へと成長させるという目的をもっていたことを示しています。当時広まっていた、「人間であるイエスにバプテスマの日に『キリストの霊』が下り、十字架の上のイエスから同じ霊が去った」という間違った教えが広まりつつあったためそれらの考えを正そうともしました。イエスは間違いなく「神の子」であり、完全に神であり人であった事を教えたのです。
今日はざっくり福音書について見てきましたが、みなさんはどの書を読んでみたいと思いましたか? 今日紹介した4つの書巻は、「福音書」と一括りになっていますが、「約束されていたメシヤ」、「神のしもべイエス」、「人の子イエス」、「神の子イエス」とそれぞれの著者が強調したかったイエスの姿の違いに気がついたはずです。同じようで全く違うこの福音書を、イエスの生涯を思い浮かべながら、みなさんもぜひ読んでみてください!
はじめて聖書を読むという方は、わかりやすいマルコやルカの福音書から読むのをおすすめします!
新約聖書についての記事もあるので、ぜひのぞいてみてください!
※書簡名や人名、地名は聖書の訳によって若干異なります。
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