「聖餐式」「使徒信条」「主の祈り」―教会の礼拝で使われる言葉をわかりやすく解説

       
  • 2021/10/14
  • 最終更新日:2024/1/30
聖餐式とは?

こんにちはハトコです。
前回は「礼拝では何をする?」という概要編をお話しました。
●「礼拝では何をするの?」概要篇はこちら

ところで皆さんは「使徒信条」「主の祈り」「交読文」「聖餐式」「愛餐会」という言葉を聞いたことはありますか? 読み方さえも?ですよね。
今回は、キリスト教の礼拝の中で行われる聞き慣れないこれら専門用語についてお話してみます。


ハトコ
Writer Profileハトコ

牧師の家庭に生まれる。田舎でおとなしい子供時代を過ごしたが、高校卒業後に大阪に住んだことで性格が外交的に変わる。大阪の教会で牧師が1ヶ月にわたり語ってくれた十字架のメッセージを聞いて明確に聖書の福音が解るようになった。好きなことは「掃除」「イエス様に従うこと」。苦手なことは「整理整頓」「ホラーやスプラッター系全般」。(「掃除」と「整理整頓」は別物です!)。新生宣教団職員。

 

礼拝で読まれる「使徒信条」と「主の祈り」

「使徒信条」(しとしんじょう)と「主(しゅ)の祈り」は、よく礼拝の中で読まれる信仰告白文であり祈祷文です。特に「使徒信条」は正統的なキリスト教のゆるぎない指針となる大切なものです。教会によっては全く読まない教会もありますが、それは各教会の方針によりますので、同じ信条が教会の教えの中にあればプログラムとして読まれなくても問題はありません。
それでは一つずつ見ていきましょう。

「使徒信条」とは?

「使徒信条」は文字のごとく「キリストの弟子が信じること」です。クリスチャンは一体何を信じているのでしょうね^^
ではまず「我は天地の造り主…」で始まる「使徒信条」全文をご紹介します。

我(われ)は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊(せいれい)によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬(ほうむ)られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。(アーメン)

※掲載本によって多少の文言の差異があります。

簡単に言えば、「使徒信条」が言っているのは、

  • 万物の創造者で、私たちの霊的な父である神様を信じます
  • 「人として生まれ、私たちの罪の身代わりに十字架上で罰を受け、死んでくださり、それからよみがえって、天の父なる神の元に帰られたイエス様を私たちの主として信じます
  • イエス・キリストは再び地上に来られ、正しい審判をされるお方です」
  • 「聖書に書かれている聖霊様の存在を信じます
  • 「世界中の教会、クリスチャン同士はキリストにあって一つであることを信じます」
  • イエス様の贖(あがな)いによって、私の罪は赦されたことを信じます
  • 「クリスチャンは死んでも、最終的には新しい身体でよみがえることを信じます
  • 「イエス様を信じる人には、永遠の命が与えられていることを信じます

という内容です。
詳しく書くと神学書が1冊できちゃいますのでこのくらいにしておきますね。
よみがえり?永遠の命なんてホント?と思うかもしれませんが、聖書にはっきり書かれているのです。クリスチャンにとって「使徒信条」を礼拝の中で朗読することは、毎週自分の信仰を確認する機会ともなります。

 

「主の祈り」とは?

「主の祈り」はご存じの方も多いかもしれませんね。教会の子供のための日曜学校で暗唱したりします。これも「天にまします我らの父よ」で始まる全文を紹介しましょう。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。

※掲載本によって多少の文言の差異があります。

主の祈り「主の祈り」は「主の」というよりも、主(イエス・キリスト)が自分の弟子たちに教えた「弟子たちの」祈りといったほうがいいでしょう。
聖書のマタイの福音書の6章9~13節に記載があります(最後の「国と力~アーメン」は後から教会によって加えられました)。
クリスチャンはイエス・キリストの弟子でもありますから、主の祈りは「主」が「私たち」にこのように祈りなさいと教えてくださった祈りであり、祈り方のガイドラインでもあります。
「主の祈り」は祈る内容が前半と後半に別れています。

前半:神の御心(みこころ)を求める祈り

主の祈りの前半「主の祈り」は父なる神への呼びかけから始まります。そして、神様が行われるすばらしいことを見てさらに神様をほめたたえさせてくださいと祈ります。そのためには、自分の思いではなく、まず父なる神に心を向け、その御心(みこころ:お考え)に自分を合わせることから始めます。神様の臨在がある(神様がおられる)ところには、秩序と解決と平安がもたらされます。「御国」とは神様が統治される世界を指し、天における御国は全能の神の統治のゆえにすべてが完全です。そのようにこの地上でも神様の御心が成るようにと祈ります。

後半:私たちの必要を求める祈り

主の祈り後半神様を自分のすべての中心にお迎えしたら、今度は赤裸々に自分の思いを神様へ伝えます。ここでは「日用の糧=生活の必要」「人間関係の解決」「罪や誘惑からの守り」「災難からの守り」「霊的な悪の存在(聖書では悪魔と悪霊)への勝利」を祈ります。
「我らの」とあるので、「主の祈り」は自分だけではなく、教会全体、またクリスチャン全体の共同体の祈りとも言えます。
最後の「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」という文は、聖書には記載がありませんが、「この世界は、永遠に神であるあなたのものであるべきです」というクリスチャンの信仰告白文です。

「主の祈り」の注意点

マタイの福音書の「主の祈り」の教えの前には、このような注意があります。
「祈る場合は異邦人のようにくどくど祈るな、彼らは言葉数が多ければ聞き入れられると思っている」。
イエス様が生きていた時代の異邦人(ユダヤ人以外の民族)の祈りはお経や呪文のような決まり文句を繰り返し唱えるものでした。
でもイエス様は、祈りが決まり文句やお経のようにならないようにと教えました。
私たちも「主の祈り」がただ唱えるだけの決まり文句にならないように気を付ける必要があります。
祈りの内容を思いつつ、前半後半のガイドラインに沿って自分の言葉で自由に祈ると深い祈りができると思います。

 

礼拝で行う「交読文」と「頌栄(栄唱)」とは?

これまで見てきた「使徒信条」と「主の祈り」は、聖歌や讃美歌の表紙裏に印刷されていることが多いのですが、この「交読文」「頌栄(栄唱)」は聖歌・讃美歌に「歌」として収録されています。「使徒信条」と「主の祈り」同様、礼拝で行う教会もあれば行わない教会もあります。聖歌や讃美歌をメインに使う教会では行うことが多いようです。行わない教会は別のやり方で神様をほめたたえます。

「交読文」とは?

交読文「交読文」(こうどくぶん)は「読む賛美」です。聖歌や讃美歌に聖書の「詩篇」などの抜粋が載っていて、礼拝の中で司会者と会衆が交互に読み合うことから「交読文」と言われています。
礼拝の前半に行うことが多いようです。文体は古い文語訳が多いので、意味はわからないかもしれませんが、声に出して読んでみると心に響くものがあるかもしれません。後でその箇所を現代文の聖書で読んでみるのもお勧めです。聖書の言葉は人生を変えたりもしますので。

 

「頌栄(栄唱)」とは?

頌栄「頌栄(栄唱)」「しょうえい(えいしょう)」と読みます。「頌」は、ほめる、たたえるという意味で、「偉大な創造主なる神の栄光を讃える賛美礼拝の最初や最後に歌われます。曲は何曲か種類があり、同じものだけを歌ったり、牧師や司会者によって選ぶ曲が違う場合もあります。どれも短く覚えやすいので、2、3回歌えば覚えられます。覚えると、つい口をついてでてくるかもしれませんよ^^。
一番有名なの頌栄は、「父御子御霊の」(讃美歌541番・新聖歌63番・聖歌383番)

父 御子 御霊(みたま)の 大御神(おおみかみ)に とこしえ 変わらず 御栄(みさかえ)あれ アーメン

という曲でしょうか。 短いですよね^^。

 

礼拝で行われる 「聖餐式」と、礼拝後の「愛餐会」とは?

これもまた難しい漢字ですが、聞いたことはあるかもしれませんね。それぞれ「せいさんしき」「あいさんかい」と読みます。「餐」という漢字は食事や飲み食いを意味します。どちらも飲食に関係している言葉です。

 

聖餐式

「聖餐式」とは?

キリスト教には重要な礼典が2つあります。「洗礼式」と「聖餐式」です。
●洗礼について詳しくはこちらの記事をお読みください。

「聖餐式」はイエス・キリストが私たちの罪の身代わりに十字架で死んでくださったことを忘れないように行いなさいと、イエス様自身が弟子たちに命じたものです。
レオナルド・ダヴィンチの最後の晩餐十字架にかけられる前夜の有名な「最後の晩餐」で語られた言葉で、イエス様の言葉そのままだと「これ(パン)は、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」「この杯(さかずき)は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」と言われました。キリスト教会はイエス様の言葉を守って「聖餐式」を行います。

「聖餐式」のやり方

大抵の教会では月の第一日曜日に、礼拝の中で行われます。(毎週行うところもたまにあるようです)。
イエス様の時代は種なしパン(イースト菌を入れないピタパンのようなもの)をみんなで裂いて食べ、ぶどう酒を同じ杯から飲みました。一つのパン、一つの杯はイエス様を表すからです。
しかし現代ではいろいろな観点から、食パンをカットしたものとぶどう液が入った小さな杯を使う教会が多いようです。講壇の前に聖餐式用に机が設けられ、そこにパンとぶどう液の杯が入った特別な器が置かれます。そして牧師の呼びかけに応じて聖餐を受ける人は一人ずつ前に進み出てパンを一切れ、杯を一つ取って席に戻ります。皆が取り終わったら、司式者がパンのための祈りを捧げ、パンを食べるように促しますのでパンを食べます。次に杯のための祈りが捧げられ、杯を飲むよう促しますのでぶどう液を飲みます。最後に感謝の祈りが捧げられ式は終わりです。手元の杯は係の人が回収します。これも教会によってやり方がいろいろあるようです。

「聖餐式」はだれでも受けられる?

「聖餐式」はイエス様を自分の救い主と信じた人が感謝を持って受けるものです。多くの教会ではイエス様を信じたクリスチャンだけが受けます。まだ救いが何かわからないという方には遠慮していただいているところが多いと思います。もし救いを理解していないなら、聖餐を受けたとしてもあなたにとっては何の意味も持たないからです。でも、あなたがイエス様による救いを理解しているなら聖餐式は本当に感動を伴います。ぜひイエス様の救いを信じて聖餐式に参加していただきたいと思います。

 

「愛餐会」とは?

愛餐会「愛餐会」は礼典ではありません。もっと気軽なお食事会です。牧師や信徒の方から「このあと愛餐会がありますから、どうぞ参加してください」と言われたら、それは「この後お食事の用意がされているので、どうぞ食べていってください^^」というぐらいの意味です。
大抵は破格の安さで美味しい手料理を頂けます^^。100円~500円かと思います。始めて礼拝に参加した人は初回は「無料」というところもあります。
キリスト教では、教会は父なる神のもとでみんなが家族だという考え方があるので、みんなで食事をすることを大切にしている教会は多いです。深く考えずぜひ参加して楽しんでください。(参加したからといってメンバーに組み込まれたりしませんのでご安心を^^)

愛餐会体験談

私の知り合いのクリスチャンも、初めて愛餐会に参加した時にはちょっと戸惑ったようです。
彼の体験談をご紹介します。

教会に誘われた時、礼拝中、結構緊張して座っていました。礼拝の最後に牧師が『今日は愛餐会なのでぜひ参加してください』とアナウンスがあり、なんとなく流れで参加することにしました。教会員の方々が持ち寄りで食事を用意し、お祈りの後、誕生日月の人から食事を取りに行くビュッフェスタイルでした。自分は何も用意してこなかったので、恐縮して座っていましたが、教会の方々のほうから自己紹介をして挨拶してくれたので気が楽になり、その後は楽しく食事をすることができました。
愛餐会は礼拝の時より雰囲気もラフな感じで、牧師が近くに座ってくれ、色々聞かれたりこちらも話をしたりして楽しい時を過ごせました。
しばらく通っても良いかなと思っている段階だったら、愛餐会がある日には参加してみて、礼拝の雰囲気や教会員の人たちの持つ雰囲気などを感じてみるのも良いかもしれません。教会に行くことは、牧師との交流も重要と思います。愛餐会のような場でざっくばらんに話をしてみるのも良いと思いました。

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まとめ

どの世界でも同じだと思いますが、キリスト教にも「専門用語」と呼ばれる言葉は多いかもしれませんね。「使徒信条」や「聖餐式」など、キリスト教の中心的な教えで重要なものもあれば、「愛餐会」などクリスチャン同士の交わりを意味するものもあります。前回書いたように「礼拝は神様をたたえる時間」ですが、クリスチャン同士が共に集まって家族のような関係を築く場所でもあります。「愛餐会」はその意味で教会の方たちと仲良くなれる良い場所ではないでしょうか? 教会側は心を込めておもてなしの気持ちで食事を準備していますので、新しい方が参加してくださると嬉しいものです。遠慮なく参加してみてはいかがでしょう。
次回は「聖歌」「讃美歌」など賛美にまつわることについてお話してみます。
ではまた。
ハトコでした。

●追記:「聖歌」「讃美歌」についての記事はこちら

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