クリスチャンの偉人紹介 【第4回】マルティン・ルター(後編)

       
  • 2024/11/22
  • 最終更新日:2024/11/22

こんにちは、ノイです。
第4回目のクリスチャンの偉人紹介は、前回に続き、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターです。


ノイ
Writer Profileノイ

日本海を見て育つ。 幼い頃、近所の教会のクリスマス会に参加し、キャロルソングが大好きになる。 教会に通うこと彼此20年(でも聖書はいつも新しい)。 好きなことは味覚の旅とイギリスの推理小説を読むこと。

 

改革の幕開け

レオ10世レオ10世

ルターが「信仰義認」に至り、信仰における新しい局面を迎えた頃、ドイツで贖宥(しょくゆう)状が販売されるようになります。
この贖宥状の批判に端を発した宗教改革は、ルターの想像をはるかに超えた形で連鎖反応を引き起こし、各地へ飛び火していくのです。
※「免罪符(めんざいふ)」とも呼ばれる。

贖宥状の販売

レオ10世教皇からの委任状を貼り付けた十字架を
背にして贖宥状を売る説教者テッツェル。
(ヨハン・ワーグナー)

1517年、レオ10世によって承認された贖宥状は、「ありとあらゆる罪が赦される」という謳い文句をつけ、自分だけではなく、すでに他界した人間の魂をも救う方法として売り出されました。
救いと金もうけを結び付けた悪徳商法以外の何物でもありませんでしたが、人々は教会の教えを信じて購入していきます。

信徒たちが自分と同じように罪に苦しみ、死後を恐れていることをよく知っていたルターにとって、これは看過できない事態でした。
贖宥状に頼って罪の問題を金で解決することは、聖書が伝える福音と真っ向から対立し、イエス・キリストの十字架の贖(あがな)いを無にすることに他ならなかったからです。

1517年10月31日

この日、ルターはヴィッテンベルク城に付随した聖堂の門の扉に「95箇条の論題」を貼り出しました。当時、ヴィッテンベルク大学では、定期的に神学者が集まって神学上の問題を論じる場があり、教会の扉は掲示板のようなものでしたので、ルターの行為は特段珍しいことではなく、貼り出した論題は一般市民には読めないラテン語で書かれていました。  

以下は、実際に掲げられた論題からいくつか抜粋したものです。

1.われらの主イエス・キリストが「悔い改めよ」と言われたのは、信徒の全生涯が悔い改めであることを求められた※1のである。

2.この言葉は、秘跡としての悔悛(かいしゅん)※2について―すなわち司祭の職務による告解と贖罪(しょくざい)について―と理解することはできない。

20.従って、教皇が「すべての罰の完全な赦し」と言ったところで、すべての罰ではなく、ただ教皇自身が課した罰のことだけを指しているのである。
21.従って、教皇の贖宥によって人間はあらゆる罰から解放されて救われると教える贖宥説教者たちは間違っている。

36.真に痛悔したキリスト教徒はだれでも、贖宥状がなくてもその人自身にふさわしい、罰と罪からの完全な赦しを得ている。
37.真のキリスト教徒はだれでも、生死に関わらず、贖宥状がなくても神から彼への賜物として、キリストと教会のすべての宝が与えられている。

49.教皇の贖宥は、もし人々がこれに信頼しないのであれば有益であるが、これによって神への恐れを捨てるのであれば最も有害であることを、キリスト教徒は教えられなければならない。
※1…ここで言う「悔い改め」とは、当時の秘跡として行われていた「儀式的な行為」ではなく、神の言葉によって自分の罪を認めて悔い改め、自分中心の生き方から神に向き直る(神を頼りとし、神の言葉に信じて従う)「心の方向転換」を指す。 
※2…カトリック教会の7つの秘跡のひとつ。人が自分の罪を司祭に告白し、神の赦しを得るための儀式。

下線と注釈は筆者による。

論題の焦点

「楽しみを販売している教皇」。
教皇を反キリストであると暗示する内容の
贖宥状の販売を批判したルーカス・クラナッハ作の
風刺画で、1521年のルターの著作『Die Rolle des
Passional Christi und Antichristi』の挿絵

新約聖書は、旧約聖書の預言や約束に基づき、「イエス・キリストの十字架の死と復活のおかげで自分の罪が贖われ、罪とその結果から解放される」という信仰によって、人が神の前で正しい者(義)とされることを約束しています。
これがいかに大きな神の愛と恵みであるかを知っていく歩みが、信仰者の人生であるとも言えるでしょう。そして、恵みを悟っていくほどに罪から離れ、神に信頼した新しい生き方を進めていくことができるのです。 
しかし、聖書の約束を拠り所とせず、教皇から「赦し」を買い取る贖宥状は、偽りの安心感によって人々に罪やその結果を軽視させ、信仰の土台となる悔い改めの必要性を見えなくし、真心で神に立ち返ることを妨げます。
結局、イエス・キリストに頼ることなく、罪を負ったまま、己を頼って生きていくことになるのです。 
ルターは贖宥状が人々に与える極めて深刻な影響を憂慮し、論題を掲げました。これは、ルターの中に確固とした「信仰義認」に基づく信念がなければ行い得なかったことです。
ルターの論題は弟子や学生たちによってドイツ語に翻訳され、当時、発明されたばかりの活版印刷によって大量に印刷されて広く世に出回ったため、たちまち大きな反響を呼ぶことになりました。
もし活版印刷の発明が遅れていたなら、宗教改革は全く違った結果になっていたでしょう。

~歴史の道草~
16世紀、贖宥状の売り上げに貢献したドイツは「ローマの牝牛」と呼ばれていた。
贖宥状販売の裏事情は次のとおりである。マグデブルク大司教であったアルブレヒトは、マインツ大司教の座を得ようとし、そのために必要なローマ教皇庁への献納金を、アウグスブルクの大銀行家フッガー家から借りた。借りた金を教皇庁へ納め、晴れてマインツ大司教となったアルブレヒトは、教皇から許可を得てドイツでの贖宥状販売に乗り出す。最終的に、売上金の半分は総元締めの教皇に流れてサン・ピエトロ大聖堂の改修費に充てられ、残りは返済金としてフッガー家にたどり着いていた。ルターはこのからくりを知る由もなかったが、巨大なビジネスで儲けを得ていた時の権力者たちと図らずも戦うことになるのである。

 

破門と帝国追放

贖宥状批判によってローマ教皇庁から異端審問を受けたルターは、1519年にライプツィヒで行われた神学論争においても自説を曲げませんでした。 
両者の対立は決定的なものとなり、レオ10世はルターに「破門威嚇勅書」を送りつけますが、脅しに屈しないルターはこれを火に投じます。

「宗教改革三大論文」

ライプツィヒ神学論争後、教皇制と教会体制に対して一層疑念を深めたルターは、聖書と教会史の研究を進めると、のちに「宗教改革三大論文」と呼ばれる『キリスト者の自由』、『教会のバビロン捕囚について』、『キリスト教界の改善に関してドイツのキリスト教貴族に与える書』を相次いで出版し、ローマ教会の制度を批判しつつ、信仰義認に基づく神学論を明確に示しました。

ヴォルムス帝国議会

1521年1月にローマ教皇庁によってルターが正式に破門されると、神聖ローマ皇帝カール5世は、ヴォルムス帝国議会を開いてルターを呼び出しました。
この頃、ルター支持層とローマ教会との対立が各地に広がっており、ドイツが分裂することを恐れた皇帝は、両者を調停する必要に迫られていたのです。
 

「私は、ここに立つ」

皇帝カール5世は議会でルターに自説の撤回を求めますが、ルターの心は変わりませんでした。

「聖書の証言か明白な根拠によってでなければ、私は私が挙げた聖句に服し続けます。私の良心は神の言葉にとらえられているのです。
私は教皇も公会議も信じておりません。それらがしばしば誤り、矛盾していることは明らかだからです。
私は取り消すこともできませんし、取り消すつもりもありません。良心に反したことをすることは、確かなことでも正しいことでもないからです。
私はここに立つことしかできません。神よ、私を助けたまえ。アーメン」

ルターは、最高権力者たちからどのようにされても、聖書から受けた信仰に反することはできないと宣言し、神の言葉に立つことを選んだのです。 
その結果、教会からの破門に加え、ルターは帝国追放の刑に処せられます。

 

神の言葉の解放

命の危機にさらされたルターでしたが、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世によって約1年間ヴァルトブルク城に匿(かくま)われ、難を逃れます。
隠れ住んだ城の一室でルターが行ったことは、神の約束の言葉である「聖書」を原典のギリシャ語からドイツ語に翻訳し、人々に届けることでした。

~歴史の道草~
ルターを庇護(ひご)したザクセン選帝侯フリードリヒ3世は、ルターの故郷ザクセン地方を治めた領主であり、ルターが教授として勤めたヴィッテンベルク大学の創設者であった。「賢侯」と呼ばれたフリードリヒは、その愛称の通り誰もが認める賢人で、領邦君主として全ての臣下に対する強い責任感を持っていた。
賢侯は、教皇が自分の領地で権力を行使することを拒み、自身は敬虔なカトリック教徒でありながらもルターの神学説も公平に検証すべきとして、教皇からのルターの引き渡し要求を拒否している。その後、教皇だけでなく、新帝カール5世からの引き渡し要求をも黙殺し、ルターを守り通した。ルターを城に匿ってから4年後、賢侯は臨終に際して福音派の信仰を告白し、新教(プロテスタント)の聖餐(せいさん)式を受けたのであった。

聖書のドイツ語訳

ルターが翻訳したドイツ語の聖書が世に出回るまで、聖職者以外の人々は聖書を読むことができませんでした。ラテン語訳以外の聖書を持つことは異端であるとされた時代、ドイツ語訳の聖書を読むことは命懸けの行為でしたが、ルターに共鳴した教会や裕福な市民はドイツ語訳聖書を買い求め、2~3千部あった初版はたちまち売り切れとなります。
文字を読めなかった多くの人々は、読むことのできる人に朗読してもらうことで聖書の言葉に触れ、初めて自分が理解できる言語で神の言葉を受け取ったのです。
その心にはどれほど深い感動があったことでしょう。

~歴史の道草~
ルターの宗教改革の主要部分であり、後世に遺した最大の贈り物は、聖書の翻訳である。
ルターは『キリスト者の自由』の中で「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出るすべての言で生きる」(マタイによる福音書4章4節)という聖句を引用し、「たましいは、聖なる福音すなわちキリストについて説教された神の言のほかには、これを生かし義たらしめ自由にし、そしてキリスト者たらしめる如何なるものをも、天にも地にも所有していない」と述べている。ヴァルトブルク城における隠棲内のわずか2ヶ月の間に、辞書も註解書もなければ相談相手もいない状況で新約聖書の全てを翻訳し終えたという驚くべき偉業には、信仰の基となる神の言葉を一刻も早く人々に届けたいというルターの強い思いが表れている。

 

拡大する改革と分裂

民衆へと広がっていった宗教改革の思想は、やがて人々の社会的・政治的な要求と結び付き、彼らが望む改革を実現するために用いられていきます。
しかし、目的も方法も異なるルターの改革と民衆の改革が一致することはありませんでした。 
聖書の言葉を通して与えられる神の賜物は、目に見えるものによらず、国や社会の在り方に左右されるものではなかったからです。

なぜならキリストの国は地上のではなく、また地上の宝によって存するでもなく、真理、知恵、平和、喜び、祝福(救い)などのような霊的な宝によって成立するのである。
石原謙訳『キリスト者の自由』より抜粋

ドイツ農民戦争

1524年、「神の前に万人は平等」というルターの言葉を掲げた農民が、自分たちを搾取する領主に反抗し、大規模な一揆「ドイツ農民戦争」を起こします。
ルターは農民に同情的でしたが、殺人、略奪、破壊行為が深刻化し、社会秩序が崩壊していくのを目の当たりにすると、領主らの弾圧を支持するようになり、最終的に農民の心はルターから離れていきます。
そして、一揆に勝利した各地の領主の勢力が増すことで、ドイツ国内は一層分裂していきました。 

 

ルターの改革

ルターは民衆の騒動を鎮静しようと努める一方で、教会と個々人の信仰の在り方を聖書に基づいたものにすることを目指し、説教や執筆など地道な活動を通して着実な改革を進めていきました。     

ドイツ語の賛美歌

ルターが行った改革の一つに「賛美」があります。
現代のクリスチャンにとって賛美は信仰生活の一部として欠かせないものとなっていますが、中世においては礼拝で聖歌隊が歌うラテン語の賛美歌しかありませんでした。
そこでルターは民衆がわかるドイツ語の賛美歌を作詞作曲し、礼拝に参列する全ての人が賛美に加わり、自分の口で神を讃えることができるようにしたのです。

●ルターと教会音楽についてはこちらをどうぞ。

改革の原点

かつての信仰生活を振り返ったルターは次のように語っています。

「私が敬虔な修道僧であり、修道院の規則を厳格に守っていたことは本当である。修道院の生活によって天国に入ることができる僧がいるとするなら、私も天国に行けると思う。私をよく知っている修道僧の兄弟たちの誰もが、このことを証言してくれるであろう。修道院生活がもっと長く続いていたら、私は不眠と祈り、読書と労働、その他あらゆる責務のために死んでいただろう。」

誤った認識によって、神に認められる敬虔な人間になることが生きる目的になっていたルターは、結局、自分の限界を知って絶望に追いやられました。
どんなに頑張っても、認められるための行いには、利己心と正しさを要求する神に対する怒りが表裏一体となっていたのです。
しかし、変えることができない「心の根」から罪を取り除き、自分を自由にする信仰の恵みを知ったルターは、救われて完全な平安を得ました。
「塔の体験」以降、辛く苦しかった信仰生活は、イエスに信頼して共に歩む喜びに変わりました。
神は敵対者ではなく、友であり、助け主であり、「我がやぐら」だったのです。
この恵みを、ルターは人々に伝えたかったのです。

神の恵みの証人として

宗教改革の原動力は、ルター自身の信仰の変革にありました。
ルターは神の言葉と恵みを広く世に解放し、その証人として生きた一人の信仰者でした。
信仰で救いを受け取った一人ひとりの中に、神の愛が根付き、キリストが形作られていくことが、改革を進めたルターの一番の願いであったことでしょう。

 

終わりに

最後に、賛美を一曲ご紹介します。
Life Defined | Shane & Shane | Lyric Video

賛美の形式や表現の方法は時代によって変化していきますが、神を讃え、信仰を告白する内容はいつの時代も変わることがありません。
この賛美では「私はキリストと共に十字架につけられ 信仰によってキリストにある命を受け取って生きていく」というフレーズが繰り返されています。
力強い信仰の告白と共に私たちも神の証人として最後まで歩んでいくことができるように願いつつ、終わりたいと思います。

こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。
ヘブル人への手紙12章1~2節

【参考文献】
『図説 神聖ローマ帝国』菊池良生著 河出書房新社 
『ドイツの歴史を知るための50章』森井裕一編集 明石書店
『新訳 キリスト者の自由 聖書への序言』マルティン・ルター著 石原謙訳 岩波文庫


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