一向に好転しないウクライナの現状を祈り続けることは、苦しい事ですが、それでも私たちは現地の人々のために祈り続け、また私たちにできることを、粛々と誠実に遂行し続ける必要があります。
新生宣教団の姉妹団体「ニューライフミニストリーズ・ノルウェー」は、現地の支援団体「ウクライナ・エイド※」と協力して、ウクライナやノルウェーで、ウクライナ難民の支援にあたっています。
ウクライナ・エイドは、ノルウェーの教会が協力して急遽立ち上がったウクライナの難民支援団体で、教会を避難所として開放し、ウクライナの国内やノルウェーで避難生活を送る人々に、食料や物資と共に聖書も配布しています。
新生宣教団とニューライフミニストリーズ・ノルウェーは、特に私たちに課せられた「聖書」の必要を満たすべく働いています。
※「ウクライナ・エイド」という名称は仮称です。正式にはUkrainahjelpen Karmøyですが、日本語での発音が難しいため、私たちは「ウクライナ・エイド」と呼んでいます。
●このプロジェクトについて詳しくはこちら
●ウクライナ・エイドのための支援についてはこちら
新生宣教団では、5/13にウクライナ語の新約聖書25,000冊を発送しました。
現地への到着は来月下旬になる見込みです。
急な日程でしたが、印刷と製本が守られて発送できたことを感謝します。
これらの聖書が無事に現地に届けられるように、覚えてお祈りください。
また発送はされましたが、必要資金約450万円のうち、いまだ150万円ほどしか満たされていません(5月末時点)。
この事のためにも引き続き覚えて、お祈りとご支援をよろしくお願いいたします。
ニューライフミニストリーズ・ノルウェーから、現地の声として、ウクライナのブチャから逃れてきた家族の体験談が送られてきましたのでお分かちします。
ある私の親しい家族についてレポートします。
母親のスヴェトラーナと彼女の2人の子ども、ソーニャとリョーシャです。彼らはブチャに住んでいました。何年もの間、ブチャの教会で奉仕していました。特にスヴェトラーナは、教会の高齢者たちや、苦境にある家族のための奉仕を手伝っていました。
多くの人がブチャから避難していく中で、スヴェトラーナは高齢者たちの面倒を見ていたので、避難することができませんでした。自力で生活できなくなった彼らに食事を与え、世話をしていたため、ブチャの町を離れることができなかったのです。
長い間、ブチャとの連絡手段が失われていたため、私たちはスヴェトラーナとその家族たちがどうしているか知ることができませんでしたが、後に、スヴェトラーナと彼女の家族が、ブチャの恐ろしい状況の真っ只中に暮らしていたことを知りました。
ご存知かもしれませんが、ブチャの人々が経験してきたことは、ウクライナの人々の恐怖の象徴となるほどの、悲しく恐ろしいものでした。そんな中で、スヴェトラーナと彼女の家族は、弱い人々を助けるためにブチャにとどまっていたのです。
ある日、彼女は高齢者に薬を与えた後、犬を散歩に連れて行き、他の人を助けていました。
突然、大きな音が聞こえて振り返ると、後ろに戦車が迫っていました。
戦車は彼女に気が付くと同時に発砲をはじめ、スヴェトラーナは足を撃ち抜かれ、坂を転がり落ちました。4箇所の骨が砕けました。
ロシア軍たちは彼女が死んだと思ったので、それ以上追ってくることなく、通り過ぎていきました。
しかし彼女は奇跡的に生き残りました。ひどく負傷した自分の足を何とか止血し、近所の人たちに助けられて、彼女のアパートにたどり着きました。
何人かの人が、破壊されたスーパーマーケットからウォッカのボトルを見つけ出して、スヴェトラーナのもとに持ってきてくれました。
それは彼女がその時に使うことができる唯一の消毒薬でした。スヴェトラーナは、町が占領されている間、このような状況でブチャのアパートに住んでいました。
その後、スヴェトラーナと彼女の子どもたちは国外に逃れることができました。
現在はノルウェーで避難生活を送り、支援と治療を受けることができています。
私たち日本人にとっては遠い国の出来事となりがちですが、尊いひとりひとりが命を脅かされている現状を、改めて覚えさせられます。
今もなお続いているウクライナでの悲劇の一日も早い終結といやしのため、引き続き覚えてお祈りください。
Copyright © 新生宣教団 All rights reserved.