聖書を読んでいると、3、7、12、40などの数字が何度も出てきます。
「これって、偶然?それとも何か特別な意味があるのかな?」と思ったことがきっとあるでしょう。
そこで、今回は聖書に出てくる数字の持つ意味についてざっくりと解説いたします。
目次
クリスチャン家庭に生まれ育つ。趣味は映画、ハイキング、ボードゲームなど。 神学校を卒業後、牧師として働いてきました。現在はフリーランスのWebライターとして働きつつ、神様の愛を伝えるために様々な活動をしています。イエス様といっしょに生きる素晴らしさをお分かちできたら、うれしいです!
聖書の中で数字は、象徴的、神学的な意味を込めて使用されていることがあります。
以下は、その主な例です。
「1」は、神の唯一性と主権、信仰の基本的な概念を表すために使用されています。
唯一の真の神を象徴しており、神が絶対的な存在であり、他に類を見ない方であることを示す数字です。
父なる神と御子イエス・キリストが一つであることや、キリストを信じるクリスチャン同士が一つであることも表しています。
イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。
申命記6:4
この節は、神の唯一性を宣言する重要な箇所であり、キリスト教とユダヤ教の信仰の基盤となっています。
わたしは主である。わたしのほかに神はない、ひとりもない。
イザヤ書45:5
神が創造主であり、全宇宙を支配する唯一の主権者として、人間が信じ従うべきただ一人の対象であることを教えています。
「わたしと父とは一つである」。
ヨハネによる福音書10:30
父なる神と御子イエス・キリストが本質的に一体であることが教えられています。
もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである。
ガラテヤ人への手紙3:28
あらゆる人種的、階級的、性的違いを超えて、クリスチャンが主にあって一つである霊的事実が語られています。
「2」は、証言に関連して使用されています。
聖書では、何かを確証するためには2人以上の証人が必要であると繰り返し述べられています。
「2」は、神の目的を成し遂げるために互いに支え合って協力することも表しており、イエスは弟子たち2人を一組にして伝道に派遣しました。
どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、ただひとりの証人によって定めてはならない。ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、その事を定めなければならない。
申命記19:15
この証言の原則は、正義を確立し、真実を保証するものです。
もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。
マタイによる福音書18:16
イエスも、2人以上の証人が必要であると語りました。
また十二弟子を呼び寄せ、ふたりずつつかわすことにして、彼らにけがれた霊を制する権威を与え、
マルコによる福音書6:7
イエスは弟子たちが互いに支え合ったり、証言を確実にしたりするために、彼らを伝道旅行に送るにあたって、2人一組で遣わしました。
「3」は、神の完全さや調和を象徴し、聖書では三位一体(父・子・聖霊)を表しています。
その他、旧約聖書で預言者ヨナは三日三晩魚の腹の中におり、新約聖書でイエス・キリストは三日目に復活しました。
「3」は「徹底的に、完全に」という意味を表すことがあり、使徒ペテロはイエスを三度(完全に)否認し、復活したイエスはそのペテロを三度(完全に)赦して、使徒職に回復しました。
イエスは十字架にかけられる前夜、ゲツセマネの園で父なる神に三度(徹底的に)祈り、使徒パウロも彼の肉体に与えられたとげが取り去られるように三度も(徹底的に)願ったのです。
それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
マタイによる福音書28:19
ここでイエスは、三位一体の神の存在を明確に示しました。
互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、/その栄光は全地に満つ」。
イザヤ書6:3
三重の「聖なるかな」の賛美は、神の完全性と栄光を強調し、新約聖書における三位一体の啓示を暗示しています。
主は大いなる魚を備えて、ヨナをのませられた。ヨナは三日三夜その魚の腹の中にいた。
ヨナ書1:17
預言者ヨナは大魚の腹の中に三日三晩いました。
そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、
コリント人への第一の手紙15:4
イエス・キリストは十字架の死の三日目に死人の中から復活しました。
彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
マタイによる福音書26:74
使徒ペテロは、イエスが予告した通り、イエスとの関係を三度(徹底的に)否認しました。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。」
ヨハネによる福音書21:17
復活した後、イエスはペテロと会い、彼を赦し、使徒職に回復しました。
それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。
マタイによる福音書26:44
イエスは十字架にかけられる前の夜、ゲツセマネの園で父なる神に三度祈りました。
「3」という数字が持つ意味を考慮すると、イエスは単に3回だけ祈ったのではなく、父なる神に「徹底的に、完全に」祈って、十字架に向かう最終的な覚悟をかためたことが分かります。
そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使いなのである。このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。
コリント人への第二の手紙12:7-8
使徒パウロの場合も、イエスのゲツセマネの園の祈りと同じく、単に3回だけ祈ったのではなく、肉体のとげが取り去られるように「徹底的に、完全に」願ったのです。
「6」は、完全さを表す「7」の直前に位置し、完全に達していない人間の弱さや限界、不完全さを象徴する数字として用いられることがあります。
ヨハネの黙示録に登場する獣の数字「666」では、不完全さを表す「6」が三重に強調されることで、悪や神に敵対する勢力の不完全さ、欠陥、堕落した状態が象徴されているのです。
獣の数字が具体的に誰を指すかは解釈が分かれますが、堕落した存在、神の敵、反キリストを表していると言われています。
その他、「6」は創造主の6日間にわたる創造や、人間が行なう週の6日間の労働を表すためにも使用されています。
ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
ヨハネの黙示録13:18
獣の数字「666」では、人間の不完全さを象徴する「6」が三重に強調されることで、神とキリストの敵の究極の不完全さ、欠陥、堕落が表されています。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
創世記1:27
人間は創造の6日目に神のかたちに似せて創造されたため、「6」は人間に特有の数字とされています。
人間は神ではなく、しかも罪によって堕落したため、不完全な存在です。
「7」は、聖書全体で最も重要な数字の一つであり、典型的な完全数で、完成や実現を表しています。
創造主は7日目に天地創造の業を終えて休み、第7日を聖別しました。
モーセの十戒で7日目が安息日として制定されたのは、そのことが理由となっています。
イスラエルの民がエリコの町を攻めたとき、7日目に祭司たちが町の周囲を7度回ると、城壁は崩れ落ちました。
預言者エリヤのしもべは、エリヤの指示を受け、雨が降るまでに7回海の方を見ました。
初代キリスト教会が最初に選んだ執事は7人です。
ヨハネの黙示録では、7つの教会に手紙が送られ、7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢が登場します。
神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
創世記2:3
創造主は7日目に創造の業を終えて休息し、第七日を聖別しました。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。
主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
出エジプト記20:8, 11
神が第七日を安息日として聖別した根拠に基づき、十戒では第七日は安息日に定められました。
この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、
使徒行伝6:5
初代キリスト教会は、当時直面していた問題の解決のために7人の執事を選びました。
その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。
ヨハネの黙示録1:11
復活したイエスはヨハネに七つの教会に手紙を書き送るように命じました。
「8」は、新しい始まりを表すために使用されることがあります。
洪水後の新しい人類の歩みはノアたち家族8人から始まり、人類はそこから新しく全世界に増え広がってゆきました。
また、古い世界をそのままにしておかないで、その不信仰な世界に洪水をきたらせ、ただ、義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。
ペテロの第二の手紙2:5
神は洪水によって古い世界を裁き、ノアたち8人を通して新しい世界を始めました。
「12」は、神の選びや、神の民と統治に関係します。
神の選びの目的と関連がある特別な数であり、神が選んだイスラエルは12部族、キリスト教会の礎としてイエス・キリストが選んだ使徒は12人でした。
黙示録では、新しいエルサレムにイスラエル12部族の名が記された12の門とキリストの12使徒の名が書かれた12の土台があります。
さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。
そこで十二人をお立てになった。彼らを自分のそばに置くためであり、さらに宣教につかわし、また悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。
マルコによる福音書3:13-15
イエス・キリストは多くの弟子たちの中から、特別に12人の「使徒」と呼ばれる弟子たちを選びました。
それには大きな、高い城壁があって、十二の門があり、それらの門には、十二の御使がおり、イスラエルの子らの十二部族の名が、それに書いてあった。
また都の城壁には十二の土台があり、それには小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
ヨハネの黙示録21:12, 14
復活したイエスがヨハネに与えた幻によると、イスラエルの12部族とイエスの12使徒の名が新しいエルサレムの都に刻まれています。
聖書の登場人物の何人かは、30歳のときに神様の働きを開始しています。
神様の働きを公に始める最適なタイミングの一つだったのでしょう。
エジプトに奴隷として売られたヨセフがエジプト王パロの夢を解き明かし、大臣に任命されて、神様の大いなる救いを実現に至らせる器として働くようになったのは、30歳のときでした。
レビ人は30歳で会見の幕屋での奉仕の務めを開始しました。
ダビデが全イスラエルの王となったのは30歳のときです。
イエスが救い主としての公の活動を始めたのは、およそ30歳のときでした。
もちろん、モーセは80歳のときに出エジプトのリーダーとして神様に召されましたし、ダビデがペリシテ人のゴリアテと戦ったのは若かった頃でした。
神様の働きを行なうのに年齢は絶対的な条件ではなく、神様からの呼び声を聞いたときがその人にとっての最適なタイミングと言えるでしょう。
ヨセフがエジプトの王パロの前に立った時は三十歳であった。ヨセフはパロの前を出て、エジプト全国をあまねく巡った。
創世記41:46
ヨセフがエジプトの大臣となったのは30歳でした。
三十歳以上五十歳以下で、務につき、会見の幕屋で働くことのできる者を、ことごとく数えなさい。
民数記4:3
30歳以上のレビ人が幕屋での奉仕を行ないました。
ダビデは王となったとき三十歳で、四十年の間、世を治めた。
サムエル記下5:4
ダビデが全イスラエルの王となったのは30歳のときでした。
イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。
ルカによる福音書3:23
イエス・キリストの公の働きは約30歳のときに始まりました。
「40」は、神の救いの歴史において新しい展開が起こるときに使用されています。
ノアの箱舟の出来事で、洪水で雨が降り続いた期間は40日でした。
十戒の石板を受け取るために、モーセがシナイ山で過ごした期間は40日です。
約束の地カナンに12人の斥候が送られたのは40日間でした。
イスラエルの民は40年間、荒野をさまよいました。
イエスがサタンから誘惑を受けるために荒野にいた期間は40日です。
復活したイエスは弟子たちと40日一緒に過ごし、神の国について語りました。
洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、箱舟は地から高く上がった。
創世記7:17
洪水によって古い世界の人々の罪が裁かれ、新しい世界が始まる準備期間は40日でした。
モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。
出エジプト記24:18
シナイ山でイスラエルの民が神と正式に契約を結んだ後、十戒を授与されて、イスラエルが正式に神の民となるまでの期間が40日間でした。
あなたがたの子たちは、あなたがたの死体が荒野に朽ち果てるまで四十年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。
あなたがたは、かの地を探った四十日の日数にしたがい、その一日を一年として、四十年のあいだ、自分の罪を負い、わたしがあなたがたを遠ざかったことを知るであろう」。
民数記14:33-34
イスラエルの民は約束の地カナンに斥候を送ったときの不信仰の罪により、荒野を40年さまようこととなりました。
古い世代が死に絶え、新しい世代が成長して、神が約束した地に入るまでの期間が40年だったのです。
そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。
マタイによる福音書4:2
救い主としての公の活動を開始する前、イエスは荒野でサタンの誘惑を受け、それに打ち勝つために40日間断食しました。
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
使徒行伝1:3
復活後、天に昇るまでの40日間、イエスは弟子たちにたびたび姿を現し、神の国のことを語りました。
「70」も、完全数である7を10倍した数として、完全を表すために使用されています。
特に、歴史の中での神のご計画の実現に関連して用いられています。
南ユダ王国からの捕囚の民はバビロンで70年過ごし、その後に解放されました。
主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。
エレミヤ書29:10
神は、バビロン捕囚の期間が70年であり、その後で南ユダ王国の捕囚の民をカナンの地に連れ帰ると約束しました。
あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。
ダニエル書9:24
この聖句に出てくる70週というのは、神がメシア(キリスト)によって罪の贖いを完成させる期間を暗示するものとも言われています。
聖書に出てくる全ての数字にシンボルとしての意味があるわけではありません。
もし私たちが聖書の著者たちが意図した以上に数字から何かを読み取ろうとこだわるなら、著者たちが本来意図していなかった意味を読み込んでしまうことになるため、注意が必要です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。いかがでしたか。
この記事では、聖書に出てくる特に重要な数字の意味を解説してきました。
全ての数字に毎回特別な意味があるわけではありませんが、聖書に登場する数字の持つ特別な意味を知ると、聖書の内容理解も深まってゆきます。
聖書の著者たち、そして神様が強調し、フォーカスをあてることをお望みになっている点が分かるからです。
この記事を通して、聖書への興味関心がグッと深まったり、聖書を新鮮な目で読めるようになったりしたなら幸いです。
ぜひ、聖書をさらに読み、その限りない魅力をますます知ってくださいね。
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