音楽や文学、映画など、あらゆる芸術にインスピレーションを与えてきた「詩篇」。
詩篇は、喜びや神への感謝、深い悲観、不条理に対する抗議など、さまざまな人間の感情と信仰を表現した詩をひとつに編纂した詩集です。「詩集」が宗教の経典に含まれているというのは、少し不思議な感じがしませんか?
「詩篇」は、聖書の時代から遠く隔たった現代の私たちにも共感を呼び起こす、不思議な力を持っています。今回はこの味わい深い書についてご紹介します。
目次
ライター/編集者、時々漫画家。プロテスタント系の高校を卒業後に渡米。さまざまなマイノリティが住むニューヨークに滞在した経験から、差別や貧困・格差などの社会問題に関心を持つようになり、現在の活動の軸となっている。帰国後ずいぶん経ってから再び教会へ行くようになり、2022年のクリスマスに受洗。好きなものは大型犬。
詩篇の概要を説明する前に、多くのキリスト教徒に愛される詩篇23篇をご紹介します。
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ、
み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。
あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、
わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
わたしの生きているかぎりは
必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
詩篇23篇
詩篇は神への賛美を表す「賛歌」です。一方で、敵対者への復讐を願う詩や、祈りに応えてくれない神に抗議するような詩もあり、はじめて読む方はその激しさに戸惑いを覚えるかもしれません。
しかし長く生きていれば、とても神を讃えるような気持ちになれない瞬間が来るのも事実でしょう。詩篇には、そのようなネガティブな感情に寄り添ってくれる詩も数多く収められているのです。
宗教改革者マルティン・ルターは詩篇を「小聖書」と呼びました。聖書全体に含まれる信仰が、情感をともなって美しく簡潔にまとめられているためです。
さまざまな詩篇の具体例については後ほど見ていきましょう。
詩篇(psalms)は「(弦楽器を指で)弾く」という意味を持つ動詞からきています。この名称は、古代イスラエルの礼拝において、これらの詩が楽器の伴奏を伴って詠唱されていたことを示唆しています。
実際に詩篇の見出し部分を見ると「指揮者によって。伴奏付き。賛歌。ダビデの詩」など、演奏指示が付されているものがあります。ただし、演奏法は2500年の時を経て失われてしまったため、実際にどのような音楽だったのか後世の私たちには知る由がありません。
旧約聖書を構成する「律法(モーセ五書)」「歴史書」「詩歌書(文学書)」「預言書」のうち、詩篇は「詩歌書」にあたります。全部で150篇の詩が収められており、そのうちの多くは、古代イスラエルの王・ダビデの時代(在位:紀元前1000年~961年頃)から、紀元前100年くらいにわたって書かれたと言われています。(※諸説あり)後に「詩篇」というひとつの詩集に編纂されました。
詩篇は1~41、42~72、73~89、90~106、107~150の5巻に区分されていますが、旧約聖書の律法(モーセ五書、ヘブライ語で「トーラー」)が5冊からなることに対応した構成だと考えられています。
詩篇150篇のうち、73篇(3~41、51~71篇)がダビデの名を冠しています。
ダビデは古代イスラエルを治めた王で、イスラエルの人々は彼を神と共に歩んだ王として記憶していました。旧約聖書の『サムエル記』『列王記』でダビデの活躍を読むことができます。
●こちらの記事もどうぞ(前述の詩篇23篇も紹介されています)
ダビデの賛歌には、「主がダビデをすべての敵の手、また、サウルの手から救い出されたとき、彼はこの歌の言葉を主に述べた」(詩篇18篇)など、ダビデの生涯における特定の出来事に紐づけられている作品もあります。
ダビデの他に、「コラの子」「アサフ」「ソロモン」「モーセ」などが詩の見出しに名を連ねています。コラの子は聖歌隊で奉仕をした人たちで、アサフはダビデに任命された音楽の指導者にあたる人々でした。
ところで、数多くのアーティストにカバーされる『Hallelujah(ハレルヤ)』というポピュラーソングをご存知でしょうか。
1節はこんな歌詞で始まります。
Well, I heard there was a secret chord
(秘密のコードがあるらしい)
That David played and it pleased the Lord
(ダビデが弾いて主を喜ばせたという)
But you don’t really care for music, do you?
(君は音楽なんてどうでもいいんだろうけど)
Well it goes like this: the fourth, the fifth
(まあ、こんな感じだーー4度の和音、5度の和音)
The minor fall and the major lift
(短調に下がって長調にのぼる)
The baffled king composing Hallelujah
(困惑した王がハレルヤを作曲している)
Hallelujah, Hallelujah
(ハレルヤ、ハレルヤ)
Hallelujah, Hallelujah
(ハレルヤ、ハレルヤ)
この節で「困惑した王ダビデはハレルヤを作曲した」と歌われているのが、まさにダビデ王のこと。ダビデが詩篇を作曲している様子が目に浮かびますね。
『Hallelujah』を作詞作曲したレナード・コーエン(彼はユダヤ人でした)は本作は宗教的な作品ではないとしていますが、他にもダビデとバテシバ(バト・シェバ)、サムソンとデリラなど旧約聖書のエピソードが登場します。
詩篇の研究者は、詩の内容によってジャンル分けをしてきました。これを詩篇の「類型」といいます。主な類型として、「賛歌」「嘆きの歌」「感謝の歌」があります。
神を賛美する詩篇です。構成はシンプルで、まず会衆に神をたたえるよう招き、続いて賛美の理由を宣言し、最後に改めて賛美を呼びかけます。
詩篇8篇はその好例です。
(会衆に神をたたえるよう招く)
主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、
いかに尊いことでしょう。
(賛美の理由を宣言する)
あなたの栄光は天の上にあり、
みどりごと、ちのみごとの口によって、
ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、
あだに備えて、とりでを設けられました。
わたしは、あなたの指のわざなる天を見、
あなたが設けられた月と星とを見て思います。
人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。
ただ少しく人を神よりも低く造って、
栄えと誉とをこうむらせ、
これにみ手のわざを治めさせ、
よろずの物をその足の下におかれました。
すべての羊と牛、また野の獣、
空の鳥と海の魚、海路を通うものまでも。
(改めて賛美を呼びかける)
主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、
いかに尊いことでしょう。
詩篇8篇 ※()は筆者による追記部分
嘆きの歌はもっともよく見られる類型で、「個人」の嘆きを訴えるものと「共同体」の嘆きを訴えるものがあります。前者は困難な状況にある個人が救いを求めるパーソナルな祈りであるのに対し、後者は災害が国家を襲ったときなどに歌われたようです。
嘆きの歌の一例として、詩篇22篇をご紹介します。
わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
わが神よ、わたしが昼よばわっても、
あなたは答えられず、
夜よばわっても平安を得ません。
(中略)
まことに、犬はわたしをめぐり、
悪を行う者の群れがわたしを囲んで、
わたしの手と足を刺し貫いた。
わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。
彼らは目をとめて、わたしを見る。
彼らは互にわたしの衣服を分け、
わたしの着物をくじ引にする。
詩篇22篇(抜粋)
新約聖書の福音書を読んだことがある方は、22篇がイエスの死の場面と一致していることに驚かれるのではないでしょうか。
さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。
そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
マタイによる福音書 27:45-46
イエスが息を引き取るときに叫んだ言葉は、詩篇22篇の引用です。
悲痛な訴えから始まる22篇ですが、最後は神への全幅の信頼によって締め括られます。
祈りへの応答があったことに感謝する歌です。例として詩篇30篇の一部を抜粋してご紹介します。
主よ、わたしはあなたをあがめます。
あなたはわたしを引きあげ、
敵がわたしの事によって喜ぶのを、
ゆるされなかったからです。
わが神、主よ、
わたしがあなたにむかって助けを叫び求めると、
あなたはわたしをいやしてくださいました。
主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、
墓に下る者のうちから、
わたしを生き返らせてくださいました。
詩篇30篇(抜粋)
ここでご紹介したもの以外にもさまざまな類型があります。
現代の教会でも礼拝の中で詩篇が朗読されます。
プロテスタント教会の礼拝では、「詩篇交読」といって、詩篇から抜粋されたテキストを司式者と会衆が交互に読んでいきます。(教会によって、詩篇交読を行わない教会もあります)
カトリック教会のミサでは、先導者、会衆、聖歌隊が交互に詩篇を歌う「答唱詩篇」があります。
また、今現在も詩篇をもとに新たな音楽が作曲され、礼拝の中で歌われています。
こちらは詩篇34に基づいたゴスペルです。
わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、
すべての恐れからわたしを助け出された。
主を仰ぎ見て、光を得よ、
そうすれば、あなたがたは、
恥じて顔を赤くすることはない。
この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、
すべての悩みから救い出された。
主の使は主を恐れる者のまわりに
陣をしいて彼らを助けられる。
主の恵みふかきことを味わい知れ、
主に寄り頼む人はさいわいである。
主の聖徒よ、主を恐れよ、
主を恐れる者には乏しいことがないからである。
詩篇34篇(抜粋)
詩篇は、さまざまな人間の感情と信仰を表現した詩をひとつに編纂した詩集であるとご紹介しました。
古代イスラエルの人々は、現代とは比較にならないほど厳しい社会環境の中で、幾度となく神に苦しみを訴えてきたことでしょう。しかし、彼らの苦しみは決して今の私たちに無関係ではありません。だからこそ、詩篇は時代を超えて愛唱されてきたのではないでしょうか。詩集が聖書に収められていることの意義を感じますね。
ぜひこの味わい深い書に触れて、あなたの心に訴える詩篇を見つけてみてください。
参考文献:
日本聖書協会『聖書協会共同訳 詩編を読むために』(日本聖書協会)
J.F.D. クリーチ・著/飯謙・訳『現代聖書注解スタディ版 詩編』(日本キリスト教団出版局)
聖書箇所の引用は「口語訳」に基づく
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