12小預言書をわかりやすく解説! 小預言書が書かれた本当の目的とは?(前編)

       
  • 2022/8/23
  • 最終更新日:2023/12/12
12小預言書解説前編

こんにちは、ひよこです!
みなさんは、旧約聖書に記されている「小預言書」というものを読んだことがありますか?
旧約聖書の中の出エジプト記や詩篇などはよく読まれるかもしれませんが、小預言書はあまり読んだことがない、、という方もおられるかもしれません。しかし、実はこの小預言書の中にはとても大切なことがたくさん書かれていて、新約聖書を読むための助けにもなるんです!

今回はそんな12巻の「小預言書」を、前編・後編に分けて、ざっくり解説したいと思います。
前編のこの記事では、「小預言書の概要」と、「ホセア書」・「ヨエル書」・「アモス書」・「オバデヤ書」・「ヨナ書」・「ミカ書」という、6つの小預言書についてご紹介します。


ひよこ
Writer Profileひよこ

3歳の時からプロテスタント教会に通う。東京基督教大学で神学とユースミニストリーについて学び、卒業後新生宣教団に勤める。趣味は絵を描くこと、賛美と楽器演奏(ピアノ・バイオリン・ウクレレetc...)。神様と教会が大好きな20代クリスチャン!若さを活かして読みやすい、興味を持ってもらえるような記事を目指しています!

小預言書とは

小預言書の概要

聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」の全66巻から成り立っています。そのうち旧約聖書は39巻で、天地創造から始まって、イエス・キリストが生まれる400年ほど前までのイスラエルの歴史について記されています。この39巻の書物は大きく「律法」「歴史書」「詩歌書」「預言書」の4つに分類することができます。

  1. モーセが書いたと言われる創世記と律法の書からなる「律法のモーセ五書」
  2. ユダヤ王国の成り立ちや多くの人物が登場する「歴史書」
  3. 詩や格言などが書かれている「詩歌書」
  4. 救い主の到来と世界の終末に関する「預言書」

今回はこの最後の「預言書」についての解説になりますが、この預言書はさらに大きく「大預言書」と「小預言書」の2つに分類することができます。
預言書の位置づけ

この預言書の後半部分に記されている12の預言書は「小預言書」と呼ばれており、紀元前9-5世紀に登場した預言者たちが書き記しました。
しかし、これらの預言書は分量の大小でそう呼ばれているだけであって、内容の大小と重要度の差によるものではありません。また、これらは書かれた年代順に並べられているのではなく、全般的にアッシリア時代のものが先に置かれ、ペルシャ時代のものは後に置かれていると言われています。

小預言書が書かれた目的

聖書は書巻ごとに必ず中心的なメッセージがあり、目的をもって記されています。この小預言書が書かれた目的を一言で言い表すならば、人間の罪に対する非難と来るべき裁きについての警告、また人間の罪にもかかわらずやがて訪れるユダヤ人の回復」を知らせることです。

十戒の石板を持つモーセイスラエルの民は、モーセの時代に「シナイ契約」を神と結んでいます。そこで結ばれた契約関係とは「主がイスラエルの神となり、イスラエルは主の民となった」というものです。
イスラエルの民が、神と他の民族との仲介者になり、全世界の人々を神に導き、神を国々に示すという重要な役割のためにこの契約は結ばれました。そこでイスラエルは、神だけに信頼と忠誠を捧げる必要がありました。

後に、イスラエル王国は神に従い神に愛されたダビデ王によって確立され、その子ソロモン王の時代に繁栄を極めました。しかし、ソロモン王が異国の妻たちや多くのそばめたちの持ち込んだ偶像を拝み、唯一の創造主なる神から離れた結果、神の祝福は離れ去り、王国は北イスラエルと南ユダの2つに分裂します。そしてその後も、祭司や王たちはイスラエルに道を誤らせ、民も異国の偶像を拝むようになったりと創造主なる神から離れていきます。

ここで出てきたのが、預言者たちです。預言者たちはこの神との契約関係におけるイスラエルの役割を思い出させようと、神から託された警告の言葉を命の危険を顧みず語り続けました。それぞれ預言者たちの時代背景はみな違いますが、共通して2つのことを語りました。

  1. 人間の罪に対して神の裁きがある
  2. その罪を悔い改めるならば神は救ってくださる

預言者たちがそれぞれ伝えたかった、警告と希望という2つのメッセージをこの小預言書から読み取ることができます。

 

書巻ごとの要約

神から預かった言葉という意味で「預言」、またそのような言葉を取り次いだ人のことを「預言者」と呼んでいます。預言者は神から遣わされ、人々の間違った行いを明らかにして、神に立ち返るよう訴えるという使命を負っていました。しかしそれは、王や身分の高い人たちから牢屋に入れられたり、殺されたりと命がけのつとめでもありました。
そんな彼らが書き記した小預言書にはどのようなことが書かれているのか、一つずつみていきましょう!

1.ホセア書

著者は預言者ホセアで、「ホセア」という名前は、「救い」という意味です。この名前は、「ヨシュア」または「イエス」と、ほとんど同じ意味です。「ヨシュア」も「イエス」も、「主は救いである」という意味になります。
ホセアは、イスラエルの国が偶像礼拝をやめて、真の神に立ち返りさえすれば救われるということを伝えました。

ホセア書が書かれた背景、ポイントなど

ホセアの年代預言者ホセアは、預言者イザヤと同時代(BC8世紀)の人物で、北イスラエルと南ユダに分裂した約200年後の北イスラエルで活躍しました。
ホセアが活動した時代の王は、南ユダではウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの4人で、北イスラエルではヤロブアム2世でした。ヤロブアム2世はイスラエル史上でも有名な悪王の1人でもあり、そのような時代にホセアは神からの言葉を語るように任命されたのです。
BC786~746年頃、イスラエルの敵国であるアッシリアは北のウラルトゥ王国からの脅威や内部の不統一のために、パレスチナやアラム地方に勢力を拡大することができず、北イスラエルは今までにないほどに繁栄しました。しかし、このような経済的、物質的繁栄のため、北イスラエルに宗教的、道徳的、社会的な腐敗をもたらしてしまったのです。
そしてヤロブアム2世の死後、北イスラエルは弱体化していき、何人もの王が暗殺されてしまい王国は混乱していきます。ペカが北イスラエル王国を統治していたBC722年には、ついに恐ろしい巨大帝国であるアッシリアがイスラエルを襲撃して、多くの領土を占領し、イスラエルの民をアッシリアへの捕囚としてしまったのです。その後ペカを殺し、王位に就いたホセア王(預言者ホセアとは別人)は、親アッシリア政策をとったことで、国の滅亡を防ぎました。しかし、その後再びアッシリアに背き、すさまじい攻撃を受け、ついに首都サマリヤが陥落してしまいます。

ホセア書はその北イスラエル滅亡直前となった時代の25年間に、預言者ホセアが語ったこと、書いたことを集めたもので、そのほとんどが詩の形式です。
ホセアは神から姦淫の女を妻にするよう命じられ、自分の妻ゴメルの浮気をゆるした体験から、神も人々が偶像礼拝から立ち返れば愛と憐れみによって赦してくださると伝えました。

ホセア書の要約

ホセア書は大きく3つのセクションに分けることが出来ます。

  1. ホセア自身の体験(1-3章)
  2. イスラエルの罪と神の裁き(4-13章)
  3. 神の祝福の約束についての宣言(14章)

ホセアと妻ゴメル1-3章では、ホセアの妻ゴメルの姦淫について記されていて、冒頭はホセアと不貞を働いた妻ゴメルの結婚が破綻した話からはじまります。
ホセアとゴメルの間には3人の子どもがいましたが、ゴメルは他の男たちを追い求めてホセアのもとを去ってしまいます。しかし神は、ゴメルの不誠実にも関わらず、彼女を探しに行き、彼女の恋人たちの借金を払い、もう一度愛と誠実を捧げるようにホセアに伝えます。ホセアはその言葉に従い、ゴメルの罪深さにも関わらず彼女を追い、彼女を愛しました。
そしてホセアは、これらの破綻した関係、修復された結婚などは、すべて神とイスラエルの関係を語るための預言的な象徴となる出来事だと言いました。イスラエルの不信仰と神の忍耐深い愛が、妻の姦淫を通して語られたのです。姦淫の女のように本当の神を裏切り、偶像の神に走っていくイスラエルであっても、神はこの国を愛しておられるということを示すためでした。

4-13章で、ホセアは先程のテーマをさらに掘り下げ、イスラエルの歴史を引き合いにだして、彼らが最初からいかに不誠実であったかを示し、イスラエルに対する非難と警告を述べました。民衆だけでなく、祭司や王たちも神に背いていました。霊的な姦淫ともいわれる偶像礼拝や、男女の姦淫という様々な罪を挙げ、イスラエルの罪深さと堕落について記し、それらへの裁きについても繰り返し記されています。
また、彼らは偶像礼拝だけではなく、政治的同盟国であるエジプトやアッシリアにも忠誠を誓い、神の守りを信頼する代わりに他の国々のように軍事力を頼みとしていました。神に選ばれた民であるにも関わらず、そのように神よりも軍事力を求めていることをホセアは繰り返し責めています。そこで神は、もうすぐそれがすべて自分に降り掛かってくると言い、結果的にアッシリアがイスラエルに牙を向き、捕囚されてしまいます。しかし、神はイスラエルが罪の報いとしてアッシリアに征服されることを許しはしましたが、それで終わりではなく、まだ希望が残っていると最後に語ります。

最後の章である14章では、イスラエルの不信仰の姿に対して絶えず悔い改めて神に立ち返ることを励ましています。何章にもわたり非難と警告について語られていましたが、最後は神のあわれみと未来への希望に満ちた詩で締めくくられています。イスラエルの民の堕落した姿を見てもなお愛してくださる神の大きな愛を示すようにイスラエルの回復が記されています。

 

2.ヨエル書

預言者ヨエル著者は預言者ヨエルで、「ヨエル」という名前は、ヘブライ語で「主は神なり」という意味です。
南ユダの民たちが犯した罪のために差し迫っている神の裁きを警告し、神に立ち返るように人々に訴えています。

ヨエル書が書かれた背景、ポイントなど

ヨエル書の書かれた年代預言的な詩を集めたこの書は3章と短いですが、とても力強い書となっています。
この書はペトエルの子ヨエルによって書かれたと記載がありますが、書物そのものが書かれた年代や日付ははっきりと書かれていません。しかし、ヨエルは南ユダのヨアシュ王の治世下において活躍しているので、その近辺の預言者であると一般的には考えられています。
ユダの人々は繁栄していたことでそれに満足していました。そのため神の存在は当たり前であると思い、自己中心的な生活を送るようになっていきます。そこでヨエルはこのままでは神の裁きは免れないと、ユダの民に告げました。イナゴによる災害や飢饉などヨエルの預言していることは不吉な警告ばかりですが、同時に希望に満ちていました。それは、神は堕落した民を見て悲しんでおられるが、ご自分を信頼する者たちを祝福したいと望んでおられるということも同時に示されていたからです。
そして、申命記にはいなごが大量にやってきて土地を荒廃させることが預言されていますが、その預言が成就するのに600年もの間神が忍耐されていたことが分かります。

あなたが多くの種を畑に携えて出ても、その収穫は少ないであろう。いなごがそれを食いつくすからである。
申命記28:38

また、ヨエルは自分の時代より前に書かれた他の多くの書物に精通していて、彼はイザヤ書、アモス書、ゼパニヤ書、ナホム書、オバデヤ書、エゼキエル書、マラキ書、出エジプト記から引用しています。
そのように、ヨエルがその知識を通して現在の悲劇を理解し、同時に将来への希望を持っていたというのも一つの特徴です。

ヨエル書の要約

ヨエル書には、いなごによる災害の警告と、諸国民への裁き、後に来る繁栄の約束について書かれています。
1章と2章で彼は「主の日(※神の裁きの日のこと)」に焦点を当て、1章では「過去の主の日」について語り、2章では「未来の主の日」について語り、それぞれ類似した詩を紹介しています。

1章でいなごの群れによる災害がイスラエルを襲いましたが、過去にあらわされたエジプトに対する神の裁きである10の災いの8番目をなぞるようにして書いています。
ただし、今回イナゴが差し向けられたのはエジプトではなくイスラエルです。いなごの災害は町や村を破壊しました。そしてその後すぐにひどい飢饉がユダの地を襲いました。これらの災害を通して、ヨエルはユダに警告と悔い改めの呼びかけをします。もしこの警告を受け入れるならば、物質的、また霊的祝福が国にもたらされると語りました。そしてヨエルは、その民を悔い改めと祈りに導くよう長老や祭司たちに呼びかけ、ヨエル自身も彼らと一緒に悔い改めています。

続く2章も同じ構造で同じメッセージを伝えています。今度は過去ではなく、未来の主の日で、エルサレムに災いが訪れようとしていることを告げます。
それは再びいなごの災害のようですが、ヨエルはそれをとてつもなく多くの軍隊が攻めてくるイメージとして書いています。イナゴは騎兵隊のような神の軍隊であり、その通る道のすべてを食い尽くしていくのです。神に聞き従わない民の上に神がしようとしていることは、先程のイナゴの災害とはとうてい比べられず、この恐ろしい主の日を誰が耐えられるだろうかとヨエルは言います。そして再び人々に祈りと悔い改めを促しました。

ヨエル書というこの短い書は、人間の罪と過ちがこの世界にどんな荒廃と破滅を引き起こしたか、また自分の罪を認め、告白した人たちに対して神がどれほどあわれみを示そうとしているかに対して深く考察しています。
神は時として私たちが頼りにしているものを奪います。しかしそれは、本当に神に信頼することを教えるためなのです。
そのように神は、ユダの民が犯した罪に対して裁きをもたらすと語るのと同時に、ヨエルを通して世の終わりに来る神の裁きについても預言しています。だからヨエルは、罪を悔い改めて神のもとへ帰るようにと伝えています。
しかし、神は終末にすべての民を裁かれますが、

すべての主の名を呼ぶ者は救われる。
ヨエル2:32

に記されているように、滅びるなと言ってくださるのです。ここに神の大きなあわれみがあることがわかります。

 

3.アモス書

預言者アモス著者は預言者アモスで、「アモス」という名前は、ヘブライ語で「担われた者」という意味です。
繁栄する北イスラエル王国にあって、虐げられている弱く貧しい人たちを公正に扱うように訴えました。

アモス書が書かれた背景、ポイントなど

アモス書の書かれた年代アモス書は、直前のヨエル書より50年ほど遅く、最初のホセア書とほぼ同じ時代BC8世紀頃に書かれたと推測されています。
アモスが活躍したのは南ユダの王がウジヤで、北イスラエルの王がヨシュアの子ヤロブアム2世の時代です。この時、ヤロブアムの統治は非常に成功していて、外国からの侵略もなく、経済的には北イスラエルの歴史上非常に繁栄していました。
しかしアモスは、イスラエルという国が繁栄の裏では堕落しきっている事を知っていました。御言葉に対する無関心、偶像礼拝、異教崇拝、むさぼり、堕落した政治と貧民層のしいたげ等、イスラエルの民の罪は広範囲に及びました。この時代は特にバアル礼拝やカナン人の偶像礼拝などの慣習が多くあったため、神はエリシャやエリヤを遣わしています。
しかし、人々はその忠告を聞き入れませんでした。狂気のように死に突進するこの民を止めようと、神はアモスとホセアを北イスラエルに遣わされ、裁きを語るとともに悔い改めを訴えています。

アモスは南ユダの出身でしたが、神はアモスを北イスラエルに遣わして、神の言葉を伝えさせました。
彼はテコアという田舎の町で、羊を飼育したりイチジクを育てる農夫として生活しており、祭司の息子でも、預言者の息子でもなく一般の民衆の一人でした。しかし、神はそんなアモスを用いておられます。
この書では、クリスチャンが神に選ばれるのは無条件であり、福音を宣(の)べ伝えるのは立派な人だけでなく、誰にでも与えられている使命だということも学ぶことができます。

アモス書の要約

アモス書は大きく3つのセクションに分けることができます。

  1. 諸国民とイスラエルに対するメッセージ(1-2章)
  2. イスラエルとその指導者に対するメッセージ(3-6章)
  3. アモスが見た5つの幻について(7-9章)

1-2章でアモスは、ユダとイスラエル、そして他の諸国(ダマスコ、ガザ、ツロ、エドム、アンモン、モアブ)に、何度も繰り返し彼らが犯した罪のゆえに神が彼らを罰すると警告しました。
神がイスラエルの神であるだけでなく、全世界の支配者であることが強調されています。本書のはじめは「…の犯した3つの背きの罪、4つの背きの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない」という定式が用いられています。これは、神が全世界に通用する道徳律法に違反する罪を決して見逃すことなく、裁かれるということを意味しています。
また、イスラエルの民は「自分たちは神から選ばれた民だから罰せられずに安全である」と思い込んでいました。しかし、神の選びは安全を保障するものではなく、そのことに気づかないイスラエルに対して「破滅するだろう」と伝えています。

3-6章でアモスは、イスラエルの3つの罪について言及しました。

  • イスラエルは神に選ばれた民であり、多くの責任がある中でその特権にふさわしい歩みをしていないこと
  • 預言者の言葉に耳を傾けないこと
  • サマリアにある宮殿で暴虐を行っていたこと

繁栄の中にあるイスラエルの民は、彼らの特権に甘んじて勝手な生活をしていました。しかし、それは一部の人々だけで、一般の民衆は貧しく、支配者の圧政に苦しんでいました。
そのような中でも宗教的行事は盛んに行われ、祭りや礼拝は盛大に行われていました。しかし、彼らは心から神を礼拝することをせず、自分自身のことばかりに心を奪われていました。
アモスはそんな彼らに、悔い改めを訴えます。彼らが罪の生活を続けるのであれば神の裁きを受けることになると。

7-9章で神はアモスにいくつかの幻を見させ、イスラエルの民の滅亡とイスラエルに対する神の裁きが近づいてきていることを教えました。
しかし最後は、

わたしはわが民イスラエルの幸福をもとに返す。
アモス書9:14

とあるように、民の回復を記してこの書は終わっています。

 

4.オバデヤ書

著者は預言者オバデヤで、「オバデヤ」という名前は、ヘブライ語で「主のしもべ」という意味です。
南ユダ王国滅亡のどさくさにまぎれてユダに攻めてきたエドム人に対する神の裁きを語っています。   
エドム人はエサウの子孫で、イスラエル人はエサウの双子の弟、ヤコブの子孫です。この双子の間での問題が1000年後も続いているということも知ることができます。(エサウは後にエドムと呼ばれ、イエスの時代のヘロデ王がエドム民族から出ます。 ヤコブは後にイスラエルと呼ばれ、キリストがイスラエル民族から出ます。)

オバデヤ書が書かれた背景、ポイントなど

オバデア書の年代オバデヤの家系、出身地、活動した年代については何も書かれていません。オバデヤの活動時期も明らかではないため、執筆年代に関して確かなことはわかりませんが、ヨエルの時代でもある BC855~BC840頃だと考えられています。

エドムはアラバの谷の東の岩石の多い山地にあり、高地にいることを誇っていました。エドム人はその高所から襲撃に出ていき、退くときは岩の多い峡谷の要塞にいました。そのためエドムは強力な軍を持ち、イスラエルに戦いを挑んでいました。
また、バビロンがユダを侵略した時にエドムは傍観していました。エドムが裏切ったために神はエドムを裁き、罰を与えます。

ここから分かることはどんなに強い軍であっても神は必ず悪であれば裁き、神が最後には勝利してくださるということです。
そしてオバデヤは、神に関する無関心と反逆、高慢や裏切りのため、エドムは神の審判を免れることはできないと語っています。

オバデヤ書の要約

旧約聖書の中で1番短い書物のオバデヤ書は21節からなっていて、大きく2つのセクションに分けることができます。

  1. エドムの指導者たちの高慢に対する非難(1-14節)
  2. 主の日はエドムだけでなくすべての国々にくる(15-21節)

本書は、エドムに災いがくるという宣告から始まっています。
彼らは文字通り砂漠の崖の高いところに住んでいましたが、比喩的な意味でもイスラエルより上の存在だと思っていました。その高慢さのゆえに彼らは、バビロンがエルサレムを攻撃しに来た時にただ傍観していました。そしてイスラエルの不幸を見て笑い、イスラエルが敵からの攻撃を受けて助けを求めた時には、イスラエルのために戦うどころか自らも加わりイスラエルを攻撃しました。
そこで神は、イスラエルと神に対して罪を犯したエドムの国を非難するためにオバデヤを遣わしました。
後半ではさらにその災はエドムにとどまらず、全世界が主の日に裁きを受けるということが預言されています。
しかし、最終的に主はイスラエルの回復を約束し、イスラエルは約束されたメシヤの支配を喜ぶようになると語りこの書は幕を閉じます。

 

5.ヨナ書

預言者ヨナ著者は預言者ヨナで、「ヨナ」という名前は、ヘブライ語で「鳩」という意味です。
神への不従順と福音の広がりがこの書物のテーマで、ふさわしくない者にもそそがれる神の愛が語られています。

ヨナ書が書かれた背景、ポイントなど

ヨナ書の年代本書は、神から言われたことを預言するだけの預言書とは異なり、預言者ヨナに起こった出来事を中心に書かれ、預言されています。
ヨナは聖書で唯一神の召しに背いた預言者でもありました。
ヨナはアモスより前に活動し、イスラエルで最も力のある王、ヤロブアム2世の治世時に北イスラエルで活躍しました。
ヨナは「ニネベに行き、そこで宣教するように」と神から命じられますが、それを拒みました。
ニネベはアッシリア帝国の首都であり、アッシリア帝国は約300年間世界を支配していました。残忍で名高いアッシリアはイスラエルにとって宿敵でした。ヨナがニネベへの宣教を拒んだのは、臆病であったからとか、宣教の大切さを知らなかったというものではなく、このことが理由でした。
イスラエルの敵であったアッシリアをも神は目にかけていたのです。神の愛と赦しはユダヤ人だけのものではなく、全世界の人を愛しているということがよく分かります。
確かにアッシリア人は神の愛にはふさわしくなかったかもしれませんが、神は悔い改めたら必ず赦してくださるのです。しかし、残念なことにアッシリア(ニネベ)の悔い改めは一時的なものであったので、BC612に崩壊しています。

ヨナ書の要約

1章でヨナは、神からニネベの町に行き、宣教をしなさいと言われます。
しかしヨナは自己中心的な考えからその命令を受け入れず、北方のニネベとは正反対のタルシシュ(現在のスペイン)行きの船に乗り込み、逃れようとしました。
神はこのようなヨナの不信仰に対し、海に大風を起こさせヨナを大魚にのみこませました。

2章では海に投げ込まれたヨナが、神に魚を用意して命を救ってくださったことを神に感謝し、祈っているシーンが記されています。
3日3晩大魚の腹の中で過ごしましたが、その後再び陸地に出されました。ヨナは神の救いを心から感謝し、献身の思いを新たにします。

3章でヨナが陸に上がったとき、神は再びヨナにニネベへの宣教を命令しました。
ヨナがその使命を果たしたことにより、ニネベでは王も大臣も、身分の高い者も低い者も多くの人が悔い改めました。
残忍で冷血漢のアッシリア人がみな、神の前に恐れをなして悔い改めたのです。

神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。
ヨナ書3:10

この箇所から、神がニネベに下すはずだった災いを撤回したことがわかります。

しかし最後の4章では、ヨナが裁きを免れたニネベをみて不満を持っていることがわかります。
その後もヨナはニネベに何かしらの災害が起きてほしいと期待して都の外で待っていました。
神はそんなヨナに、悔い改めた町を憐れむのは当然であると教えられました。
誰一人救いが不必要な人はいません。神から遠く離れているように見える人々のために祈る大切さをこの書から学ぶことが出来ます。

新約聖書のマタイ12:39~41でイエスはこれらの出来事を引用しました。
ヨナは魚の腹の中に3日3晩いて、その後地に吐き出されました。イエス・キリストは、十字架で死なれた後に、3日3晩墓に葬られていました。そして3日目によみがえられました。
ここでイエスは、死と復活について言及し、聞き手の理解を助けるためにヨナの出来事を用いられたのです。

 

6.ミカ書

預言者ミカ
ホセアの絵と似ていますが、
こちらはミカです…。

著者は預言者ミカで、「ミカ」という名前は、ヘブライ語で「誰が主のようであろうか」という意味です。
ミカは北イスラエルに次いで南ユダも滅びると預言しました。

ミカ書が書かれた背景、ポイントなど

ミカ書の書かれた年代ミカはヨタム、ヒゼキヤ、アハズ王の時代(BC742―BC686)に活躍しました。アモスよりは後で、 ホセアの後期、イザヤと同時代の預言者です。
ヨタムとヒゼキヤは良い王でしたが、アハズは悪い王でした。ミカ書には裁きと希望が複雑に入り混じったメッセージが書かれています。

一方ではイスラエルの社会的悪、堕落した指導者たちと偶像崇拝に対する裁きが預言されています。この裁きの最終段階はサマリヤとエルサレムの破壊でした。
もう一方では、国の復興だけでなく、イスラエルとエルサレムが変えられて、高く掲げられるという希望の預言も記録されています。

しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。
ミカ書5:2

この箇所は新約聖書のマタイ2章に書かれていることが成就するためにも最も大切な箇所でした。
「ベツレヘムのユダ族から新たにイスラエルの指導者が現れる」という約束をされました。これはご自分の民を救い主によって回復されるという偉大な計画です。

ミカ書の要約

本書の内容の大半は、ミカによるイスラエルへの非難と神の裁きが下るという警告です。しかし、同時にその警告とは真逆の希望のメッセージも語っています。

1-3章では、北イスラエルへの裁き、南ユダへの裁き、指導者や偽預言者たちへの裁きなど、イスラエルとユダの罪に対する神の告発が書かれています。
彼らが偶像礼拝や神への反逆など罪深い生活をしていたことがわかります。

4-5章は、裁きの後は救いと平和が訪れるのだという希望に満ちたメッセージになっています。
アッシリアの後にはバビロンが攻めてきて町を征服し、民は捕囚とされてしまいます。しかし神が、ご自分の民を回復し、彼らの国がもう1度強く、勢力に満ちる時を望み見るように民に語りました。
民が行った悪のゆえに苦しまなければなりませんが、すぐに次に苦しむのは敵になるとも言っています。

5章では、キリスト教徒にとって非常に重要なメシヤ預言について語られています。
その王がどのような救いと裁きと平和をもたらすのかについての言及があります。

最後の6-7章でミカは、神からの裁き、希望、赦し、回復の預言を語っています。
特に6章でミカは、再びイスラエルの指導者たちによる不正や、それがいかにこの国と民を荒廃させたかをあばき、それらの罪について言及しています。
そしてミカはここで、イスラエルが神に従うとはどういうことかを要約した有名な言葉を残します。

人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。
ミカ書6:8

神が本当に求めておられることは何なのかということがこの箇所からわかります。
それは、正しいことを行い、誠実に神を愛することです。これはまさにイスラエルがしてこなかったことであり、だからこそ滅びに向かってしまったのです。
しかし、この書は最後にもう一つの希望について記し、ミカの嘆きと神への賛美と祈りで終わっています。

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まとめ

小預言書をより理解するためには、イスラエルの歴史や神とイスラエルが結んでいる契約関係について知っておく必要があります。
それぞれの書巻の背景やポイントを知ってから実際に読んでみると、また違った視点で理解を深められるかもしれませんね!
小預言書を読んでいると、人間がいかに罪深く、すぐに神へ背を向けてしまう存在であるかがよくわかりますが、それと同時に神がいかにあわれみ深く愛のあるお方であるかを知ることができます。
小預言書を読んだ後に新約聖書を読んでみると、どうしようもない堕落したこの世界に、神がイエス・キリストを救い主としてこの地上に送ってくださったということもよくわかるはずです。
今回は小預言書の前半部分でしたが、次回はまた後半部分の解説もするのでぜひそちらの記事もお読みください!
以上ひよこでした。


●新約聖書・旧約聖書についてもっと知りたい方は、こちらの記事もお読みください!


●預言者についてはシリーズでまとめていますので、こちらの記事もお読みください!



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