聖書に出てくる植物 「ぶどう」

       
  • 2024/4/11
  • 最終更新日:2024/4/18
ぶどう

こんにちは、ハトコです。
聖書の舞台、イスラエルを代表する植物について、これまで「いちじく」と「オリーブ」を取り上げました。今回は「ぶどう」を取り上げます。

●「いちじく」と「オリーブ」についてはこちら




ハトコ
Writer Profileハトコ

牧師の家庭に生まれる。田舎でおとなしい子供時代を過ごしたが、高校卒業後に大阪に住んだことで性格が外交的に変わる。大阪の教会で牧師が1か月にわたり語ってくれた十字架のメッセージを聞いて明確に聖書の福音が解るようになった。好きなことは「掃除」「イエス様に従うこと」。苦手なことは「整理整頓」「ホラーやスプラッター系全般」。(「掃除」と「整理整頓」は別物です!)。新生宣教団職員。

旧約聖書における「ぶどう」

平和の象徴

まず旧約聖書における「ぶどう」を見ていきましょう。ぶどうも聖書には本当によく出てきます。なぜならぶどうの木は、神に選ばれ植えられた国、イスラエルの象徴となっているからです。そして、前に取り上げたいちじくと同じように、ぶどうは「平和・繁栄」を象徴しています。
戦争の多かった旧約時代は、ブドウ栽培がうまくいくことが平和であることの証でした。ぶどうはツル性の木であるため、ぶどう畑は細やかな手入れをしないとすぐに荒れ果ててしまう非常に手のかかるものだったからです。戦争がなく平和で太平の世でないと、ぶどう畑で良い実がなるような管理と栽培はできないため、ぶどうは平和の象徴になったのです。

ぶどう畑

イスラエルの平和の絶頂はソロモン王の時代でした。この時代にはイスラエルの人たちは平和に暮らしていました。

ソロモンの一生の間、ユダとイスラエルはダンからベエルシバに至るまで、安らかにおのおの自分たちのぶどうの木の下と、いちじくの木の下に住んだ。
(列王記上4:25)


彼らはつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかってつるぎをあげず、再び戦いのことを学ばない。
彼らは皆そのぶどうの木の下に座し、そのいちじくの木の下にいる。彼らを恐れさせる者はない。
(ミカ書4:3~4)

このミカ書で「かま」と訳されている言葉は、原語ではぶどうの枝を刈り込む大きな柄のついた剪定ばさみのことだそうです。戦争に使う武器を、農耕のための鋤(すき)やぶどう園の剪定ばさみに作り変えると歌われるほど、ぶどうは平和の象徴とされたのです。

繁栄の象徴

神はイスラエルのことを、愛を注ぎ、手をかけて丹精込めて作った自分のぶどう園だと呼んでいます。神を愛し神の律法に従い、神の恩寵(おんちょう)の中にいるとき、イスラエルはどの時代にも確かに繁栄しました。しかし、神を忘れ、異国の偶像に心を奪われたイスラエルは苦難を経験します。そのことを、神は荒れ果てたぶどう園と言って嘆いている箇所が預言書にはたくさん出てきます。

わたしはあなたを、まったく良い種のすぐれたぶどうの木として植えたのに、どうしてあなたは変って、悪い野ぶどうの木となったのか。
(エレミヤ2:21)


わたしはわが愛する者のために、そのぶどう畑についてのわが愛の歌をうたおう。わが愛する者は土肥えた小山の上に、一つのぶどう畑をもっていた。
彼はそれを掘りおこし、石を除き、それに良いぶどうを植え、その中に物見やぐらを建て、またその中に酒ぶねを掘り、良いぶどうの結ぶのを待ち望んだ。ところが結んだものは野ぶどうであった。
(イザヤ書5:1-2)

残念なことに、旧約の預言書における荒れ果てたぶどう園は、神から離れた繁栄からは程遠いイスラエルの比喩としてよく出てくるのです。

乾季のときの渇きを癒す飲料

イスラエルでは水は貴重です。ぶどう酒は楽しむ酒であると同時に大切な飲料でもありました。ぶどうの実の刈り取りは8~9月に行われます。この時期は乾季の後半で、貯水池に溜めていた水が底をつく頃です。収穫されたぶどうはそれに代わるものだったのです。大地にたわわに実ったぶどうの実は、人々の渇きを癒す待ち望んだ飲み物でした。

ぶどう搾り

人々は総出でぶどうの実を搾りました。これは「ぶどう踏み」といって、石をくり抜いて作った酒ぶねの中で行われます。イスラエルの山地は簡単に削れる石灰岩が多いところです。ぶどう搾りの酒ぶねはこの岩を掘って作られました。これは2つの部分に別れていて、上の方でぶどうを踏み、それが下に流れ落ちぶどうジュースが溜まるのです。上の方の酒ぶねでは収穫した実を入れて裸足で踏みます。もちろん足はきれいに洗います。強く踏むと種が割れてぶどうジュースに苦味が出るため慎重に踏みます。
この「ぶどう踏み」は氏族共同体だった村のお祭りのようなものでした。詩篇には「ぶどう踏みの歌」という題の歌が3つ出てきます(8篇、81篇、84篇)。これは表題に「ギデトの調べにあわせて」と書かれています。他の訳では「ギデトの調べ」は「ぶどう搾りの歌」となっています。人々はこのような歌を楽しく高らかに歌いながらぶどうを踏んでいたのです。

2つの場所の象徴

酒ぶねのイメージ
酒ぶねのイメージ
Biblewalks at en.wikipedia, CC BY-SA 2.5 ,
via Wikimedia Commons

酒ぶねには上のぶどうを踏む場所と下のジュースが溜まる場所があるとお伝えしましたが、面白いことにこの2つの場所は聖書では全く正反対のことを象徴しています。
上の酒ぶねでぶどうを踏むと、ぶどうの汁がはねて、酒ぶねの外にいる人にまで飛び散ることがあります。それがまるで赤い血のように見えるため、この「ぶどう踏み」は聖書の多くの箇所で神の裁きを象徴しています。

「何ゆえあなたの装いは赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のように赤いのか」。
「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。もろもろの民のなかに、わたしと事を共にする者はなかった。わたしは怒りによって彼らを踏み、憤りによって彼らを踏みにじったので、彼らの血がわが衣にふりかかり、わが装いをことごとく汚した。」
(イザヤ書63:2-3)

反対に下のジュースは、人々の待ち望んだ渇きを癒す飲み物です。そして暑い時期のこのジュースは絞ったときからすぐ発酵がはじまり、甘いぶどう酒、良質のぶどう酒へと変化していきます。これは喜びの象徴となっています。

打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。
(申命記16:13-14)

この喜びのぶどう酒は、新約聖書とも深い関係があるので、次は新約を見ていきましょう。

 

新約聖書における「ぶどう」

「わたしはぶどうの木です」

ぶどうは新約聖書でも多く登場します。次の言葉は聖書の中でも有名なところです。

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
(ヨハネによる福音書15:1-2)

ぶどうの木このわたしというのはイエス・キリストです。父というのは創造主、神様のことです。
旧約聖書では、ぶどうはイスラエルを指していましたが、新約聖書では、キリストが神に愛されている本当のぶどうの木で、ぶどうの枝はキリストを信じる者を指しています。私たちがぶどうの枝のように幹であるキリストにしっかり付くなら、私たちは豊かな実を結ぶと言われています。

ぶどう園は新約のイエス様の例え話でもたくさん出てきます。そのぶどう園の主人はここにもあるように父なる神様です。そして父なる神が「実を結ばないものはこれを取り除く」とありますが、これは訳のニュアンスがちょっと違います。ぶどうの木はツル性の木なので、放っておくと地面を這って良い実ができません。それでぶどう園の農夫はぶどうの枝を地面から持ち上げて育てるのです。取り除くというのはこの作業のことを指しているそうです。父なる神様は、実を結べず地をはっているような私たちを持ち上げて、豊かな実を結べるようにケアしてくださる愛なる方なのです。

カナの婚礼でのぶどう酒

カナの婚礼の話も新約聖書では有名なお話です。イエス様が、公生涯(公に働きをされた期間)の最初に行なった奇蹟のお話です。ガリラヤ地方のカナという町で婚礼があり、イエス様一行も招かれていました。その宴会の途中でぶどう酒がなくなってしまったのです。母マリヤは裏方でお手伝いをしていたのか、そのことを知ると、息子イエスに相談します。すると、イエス様はただの水をぶどう酒に、それも最高級のぶどう酒に変えたという奇蹟です。

イスラエルの婚約と結婚

プロポーズのイメージカナの婚礼といってもこれは「婚約式」です。当時のイスラエルの婚礼は婚約から結婚まで約1年ほどかけ、婚約も結婚の一部とみなされました。結婚したい女性がいると、まず男性の父親が費用を出します。男性はその費用を持って女性の家に行き一週間にわたり盛大な婚約式が行われます。その間、女性はじっと男性を見極めるのです。そしてその宴会のクライマックスが最後の日に花婿が花嫁の前にぶどう酒を差し出すときです。花嫁がその盃を受け取れば婚約成立ですが、もし、受けとってもらえないなら残念ながら婚約不成立となります。現代で言うなら、ひざまずいて婚約指輪を女性の前に差し出すあの心境でしょうか。このように婚約の場でのぶどう酒はとても重要でした。

ぶどう酒が示すもの

この大切な場面で、水をぶどう酒に変えた最初の奇蹟は、イエスご自分が神であることを示す奇蹟でした。また、何の変哲もない水が、最高のぶどう酒に変わるというのは、何の変哲もない私たちが、イエス様に触れられる時、最高の存在になるというメッセージでもあります。
また、この婚約(契約)のぶどう酒はキリストと私たちの関係も暗示しています。聖書では、キリストとクリスチャンは花婿と花嫁(婚約者)の関係だと言われています。イエス様は、この地上、つまり花嫁の家に来て婚礼の宴を開き、愛しいと思っている私たちの前にぶどう酒を差し出したのです。

ぶどう酒といばらの冠実はこのぶどう酒は十字架で流されたイエス様の血を表しています。イエス様ご自身が、最後の晩餐の時にぶどう酒を取って「これはあなた方のために流すわたしの血です」と言われました。イエス様を救い主と信じる人は、自分の前に差し出された愛の杯(さかずき)=イエス様の救いを受け取って婚約をし、めでたくイエス様の花嫁となるのです。

また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。
(マタイによる福音書26:27-29)

この後半の29節に「父の国で新しく飲むまでは」とあるのは、キリストの再臨※の後に行われる結婚式のぶどう酒のことです。(※将来再びこの地に帰ってこられること)
また、最後の晩餐で語られた「多くの人のために流す血」は罪の裁きによって流されたイエス様の血です。旧約の記事で、「ぶどう踏み」は赤いぶどうの汁が飛び散る様子からさばきを表していると言いました。イエス様の十字架の裁きはそれに通じます。
先にも出てきた下記のことばは、イエス様の十字架を預言しているところです。

わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。もろもろの民のなかに、わたしと事を共にする者はなかった。わたしは怒りによって彼らを踏み、憤りによって彼らを踏みにじったので、彼らの血がわが衣にふりかかり、わが装いをことごとく汚した。
(イザヤ書63:3)

イエス様は私たちを贖うために、「ぶどう踏み」のような裁きを受け、婚約するためご自分のいのちを婚約のぶどう酒のように差し出してくださったのです。
こうしてみると、イエス様の公生涯はぶどう酒に始まりぶどう酒で締めくくられていて、新約においてもぶどうはとても意味深い植物だと言えます。

ぶどう酒は聖霊の喜びを表す

ワインお酒は上手に飲むと人生を楽しくさせます。ただ、お酒に飲まれると人生を台無しにすることもあります。キリスト教における飲酒には人によって色々な考え方がありますが、聖書は一貫して「酒に飲まれてはいけない」と警告しています。

酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、 詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。
(エペソ5:18-19)

そして酒ではなく、聖霊に満たされなさいと語っています。聖霊に満たされるとき、私たちのうちには良い酒に酔った時のような喜びが湧き上がります。

聖霊とは?

聖霊とは、イエス様が死から復活して天に変えられたあとに、イエス様が私たちに送ってくださった方です。目には見えませんが、イエス様を信じた人の中には聖霊なる神が宿っておられます。そして、私たちを日々導いてくださるのです。

わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊(聖霊)が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。
(ヨハネによる福音書15:26)

※( )は筆者

聖書の神は三位一体の神です。この聖霊が私たちの内側におられということは、父なる神も子なるイエス・キリストもまた私たちの心に住んでおられるということです。そして、神を信じる人は、その心の内側から喜びが湧き上がると聖書は言っています。聖霊に私たちの内側が満たされる(支配される)とき、それはお酒に酔ったときの高揚感、いいえ、それ以上の喜びが心の奥底から湧き上がるのです。

わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。
(ヨハネによる福音書7:38-39)


神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。
(ローマ人への手紙14:17)


どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。
(ローマ人への手紙15:13)

 

まとめ

いかがでしたか?
ぶどうは「神に植えられた国、イスラエル」「イエス様との婚約のぶどう酒」「イエス様との結婚の祝い」「イエス様の血潮」「裁き」「聖霊の喜び」など、聖書のなかでも霊的な隠された意味を持った植物だったのですね。
イエス様は、この地上での婚約を終えて、父のもと(天)に帰られ、私たちとともに住む家を用意されています。そして再び来られて私たちを迎え入れ、婚礼の祝宴を持ってくださるのです。クリスチャンはその日を待ち望んでいます。
多く方が、イエス・キリストの救い(愛のぶどう酒の杯)を受け取られ、この婚礼の祝宴に参加することができるようにとお祈りします。
ハトコでした。


参考:『聖書の世界が見える(植物篇)』リュ・モーセ著。他

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