ユダヤ教とキリスト教の違いは何?~共通点と相違点を分かりやすく解説~

       
  • 2025/3/14
  • 最終更新日:2025/3/14

世界五大宗教に数えられるユダヤ教とキリスト教には何か関係があると知っていても、いざその違いを上げるとなると、すっと出てこないかもしれません。
「ユダヤ教とキリスト教って、どこが同じで、どの辺に違いがあるのだろう・・・」と、考え込んでしまうことでしょう。
そこで、今回は、ユダヤ教とキリスト教の共通点と相違点を整理して述べました。
この記事を読み終えると、ユダヤ教とキリスト教はどこが同じで、どの点で違いがあるのか、ざっくりと分かっていただけます。
ぜひ、最後までお読みください。


Kenji
Writer ProfileKenji

クリスチャン家庭に生まれ育つ。趣味は映画、ハイキング、ボードゲームなど。 神学校を卒業後、牧師として働いてきました。現在はフリーランスのWebライターとして働きつつ、神様の愛を伝えるために様々な活動をしています。イエス様といっしょに生きる素晴らしさをお分かちできたら、うれしいです!

 

ユダヤ教とキリスト教の共通点

ユダヤ教とキリスト教にはいくつもの共通点があります。

ただ一人の神様を信じる唯一神教である

神と人との境界線は絶対神と人との境界線は絶対

ユダヤ教とキリスト教のどちらも、唯一の神様だけを信じています。
偶像崇拝(※)はせず、人間や天使を礼拝することもしません。
※唯一の神以外を神として礼拝すること 
神と人との境界線は絶対です。
人間は神の似姿に造られましたが、どんな修行によっても神にはならず、死んでも神になることはありません。
神はこの世のあらゆるところにいます(偏在)が、世界は神の被造物であり、神そのものではありません。
神は世界を超越している方として、ご自分が造った世界の出来事に関心を持っているのです。

 

創造主による世界創造と歴史支配を信じている

ユダヤ教もキリスト教も、創造主がこの世界を造ったと信じています。
主権者である神は、ご自分が造った世界と人間の歴史を治め、歴史の究極のゴールに向かって大いなる御手をもって導いています。
ユダヤ教徒とキリスト教徒の人生観・世界観は神中心です。
そして、両者共に、生まれ変わりを信ずる輪廻転生の円環的な歴史観ではなく、神による創造からスタートし、神が定めた歴史の終着点に至る直線的な歴史観を持っています。

 

メシアを信じている

サムエルに油を注がれるダビデ。3世紀、ドゥラ・エウロポスの壁画『サムエルに油を注がれるダビデ』
(3世紀、ドゥラ・エウロポスの壁画)

ユダヤ教もキリスト教も、神が約束したメシアを信じています。
メシアは「油注がれた者」という意味のヘブライ語です。
旧約聖書の時代、神に奉仕する預言者、祭司、王は、油を注がれてその働きに任命されました。
ですから、元々は多くの油注がれた者であるメシアがいましたが、時代が下り、ユダヤ人の王国が滅亡してゆく中で、神が送ってくれるただ一人のメシアへの希望が高まっていきました。
ユダヤ教もキリスト教のどちらも、神が送るメシアを信じている点で同じです。

 

旧約聖書を正典として認めている

ユダヤ教もキリスト教も、旧約聖書を正典としています。
旧約聖書は権威ある神の言葉で、神に対する信仰と、神に仕えるこの世での生活の基準とになっています。

 

神を礼拝し、倫理的生活を大切にしている

ユダヤ教の祈りのショール「タリート」と
ヘブライ語で書かれた聖なるトーラーの巻物

ユダヤ教徒もキリスト教徒も、神を礼拝し、神が聖書を通して命じた道徳的な生活を重要視している点で同じです。
先に述べた通り、神中心の人生観・世界観を持っているため、どちらの信者も神が人生の中心、神礼拝が生活の中心となっており、日々、神と隣人を愛して生きるべく努めています。

 

世の終わりと最後の審判を信じている

ユダヤ教とキリスト教のどちらも、将来、神が定めた世の終わりの時に、神のメシアによって最後の裁きが行われ、神の国(の完成)がもたらされると信じています。

 

ユダヤ教とキリスト教の相違点

上記の通り、ユダヤ教とキリスト教には共通点が多いのですが、大きな違いもあります。

 

唯一神についての理解の違い

ユダヤ教とキリスト教のどちらも唯一神教であり、神が唯一である点は徹底していますが、ただ一人の神についての理解が異なるのです。
ユダヤ教では神は絶対的に一つの存在ですが、キリスト教は三位一体を信じています。
三位一体とは、唯一の神が永遠に父と子と聖霊の三つの位格において存在し、人間の救いのために協力して働くという教えです。
三位一体は旧約聖書で暗示されており、イエス・キリストの到来と聖霊降臨を通して、新約聖書で明らかにされました。

「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、」
(マタイによる福音書28:19)

キリスト教徒にとって、神は孤独な絶対者ではなく、永遠に父と子と聖霊の愛の交わりに生きる愛の神なのです。

 

メシアはまだ来ていないか、すでに来たかの違い

『キリストの復活』(18世紀・シモン・チェホヴィッチ )『キリストの復活』
(18世紀・シモン・チェホヴィッチ )

ユダヤ教はイエスがメシアであることを拒絶しており、キリスト教はイエスこそが神の約束したメシアだと信じています。
ユダヤ教は、まだメシアが来ていないため、メシアの到来を待っています。
キリスト教では、イエスこそが旧約聖書で約束されたメシアです。
「イエス・キリスト」は、「イエスがキリスト(メシアのギリシャ語訳)である」という、キリスト教徒の信仰告白なのです。
キリスト教徒はメシア(キリスト)が2回到来すると信じており、それぞれ「初臨」と「再臨」といいます。
約2000年前、イエス・キリストは、創造主から離れ、自己中心に生きるようになってしまった全人類の罪を贖うためにこの世に生まれ(初臨)、十字架で救いを成し遂げた後、三日目に復活し、昇天しました。
キリスト教徒は、かつて苦難の僕として人間の罪を負うために来たイエスが、今度は栄光の主として「再臨」し、最後の審判を行ない、神の国を完成させるのを待っているのです。

「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」
(ヘブル人への手紙9:28)

 

神の国はまだ来ていないか、すでに来たかの違い

ユダヤ教は、世の終わりに神のメシアによって裁きが行われ、神の国がもたらされると信じ、待ち望んでいます。
キリスト教は、イエスの到来(初臨)によって神の恵みと救いの支配(神の国)はすでに地上で開始し、現在も広まっており、やがてイエスの「再臨」の時に完成すると信じています。

 

聖書正典の範囲の違い

タナハ全体を構成する巻物のセットタナハ全体を構成する巻物のセット

ユダヤ教は旧約聖書のみを正典としていますが、キリスト教は旧約聖書と新約聖書を神の言葉として受け入れています。
ユダヤ教では、旧約聖書だけが聖書であるため、そもそも新約聖書と区別した旧約聖書という呼び方はせず、「タナハ」と呼ばれます。
タナハという名称は、ユダヤ教の正典を構成する3つの部分、トーラー(律法)、ネビイーム(預言書)、ケトゥビーム(聖文書)の頭文字を組み合わせたものです。
ユダヤ教とキリスト教では、旧約聖書(タナハ)に収録されている書の順番も異なります。
ユダヤ教では、トーラー(律法)、ネビイーム(預言書)、ケトゥビーム(聖文書)の順になっており、最後は歴代誌で終わっていますが、キリスト教では、律法、歴史書、知恵文学、預言書の順番となっており、最後はマラキ書で終わります。 
ユダヤ教では、正典であるタナハだけでなく、口伝律法やラビたちの議論と解釈をまとめたタルムードも重要な教典とされています。
キリスト教では、カトリックが旧約聖書と新約聖書時代の間の約400年間に書かれたいくつかのユダヤ教文書を第二正典として認めており、プロテスタントは旧約聖書39巻のみと新約聖書を正典としています。

 

罪の理解の違い

ユダヤ教の場合、罪とは律法への違反行為です。
ユダヤ教では、人間は善と悪の衝動を持って生まれますが、自由意志によって善悪のどちらかを選択可能であるとされます。
キリスト教では、アダムとエバの罪への堕落以降、人間は生まれつき原罪(腐敗した性質)を受け継いでおり、そこから思いと言葉と行ないにおける様々な罪が生じると理解されています。
罪に関しては、キリスト教の方がより深刻に理解していると言えるでしょう。
この罪理解は、次の「救われる方法の違い」とも密接に関係しています。

 

救われる方法の違い

ユダヤ教では、律法を守ることによって救われます。
キリスト教と比べて、人間の罪に関して楽観的な見方をしていることが関係していると思われます。
キリスト教では、人間は罪へと堕落し、原罪を持って生まれるため、自力で律法を守って救いを得ることは不可能です。

「なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。」
(ローマ人への手紙3:20)

神が送ったメシア・イエスの十字架の贖罪と復活によってのみ、人間の罪からの救いは成し遂げられました。
キリスト教では、唯一の救いの道はイエス・キリストであり、イエスを救い主と信じる信仰によってのみ救われます。

「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」
(使徒行伝4:12)


「わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。」
(ローマ人への手紙3:28)

 

救いの対象の違い

ユダヤ教では、神がアブラハムとその子孫と結んだ契約に基づき、基本的にユダヤ人が救いの対象です。
キリスト教では、ユダヤ人だけでなく全人類が救いの対象に含まれます。
イエス・キリストを信じる者は、人種、国籍、民族、階級、性別、その他の一切の違いを超えて、誰でも救われるのです。

「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。」
(ローマ人への手紙10:12)

 

礼拝の曜日の違い

ユダヤ教は、十戒の第四戒の安息日を守って、安息日(シャバット、金曜日の夕方から土曜日の夕方まで)に礼拝を行なっています。
宗教に熱心な正統派のユダヤ教徒は、安息日には仕事や作業(火や電気を使うことや車に乗ることも)を一切しません。
家族と食事を楽しんだり、祈りをささげたり、穏やかな過ごし方をするようです。
もちろん、伝統的なあり方にしばられないユダヤ教徒の方々もいます。
キリスト教は、イエス・キリストが復活した日曜日に礼拝を行なっています。
キリスト教では、主日礼拝の後は比較的自由に過ごし、レジャーなどを楽しむ人もいる印象があります。
なかには、日曜日をキリスト教の安息日と理解し、仕事をしたり、新聞を読んだりすることを避けるキリスト教徒もいます。

 

礼拝の理解の違い

ユダヤ教では、神との契約に基づいて祈り、礼拝を行なっています。
キリスト教の場合も、神との契約に基づいて礼拝していますが、特に神と人との間の仲保者イエス・キリストを通してのみ祈り、礼拝する点が特徴です。
人間は聖なる神の前に罪人であり、ただイエス・キリストを通してだけ祈り、神を礼拝できるのです。

「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」
(テモテへの第一の手紙2:5)

 

決定的な違い〜イエスは神を冒涜した者か?神の子か?~

1210年頃に描かれた『三位一体の盾』の図式『三位一体の盾』(1210年頃)

ユダヤ教とキリスト教の決定的な違いは、イエスを神の子として受け入れるかどうかです。
ユダヤ教はキリスト教の三位一体を受け入れません。
神が唯一であるという信仰の根本と矛盾・対立すると考えるからです。
イエスの時代のユダヤ教の指導者たちは、人間イエスが自らを神の子、つまり、創造主と等しいお方であり、神様と一つであると主張したため、イエスをローマ人の手によって処刑しました。
イエスが神の子だという主張は、当時のユダヤ教にとっては神への冒涜だったのです。
現代のユダヤ教はキリスト教徒の信仰の自由を尊重しますが、イエスが神の子であるというのは純粋な一神教の教えに反する誤った教えであると考えるため、決して受け入れません。
なお、旧約聖書に登場する聖霊は、神の力や霊感の働きではあっても、ユダヤ教では独立した存在としては理解されていません。
三位一体を信じてはいないのです。
キリスト教は、イエスが神の子と信じています。
イエスが神の子だというのは、イエスが神だという意味です。
ギリシャ神話に登場するヘラクレスは、ゼウスと人間の女性の子どもで、半分神でしたが、半分は人間であり、人間以上神以下の存在でした。
イエスはそういう存在ではなく、100%真の神なのです。
あるいは、イエスは、同時代の他の人間より霊感が強かったという意味で神の子なのでもありません。
イエスこそ、罪と悲惨の満ちた世界に生きる私たち人間を救うためにこの世に来られた神ご自身です。

「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」
(マタイによる福音書1:21)

もしイエスが神の子、つまり、神ご自身でなかったなら、私たちには何の希望もありません。
人間を救えるのは神だけです。

「弟子たちはこれを聞いて非常に驚いて言った、『では、だれが救われることができるのだろう』。
イエスは彼らを見つめて言われた、『人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない』」
(マタイによる福音書19:25-26)

私たちの永遠の救いは、愛に満ちた父と子と聖霊の三位一体の神にかかっており、神の子イエス・キリストは十字架の贖罪と復活によって罪からの救いを成し遂げてくださったのです。

 

まとめ

聖墳墓教会(エルサレム)‎聖墳墓教会(エルサレム)‎

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
いかがでしたか。
この記事では、ユダヤ教とキリスト教の共通点と相違点を分かりやすく書いてきました。
これまで何となく知っていた両者の違いについて、はっきりと理解していただけたのではないでしょうか。
ユダヤ教とキリスト教は、唯一神と旧約聖書という同じルーツを持つ宗教であると同時に、イエスが神の子であるかどうかに関して決定的に異なる理解を持っています。
キリスト教は、イエスこそ、神が旧約聖書で約束したメシアであり、私たち人間を罪から救うためにこの世に来てくださった神の子であると信じ、伝えています。
天の神は、イエスとその十字架の死において、私たちへの愛と救いの御心を現してくださいました。
今やイエスを救い主と信じる人は、誰でも救われるのです。
この記事を読んで、キリスト教、そしてイエスについて関心を深めていただけたなら、ぜひ、他の記事や聖書自体も読んでみてください。


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