こんにちは。ハトコです。
前回は礼拝で使われる専門用語「使徒信条」「主の祈り」などについてお話しました。(記事は こちら)
これらは『讃美歌』や『聖歌』の中に載っていますが、さて、皆さんは『讃美歌』と『聖歌』って何が違うの?と思ったことはありませんか? 今回は、『讃美歌』『聖歌』、加えて「ワーシップ・ソング」についてお話します。
目次
牧師の家庭に生まれる。田舎でおとなしい子供時代を過ごしたが、高校卒業後に大阪に住んだことで性格が外交的に変わる。大阪の教会で牧師が1ヶ月にわたり語ってくれた十字架のメッセージを聞いて明確に聖書の福音が解るようになった。好きなことは「掃除」「イエス様に従うこと」。苦手なことは「整理整頓」「ホラーやスプラッター系全般」。(「掃除」と「整理整頓」は別物です!)。新生宣教団職員。
欧米からキリスト教が日本に入ってきた時、賛美歌も一緒に入ってきました。
日本語訳の賛美歌は明治5年に宣教師によって訳された「エスワレヲ愛シマス(Jesus Loves Me)」と「ヨキ土地アリマス(Happy Land)」の2曲が最初だそうです。
このたった2曲から始まった日本語賛美歌への翻訳は、その後多くの人々の手を経て今の『讃美歌』や『聖歌』へ、そして現代的な「ワーシップ・ソング」へと続いています。では一つずつ見てみましょう。
「讃美歌」「賛美歌」の2つの表記がありますが、「讃美歌」は本のタイトルとして用いられ、「賛美歌」は歌そのものを指すようです。
『讃美歌』は、最初の2曲の日本語訳以後、各教派がそれぞれ個別に賛美歌集を出していましたが、1903年(明治36)に各派共通の『讃美歌』としてまとめられ誕生しました。
そして、時代の変化に伴って増補修正がおこなわれ1954年(昭和29)に日本基督教団 讃美歌委員会によって出された『讃美歌』と、その後出された合本などが長きにわたって使われてきたようです。
しかし、時代が進み社会や言葉に変化が起こり、それに対応しようと2000年代になって新たに『教会福音讃美歌』(福音讃美歌協会編)が出されています。その他にも、各教派で独自に出した賛美集なども使われています。
『聖歌』は『讃美歌』とは別の流れで編纂されて誕生しました。聖歌の編纂で大きな役割を果たしたのが中田羽後(なかた うご)という人物です。
中田羽後は『聖歌』編集において先達(せんだつ)の翻訳編集の遺産を総括して引き継ぎ、また『讃美歌』と共通する約200曲を新たに翻訳しました。さらに世界中の名聖歌の多くを日本語に訳しました。
『讃美歌』と『聖歌』で曲が同じなのに言葉が違うのは、訳者が違うからなのですね。『聖歌』は1958年(昭和33)に初版が出され、その後も長きにわたって教会で活用され、1990年代まで黒表紙の『聖歌』は版を重ねながら多くの教会で使われました。今でもこれを常備している教会は多いと思います。
しかし、時代の流れとともに『聖歌』は2001年に廃刊となり、代わりに『聖歌(総合版)』(聖歌の友社)や、聖歌と讃美歌を融合した『新聖歌』が出されています。
日本の教会において、礼拝での賛美は『讃美歌』と『聖歌』が長く使われてきましたが、1970年ごろ、日本は「高度成長期」といわれる時代となり、音楽もフォークソングやグループサウンズなど、自由な雰囲気が広がる中、キリスト教の若者たちの間でもギターなどによる自由な賛美のスタイルを求める機運が高まりました。
賛美はゴスペルフォークの時代を経て海外のコンテンポラリー・ワーシップ・ミュージックの影響を受け、多くの海外の歌が翻訳され「ワーシップ・ソング」へと向かいます。ちょっとその流れを見てみましょう。
1970年代、ゴスペルフォークと呼ばれる、海外の訳詞ではなく自分たちで作った賛美をギター一本ですぐ歌えるようにしたフォークソング調の賛美が多く作られました。『友よ歌おう』(太平洋放送協会編)シリーズや、新宿シャローム教会(アガペー書店)が中心となって制作された『こころの中でメロディーを』シリーズなど、『讃美歌』と『聖歌』と違い、現代的で歌いやすく親しみやすい曲が多く生まれ、若者たちの間で歌われました。その他にも若者による賛美グループも多く生まれ、教会では賛美コンサートが開かれるようになりました。この時代の曲は教会生活が長い方には懐かしい曲ばかりです。
1980年代に入ると、賛美の新しいスタイルとして「ワーシップ・ソング」が教会の礼拝賛美に取り入れられていきます。多くは海外のクリスチャンミュージシャンたちが、コンサートのような形態で行う大規模な賛美集会で歌われた曲で、「私達」”we” や「神」”God” に代わって「私」”I”「あなた」”You” といった言葉が用いられることが多くなり、ポップスのラブソングと似たような歌詞で神への愛を表現しています。カセット、CDの時代でもあり、これらを通して「ワーシップ・ソング」は多くの教会に普及していきます。中でも賛美歌集である『リビングプレイズ』(いのちのことば社)、『プレイズ&ワーシップ』(ミクタムレコード)は中心的な役割を果たしました。
また、1987年から1995年までミクタムレコードのプロデュースで開催された「ジェリコ・ジャパン(Jericho Japan)」は日本のプロテスタント教会の超教派の大賛美集会として特筆できるイベントです。
ちなみにミクタムレコードの創設者小坂忠は、細野晴臣、松本隆、柳田ヒロ、松任谷正隆らと親交のある元ロックシンガーで、クリスチャンとなって日本初のゴスペル専門のレコード出版会社ミクタムを立ち上げ、日本のワーシップ・ソング普及に大きな役割を果たしました。
2000年代に入ってからも、ワーシップ・ソングは海外と日本国内で新しい曲が増え続け、教会賛美はますます豊かになっています。
コロナ禍で今は自由に賛美できない状況ですが、思いっきり歌える日々が戻ることを祈っています。
教会で歌われている賛美ですが、歌詞は知らなくても、曲を聞いたら「あっ知っている!」というものが実は多いと思います。ここではそういった曲をご紹介します!
『讃美歌』で有名な曲はなんといってもクリスマスソングです。クリスマスになると、街はクリスマスカラーで染まりますが、クリスマスの曲がなかったら盛り上がりませんよね^^
『讃美歌』の94番~119番までが「降誕」というカテゴリーになっていますが、その中で有名なのはなんといっても讃美歌109番「きよしこの夜」でしょう。そして106番「あら野のはてに」、111番「神の御子は今宵しも」、112番「もろびとこぞりて」など聞いたら絶対に知っていると思います。
それ以外では、多くの方が知っている曲は312番の「いつくしみ深き」ではないでしょうか。この曲は教会の結婚式や告別式(葬儀)などでもよく歌われるからかもしれません。
『聖歌』で有名なのはきっと229番「おどろくばかりの(アメージング・グレイス)」でしょう。
コマーシャルで使われたり、有名アーティストによっても歌われたりする不朽の名曲かと思います。
クリスマスソングは119番~150番までが「降誕」のカテゴリーで、『讃美歌』の曲とかぶるものも多くあります。
教会によってどちらを使っているかで歌詞が違うので、あれ?と思うことがあるかもしれません。
もちろん賛美歌「いつくしみ深き」と同じ曲もあります。607番「つみとがをにのう」です。
歴史が浅いため、世間一般に知られているという曲はないかもしれませんが、とてもいい曲がたくさんあります。
『讃美歌』『聖歌』を中心に使っている教会でもこの曲ならだいたい知っているという曲はあるようです。ワーシップ以前のゴスペルフォーク時代も入れるなら、「この日は主が造られた」「主は今生きておられる」「鹿のように」「御手の中で」などでしょうか。最近の曲も併せて下記から聞くことができます。よかったら聞いてみてください。
ここまで『讃美歌』『聖歌』「ワーシップ・ソング」について見てきましたが、そもそも聖書では賛美についてどう言っているかちょっとご紹介したいと思います。
聖書の「歌の書」である詩篇は、最後をこのようにしめくくっています。
他の箇所では、
あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
詩篇22篇3節(新改訳)主を喜ぶ(たたえる)ことはあなたがたの力です。
ネヘミヤ記8章10節(口語訳)
などもあります。
前述のミクタムレコードは設立理念の中で、
新しい歌を主に向かって歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ
詩篇33:3
を上げています。
このように聖書の大部分において「神を賛美せよ」と語られていますので、クリスチャンは「賛美」するのです。
私は生まれたときからクリスチャン家庭で育ちました。そして私の教会音楽は時代とともに『聖歌』から「ワーシップ・ソング」へ移りました。
最初に私がワーシップ・ソングに触れたのは中学1年生ぐらいだったと思います。カセットテープで聞いた「愛する我が主よ~♪」でした。母が「聞いてごらん、まるでラブソングだよね!」と言ったのを覚えています。
それから多くの「ワーシップ・ソング」を歌ってきましたが、世間で行われるどんなコンサートよりも心が満たされます。
『聖歌』については、「古過ぎて意味がわからないから嫌い」という人に会うことがありますが、きちんと言葉の意味を教えてもらい理解すれば、時代を超えて残り続けた多くの歌には力があると思います。私のクリスチャンライフでも血となり肉となって良い影響を与えてくれました。困難に直面した時、口から出てくるのは聖歌だったりします。500番の「みことばなる」や498番「うたいつつあゆまん」などでしょうか。歌詞に励まされ、「神様に依り頼めば大丈夫」と立ち向かうことが出来たことは数多くあります。
聖書のみ言葉を覚えるのは大変ですが、歌になっているものは覚えられます。私も多くの聖書の言葉を歌で覚えていて今でも役立っています。
聖書を読んで教えられることは、私たちが神様をたたえるのは、ただただ「神様は讃えられるべきお方」だからだということです。
クリスチャンが信じている「創造主であり全知全能の神様」はあまりにも偉大なお方です。それに比べ私たち人間はあまりにも小さく無力で罪深い存在です。にもかかわらず神様は宇宙を超える大きな愛で愛してくださっています。それはこの言葉からも分かると思います。
天を創造された主、すなわち神であって、また地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、『わたしは主である、わたしのほかに神はない。』
イザヤ書45章18節(口語訳)わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償(あがな)ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
ヨハネの手紙一 4章10節(新共同訳)
御子とはイエス様のことです。天地万物を創造された神様が、御子イエス様のいのちを代価に私たちの罪を贖(あがな)ってくださいました。
イエス様の犠牲によって私たちの罪が赦されたというのが聖書のメッセージです。これだけでも感謝し神様を賛美するには十分な理由だと言えますね。
ではまた。
ハトコでした。
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