クリスチャンの偉人紹介 【第3回】マルティン・ルター(前編)

       
  • 2024/11/5
  • 最終更新日:2024/11/15
マルティンルター前編

こんにちは、ノイです。
第3回目にご紹介するクリスチャンの偉人は、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターです。今回は前編になります。
今から約500年前、ルターによって掲げられた「95箇条の論題」に端を発した宗教改革は、ヨーロッパ全体に激震をもたらしました。
神学上の問題に留まらず社会的な改革とも結び付き、ひいては国際戦争にまで拡大していった宗教改革ですが、ルター自身は始めから終わりまで、教会と個々人の信仰の改革を目指していました。
ここでは、信仰の先人ルターが目指した改革とはどのようなものであったのか、その生涯とともに探っていきたいと思います。


ノイ
Writer Profileノイ

日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。

 

改革の賜物

マルティン・ルターこんにち、私たちは自分が読みたいときに聖書を手に取って、自国の言葉で神の言葉を読むことができます。
イエスを救い主として信じ受け入れたなら、誰でもいつでもどこでも神に祈ることができます。 
キリスト教における信仰とは、「神と私」の関係のうちに芽生え深まっていく、極めて個人的なものである一方、クリスチャンは教会という共同体に属しながら、イエスが命じたように互いに愛し合い、仕え合って信仰生活を送ります。
個人の内面にある信仰は、他者との関係において目で見える形となって現れるのです。  

ルターは、今、私たちが享受できるこの信仰生活の土台となる聖書の教えを広め、当時の教会の在り方と教えを正すことに文字通り命を懸けた人物でした。

 

歴史的背景

ルターが生きた時代は、中世も終わろうとしている近代前夜でした。
14世紀にヨーロッパを度々襲ったペストによって、死は人々の身近に存在し、死後の世界を意識した人々は、神に救いを求める強い信仰を持っていました。
当時はラテン語の聖書しかなく、聖書の知識は人々から隠されており、教会が唯一の仲介者となって神と信仰者の間に立っていました。
教会が定めた数多の制度や決め事は、聖書の教え以上に絶対的な力を持って民衆の生活の隅々にまで浸透していましたが、教皇庁内でのごたごたが絶えず、ローマ教会の中央集権体制に翳りが見え始めた頃でもありました。

神聖ローマ帝国と教会

ドイツは13世紀に正式に「神聖ローマ帝国」という国号を採用し、政権と教権の切っても切れない関係の中で確立したキリスト教帝国でした。

教皇側は、後に皇帝側が従来の統治システムを跳ね除けるまで、「神→教皇→皇帝」というヒエラルキーを主張し、ローマ教皇は最高権威を手にしていました。
当然、皇帝側も大人しく従っていくわけもなく、何世紀にも亘って教皇(教会)と皇帝(国家)の勢力は絶えずぶつかり、血みどろの戦いを繰り返していたのです。
そして、皇帝を選ぶ権利を持っていた各地方を治める諸侯たちは、「皇帝を選ぶ諸侯」つまり選帝侯と呼ばれ、帝国内の力関係に大きく関与していました。

~歴史の道草~
ルターが改革運動を継続できた背景には(それ以前に命が守られたのは)、教皇の権力に対抗できる選帝侯の存在があった。ルターの活動拠点となったザクセンという土地と、教皇、皇帝、選帝侯といったルターを取り巻く各勢力の存在が、ルターをルターたらしめたとも言える。当時の世情について詳しく知りたい方は、菊池良生著『図説 神聖ローマ帝国』がお勧め。

教会の世俗化

当時、広大な教会領を統治する司教や大修道院長には行政権が与えられ、税収と宗教的権威を併せ持つ高位聖職は人気の的であり、諸侯たちによって頻繁に売買されていました。
司教や高位聖職者とは、もっぱら僧服を着た諸侯だったのです。
長い中世の歴史の中で、教会の内外からその腐敗を批判し、浄化を求める運動が起こりましたが、世俗と結びついた体質を改めることはできませんでした。

聖書に立ち返る動き

聖書に書かれた教えそのものに立ち返ろうとする動きは、ルターの改革以前にも各地で起こっていました。
しかし、その度に聖書を基とする信仰を叫んだ人々は教会から追放され、火あぶりの刑に処せられるなどして口を封じられたのでした。
ルターが教義と信仰をめぐって対立した当時の教会の権威は国家のそれに匹敵し、一介の修道士など一捻りできるほどのものだったのです。

sola scriptura杭にかけられて焼かれるフス

~歴史の道草~
12世紀、仏リヨンの実業家ワルドーは、雇った司祭にラテン語の聖書をプロヴァンス語に翻訳させた。プロヴァンス語聖書を読んだワルドーは、当時の教会によって行われていた秘跡や儀式が魂の救いに必要がないことを説き、聖書に書かれたイエスの贖(あがな)いによる救いについて各地で説教して回った。13世紀になるとワルドーの教えの信奉者は処刑の対象となったが、ヨーロッパの各地へ避難した人たちによって聖書の福音を基にした信仰が広まっていった。
迫害の中でも消えることのなかった福音中心の教えは、やがてジョン・ウィクリフやヤン・フスに影響を与え、教会の教義を正す動きに繋がっていく。
フスは「教会の頭は教皇ではなくキリストであり、枢機卿ではなく信徒一人一人がその体である」と主張して当時の体制を批判し、聖書の権威を教会より上に置いた。
1415年に火あぶりの刑となったフスが残したメッセージは、それから約100年後に起こるルターの宗教改革へと受け継がれていくのである。

ローマ教皇レオ10世

ルターを破門したローマ教皇レオ10世は、ローマ・カトリック教会の頂に立ったメディチ家の子孫であり、まさに教会の世俗化を象徴した人物でした。
ルネサンス芸術に傾倒していたレオ10世は、サン・ピエトロ大聖堂改築工事の資金不足を補うため、マインツ大司教アルブレヒトによる贖宥(しょくゆう)状※の販売を認めていました。
※「免罪符(めんざいふ)」とも呼ばれる。

ルターの歩み

さて、ここまでは宗教改革の歴史的背景を紐解いてきましたが、ここからはルターその人に注目したいと思います。

生い立ち

ドイツ・アイズレーベンアイスレーベン、ルター像がある広場

ルターは1483年11月10日にドイツ東部のザクセン=アンハルト州のアイスレーベンという小さな村で生まれ、1546年に故郷で生涯の幕を閉じました。
アイスレーベンとヴィッテンベルクはルターとゆかりの深い町として、現在、正式名称に「ルターシュタット(ルター都市)」という文字を冠しています。

父の期待と躾

父ハンスは、農民から鉱山経営の実業家として成功した上昇志向の高い人物で、母マルガレータとともに子供たちに厳しい躾をし、時に鞭を使うこともありました。
5歳からエリートコースを歩んだルターは、1501年に18歳でハンス念願のエルフルト大学へ入学することになります。1504年に2番目の成績で卒業した折には松明行列を出して祝うほどハンスは大喜びし、ルターもまた「これ以上の喜びはなかった」と語っています。

厳格な父と神

「人が抱く神のイメージは、その人の両親との関係に影響を受けている」と言われることがありますが、子供たちの出世を望む父の強い期待を背負って勉学に励んだルターもそうであったのかもしれません。

後の修道士時代に、ルターは神が要求する善の基準に達し得ない自身に苦悩し、神の厳格さと罰を恐れて非常にストイックな修道生活を送ることになるのです。

歴史の転換点

1505年に父の望み通り法学部に進学したルターでしたが、同年7月に突如として大学を中退し、アウグスティヌス修道会に入ってしまいます。

シュトッテルンハイムでの落雷

故郷に帰省していたルターたちがエルフルト大学に戻る途中の、シュトッテルンハイム近郊の野原でのことでした。
突然、豪雨と落雷に遭遇し、一行は地になぎ倒されます。
死の恐怖を感じたルターは、とっさに「聖アンナ様、助けてください。私は修道士になりますから!」と叫んで命乞いをしたのです。
そして、この日から2週間後にルターはこの誓い通り修道院に入ります。
激怒した父親に対してルターは心底申し訳なく思いながらも、神に誓った道を変えることはありませんでした。

修道士時代

修道士時代死の恐怖から見習い修道士となったルターでしたが、いくら厳しい修練の日々を送っても、不安や悩みは消えるどころか強まっていく一方でした。
当時は心の中で犯した罪も聖職者に告白し、贖罪を受けることになっていましたが、いくら告解しても罪悪感はなくならず、善に対する自分の限界が見えるばかりなのです。

なくならない罪

「善い人間になろうとしてどんなに頑張っても、なれない。根っこから変われない。このままでは永遠の裁きを受けるだろう。どうして神は惨めな人間にこれほどまでに手厳しく要求されるのか⁉」という不安と混乱がルターの心に渦巻きます。 

上司のシュタウピッツが、何度も苦行を行い、懺悔するルターに向かって「神があなたに怒っているのではなく、あなたが神に怒っているのだ」と言うほど、罪の意識と神への恐れに追い詰められていたのです。 

つまり古き人※は、律法※によって要求されるところものを償(つぐな)うことができないために、ただますます律法を敵視するばかりである。なぜなら罪が彼の本性をなしているので、彼自身どうともすることができない。そこで律法はその死であり、あらゆるその苦悶である。律法が悪いというのではなく、彼から善いものを要求するために、悪い本性がこの善に堪えられないのである。丁度病める者が、走ったり跳んだりその他健康な人のなす活動を要求されても、これに堪えられないのと同じなのである。
『聖パウロのローマ人にあたえた手紙への序言』ルター著・石原謙訳

※「生まれながらの人」の意。
※「律法」とは、ざっくり言うと、神の前、他者との間における完全な生き方を示す神によって定められた掟。イエスは、律法とは神と隣人を愛することだと教えた。

「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。
新約聖書「マタイによる福音書」22章36~40節

「塔の体験」

1512年にルターはヴィッテンベルク大学の聖書学の教授になります。
講義のために旧約聖書の『詩篇』を研究していた時に、次の言葉がルターの目に留まりました。

あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください。
詩篇71篇2節

ドイツ、ウィッテンベルクのマーティン・ルーサーの扉ドイツ、ヴィッテンベルクの
マーティン・ルーサーの扉

神の義(正しさ)に「わたしが」到達するように要求されているはずなのに、反対に、「神の義が」自分を救うように求めているこの言葉をきっかけにして、ルターの中のそれまでの認識が崩れ始め、新たな信仰の土台が姿を現してきたのです。

降りて来た恵み

それまでルターは、「自分で」神の義に適う者となろうとしてもがき、救いと恵みを「獲得するために」善い行いに励んでいました。 
しかし、詩篇に続く新約聖書の『ローマ人への手紙』の研究を通し、イエス・キリストの十字架の死と復活によって、義と救いは神から「与えられるもの(賜物)」であり、自分に必要なことは、ただ信じて受け取る(信仰)だけなのだ、と全く新しい認識に至ったのです。これを「信仰義認」と言います。

まことにわたしの神は、全く価値なき呪わるべき人間であるわたしにさえも、何の功徳もなく全く価いなしにしかも純粋な憐みから、キリストを通し且つキリストにおいて、あらゆる義と祝福とにみちた全き富をあたえたもうた。
そのためわたしは、これより後それがそうであると信仰すること以外に、もはや何をも要しないところのものとされた。
かくもみち溢れるばかりの財宝をわたしに注ぎ与えて下さったかかる父に向って、わたしもまた自由に、喜びに溢れつつ、価いなしに、神のよろこびたもうことを行いたい。キリストがわたしのためになりたもうように、わたしもまたわたしの隣人のために一人のキリストとなろう。
『キリスト者の自由』ルター著・石原謙訳

かつてルターを苦しめ追い詰めた神の義が、今や喜びと平安をもたらすものに変わりました。目には見えない出来事でしたが、これが宗教改革の原動力となったルターの信仰の大変革であり、「塔の体験」と呼ばれています。

信仰の変化は神との関係の変化をもたらし、やがてルターの目は内から外へと向けられていくことになるのです。

~歴史の道草~
「人間は善行ではなく、信仰によってのみ義とされる」という新しい福音の認識である「信仰義認」。この認識に至るまでの一連の経緯は、ヴィッテンベルク大学の塔内の図書館で起こったことに因んで「塔の体験」と呼ばれる。 
自分の罪を贖(あがな)ったイエスの愛と救いを、信仰(信じること)で受け取ったルターは、見返りを求める自分のための善行ではなく、ただ感謝と愛のゆえに、全く自由で自発的な善行を行うことが神の真の掟なのだと悟る。見た目は同じ行為でも、動機が全く異なる。そして、神はその心を見ておられるのだ、と。
「塔の体験」を経て、ルターは初めて心からの平安を得、あれほど恐れていた神を愛するようになるのである。

人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
ローマ人への手紙3章28節

『クリスチャンの偉人紹介~第3回 マルティン・ルター~』は、次回後編に続きます。

【参考文献】
『図説 神聖ローマ帝国』菊池良生著 河出書房新社 
『ドイツの歴史を知るための50章』森井裕一編集 明石書店
『新訳 キリスト者の自由 聖書への序言』マルティン・ルター著 石原謙訳 岩波文庫
『「キリスト者の自由」を読む』ルター研究所編著 リトン


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